展覧会
-近代京都画壇の開拓者- 幸野楳嶺
【趣 旨】
幸野楳嶺(1844~1895)は、幕末から明治という時代の変革期を生き、数々の優れた作品を残すと同時に、京都府画学校という日本初の近代的な美術の教育機関の設立に関わるなど、京都画壇の近代化に先鞭をつけた画家です。
楳嶺は、京都に生まれ、円山派の画家 中島来章(1796~1871)、次いで四条派の塩川文麟(1808~1877)に師事しました。彼の作品には、京の地に続いてきた円山四条派を受け継ぐ、写生に基づきつつも情感の漂う穏雅な花鳥画が多く見られます。また、特筆すべきは、画学校や画塾・幸野私塾などの場で後進の教育に熱心にあたったことです。自身が継承・開拓した画風を後の大家竹内栖鳳(1864~1942)や菊池芳文(1862~1918)らに伝え、彼らの表現の基底を築いた点においても、京都画壇史上欠くべからざる存在であることは確かでしょう。
このたびの企画では、楳嶺の作品を中心に、彼の師である来章や弟子の栖鳳、盟友とも言える存在であった久保田米僊(1852~1906)らの作品、そして幸野私塾で使われていた粉本、画譜などから、多角的に楳嶺の画業とその時代をご紹介いたします。
【基本情報】
[会期]2020年10月31日(土)〜2020年12月27日(日)
[開館時間]10:00〜17:00(入館は16:30まで)
[休館日]月曜日(ただし、11月23日〈月・祝〉は開館)、11月11日(水)、24日(火)
[入館料]一般1,000円 高・大学生500円 中学生以下無料
*障がい者手帳などをお持ちの方は半額。介添えの方は1名無料。*20名以上の団体は各200円引き。
[タクシー来館特典]タクシーでご来館の方、タクシー1台につき1名入館無料
*当館ご入場の際に当日のタクシー領収書を受付にご提示ください。
[主催]海の見える杜美術館
[後援]広島県教育委員会、廿日市市教育委員会
【イベント情報】
■ミニスライドレクチャー
(今回出品する楳嶺作品を中心に、当館学芸員がスライドを用いて解説いたします)
[日 時]11月14日(土)、12月12日(土)、13:30~(45分程度)
[会 場]海の見える杜美術館 講義室
[参加費]無料(ただし、入館料が必要です)
[参加人数]5名程度
[事前申込]不要
【章立て・主な出品作品】
第1章 はざまの時代の画家 幸野楳嶺
幕末の京都に生まれた楳嶺は幼い頃から絵を描くことを好み、九歳で絵の道に入りました。青年期に幕末明治の動乱期を迎え、画家として不遇の時代を経験します。幕末の戦乱に町は焼け、政治と文化の中心が東京に移り、人々に絵を買う余裕はなく、京都の美術界は衰退の一途を辿っていくように思われた時代でした。そのような境遇にあって、画家の仕事の領域を開拓するように、楳嶺はあらゆる画題、画風の作品に取り組んでいます。
楳嶺は花鳥、人物、風景それぞれに、写生を基軸とした優品の数々を残しています。それらは一見、前時代の気風を守る穏やかな作品にも見えますが、《蓬莱仙境図》などでは、伝統的な画題を引き継ぎながらも、モチーフの選択や描写態度によって、仙人が住むという伝説の島を現実に即した風景に落とし込んでおり、「近代の画家」楳嶺の視点が感じられます。
時代の変革期という狭間を生き、近代化へと突き進む時代の変遷に臨機応変に対応した画家・楳嶺の作品をご覧ください。
幸野楳嶺 馬猿図 1877年(明治10)
第2章 楳嶺をとりまく人々
ここでは、楳嶺をとりまく画家たちの作品をご覧いただきます。
楳嶺は、はじめに中島来章、そして塩川文麟という、異なる画風を持つ二人の師につき学びました。新鋭の若手画家として活躍する頃には、同世代の画家、久保田米僊らと共に、京都の美術興隆をはかり、日本初の公立美術学校、京都府画学校の設立に奔走しました。同世代の画家鈴木松年とはよきライバル関係であったことも伝えられます。自身の画塾においても後進の教育に熱心にあたり、「楳嶺四天王」と呼ばれた菊池芳文、谷口香嶠、竹内栖鳳、都路華香らは、東京に劣らない京都画壇の存在感を世に知らしめた次世代の重要な画家