展覧会
百花百鳥―うみもり・うるわしの花鳥版画―
近世に誕生した浮世絵はもともと美人画や役者絵などが主な画題でしたが、19世紀中頃になると花鳥画をテーマにした花鳥版画のジャンルが成立し、以降もさまざまに展開していきます。四季の草花に鳥や虫、魚などを取り合わせて描く花鳥画は、古くから日本美術において重要な画題でした。
江戸時代、画家の絵や画論を記した中国の明・清時代の画譜がもたらされ、浮世絵を含む日本美術は大きな影響を受けました。花鳥版画も例外ではなく、当時盛んであった博物学や本草学といった実学の成果も取り入れながら目覚ましい発展を遂げています。特に、浮世絵師歌川広重(1797~1858)の花鳥版画は、その格調高い作風でたいへんな人気をよびました。多くの作品が制作されて江戸時代の花鳥版画を代表する存在となり、その後の作品にも大きな影響を与えることになります。
明治時代に入ると、京都画壇の重鎮である幸野楳嶺(1844~95)による美術教育のための絵手本類や、様々な輸出用工芸品を制作する際の図案集など、鑑賞のためだけでない新たな役割が見出された美術画譜が出版されるようになりました。また、広重に代表される従来の花鳥版画とは全く異なる表現方法を用いた小原古邨(1877~1945)の活躍も、近代花鳥版画の活路を開きました。古邨の作品は当初から海外市場に向けて制作され、欧米諸国から好評を博しました。
本展は、近世から近代にかけての浮世絵や画譜、絵手本を中心に、海の見える杜美術館が所蔵するうみもりコレクションの花鳥版画をご紹介するものです。江戸時代の花鳥版画を代表する広重の作品、多くの花鳥画譜を手掛けた楳嶺や明治大正期の花鳥版画の名手である古邨の近代花鳥版画、そして各時代の多様な画譜などを合わせて展示します。四季の情趣にあふれたうるわしき花鳥版画の世界をご堪能ください。
【基本情報】
[会期]2024年6月1日(土)〜2024年7月15日(月・祝)
[開館時間]10:00〜17:00(入館は16:30まで)
[休館日]月曜日(ただし7月15日(月・祝)は開館)
[入館料]一般1,000円 高・大学生500円 中学生以下無料
*障がい者手帳などをお持ちの方は半額。介添えの方は1名無料。*20名以上の団体は各200円引き。
[タクシー来館特典]タクシーでご来館の方、タクシー1台につき1名入館無料
*当館ご入場の際に当日のタクシー領収書を受付にご提示ください。
[主催]海の見える杜美術館
[後援]広島県教育委員会、廿日市市教育委員会
【イベント情報】
■当館学芸員によるギャラリートーク
日 時:6月8日(土)、7月13日(土) 各13:30~(45分程度)
会 場:海の見える杜美術館 展示室
参加費:無料(要入館料)
事前申込:不要
【章立て・主な出品作品】
第1章 江戸花鳥版画のめばえ――中国製画譜の影響と和製版本――
近世に誕生した浮世絵は、はじめ美人画や役者絵などが主な画題でしたが、19世紀中頃になると花鳥画をテーマにした花鳥版画も盛んに制作されるようになります。ここではそれ以前の、版本に見られる花鳥画を中心にご覧いただきます。
江戸時代初期、画家の絵や絵に関する理論を記した書物(画譜)が中国から日本にもたらされ、浮世絵を含む日本美術は大きな影響を受けました。特に明末清初の作家李漁(1611〜1680頃)によって企画され、清代初期の画家王概(生没年不詳)が描いた画譜《芥子園画伝》は繰り返し輸入され、日本でも和刻本が刊行され続けた大ベストセラーです。それまで限られた範囲で流通していた日本の画譜は、これらの画譜の受容をきっかけに、多くの人の目にふれるものが増えていきました。
江戸時代中期になると、八代将軍徳川吉宗が奨励した本草学研究の影響を受け、各地で博物図譜がつくられるようになります。宝暦5年(1755)には大坂の絵師橘保国(1715~1792)による植物図譜《絵本野山草》や、浮世絵師北尾重政(1739~1820)の画譜の代表作《花鳥写真図彙》など、丹念な観察と写生に基づいて制作された画譜が誕生しました。
第2章 広重花鳥版画の世界――浮世絵における花鳥画の確立――
当館が30年前から収集し始めた歌川広重(1797~1858)の花鳥版画は、現在、国内最大の規模となるコレクションに成長しました。
浮世絵における花鳥画のジャンルは、江戸時代の天保年間(1830~1844)初期に広重の活躍によって確立しました。広重の花鳥版画は、短冊形と呼ばれる縦に細長い判型や小型の判型が特徴で、四季の草花にさまざまな鳥を組み合わせ漢詩などの詩文を書き添えた格調高いものでした。現存する作品は600点にのぼるともみられ、天保~嘉永年間頃の花鳥版画は広重がほとんど独占的に手がけていたようです。同時期の天保前期には、魚介をテーマにした「魚づくし」も制作されています。もともと狂歌師グループの私家版として上梓された作品で、魚に草花や野菜を添えて季節感を表現したこれらのシリーズはのちに一般向けにも販売されました。
これらの広重の花鳥版画は、多くの人が手にしやすい安価で小型の判型のものほど数多くつくられていることから、広く一般に受け入れられていたことがうかがえます。床の間の掛け軸のように、四季の情緒を日々の生活にもたらしたのでしょう。広重の花鳥版画は名実ともに江戸時代の花鳥版画を代表する存在となり、後世の作品にも大きな影響を与えました。
第3章 幸野楳嶺が残したもの――京都画壇の重鎮による花鳥画譜――
幸野楳嶺(1844~1895)は四条派の塩川文麟に学び、文麟の没後は近代京都の絵画界を牽引した画壇の中心人物です。絵師としての活躍だけでなく、京都府画学校や京都美術協会の設立に貢献した功績が知られ、後進の育成にも熱心でした。楳嶺門下からは竹内栖鳳や菊地芳文など、次世代を担う絵師が多く出ています。
楳嶺の画塾である幸野私塾では、絵画制作の手本となる画譜類を多数管理していました。楳嶺自らも筆を執り、特に花鳥画を得意としていたことから多くの花鳥画譜を制作しています。明治15年(1882)の第一回内国絵画共進会で絵事著述褒状を受けた《楳嶺百鳥画譜》をはじめ、明治19年(1886)の《楳嶺画譜》、明治22年(1889)の《絵本亥中之月》など、花鳥画譜の出版が盛んだった明治20~30年代に飛びぬけて多くの画譜を手がけました。これらの出版事業も、絵画教育における楳嶺の功績の一つといえるでしょう。出版された画譜の中には、明治16年(1883)に発行された一枚摺りの多色木版画《楳嶺花鳥画譜》を、楳嶺の没後、版本の形で編集して複数の図をまとめて手に取れるようにした《楳嶺花鳥画譜》の例もあり、楳嶺の花鳥画譜の需要の高さがうかがえます。
第4章 近代花鳥版画の展開――画譜に求められた役割――
明治時代以降も、花鳥画は版画作品における重要な主題であり続け、多様な画譜類や西洋からの影響を受けた作品が生み出されました。特に、明治期の殖産興業の振興に伴い、陶磁器や染織品といった輸出用工芸品の装飾のために花鳥画の需要が爆発的に高まります。生産される工芸品の絵付けの際に、構図や模様を参照できる図案集が求められ、各版元からは様々な画譜や絵手本が立て続けに発行されました。
明治24年(1891)に京友禅の老舗千總の12代当主西村總左衛門から発行された《景年花鳥画譜》はその代表例と言えるでしょう。発行者の西村は、友禅染などの染織品だけでなくあらゆる美術制作に役立つと宣伝しており、新時代の花鳥画譜の役割がうかがえます。本書は博物学者の校訂が入っており、自然科学の実学に基づいた精密な写実描写がなされているのも特徴です。以降、博物図鑑のような図解で「美術工芸家の一大参考書」と宣伝された《英章百鳥画譜》や、洋花をメインテーマにして鮮麗に描いた《西洋草花図譜》など、実学に基づいて花や鳥の生態を精緻に写生した画譜類が制作されていきました。
第5章 小原古邨の花鳥版画――四季の情趣と花鳥の息吹――
明治30年代から大正・昭和期に活躍した小原古邨(1877~1945)は、主に欧米諸国で愛されてきた絵師です。近年、国内でも徐々に研究が進み、展覧会などで注目を集めるようになりました。
明治20~30年代、古邨は日本画家の鈴木華邨に師事し、花鳥画を中心に活動をしていました。絵の修学期にあたるこの時期に、幸野楳嶺をはじめ、渡辺省亭や今尾景年などによる美麗な花鳥画譜が次々に発行されていた状況は、古邨の画風形成や活動の方向性を定める上で決して無関係ではなかったことでしょう。
明治36年(1903)、27歳の時に日本画の制作から離れた古邨は、活動の拠点を木版画に移します秋山武右衛門と松木平吉という二つの版元から発行した古邨の花鳥版画は、制作当初から海外の客層に向けて制作されたものでした。これらは伝統的な彫摺技術-あてなしぼかし(何も彫られていない平面の版木に絵具をのせて、目印がないままぼかしをかける技法)や無線摺(輪郭線を用いずに色面だけで形を表現する技法)など-を効果的に用いた、肉筆画と見まがうばかりのみずみずしくも静謐な画面が特徴です。季節や時間、大気の変化までをも繊細な色調の濃淡で表現した、古邨による詩情豊かな花鳥の世界をご覧ください。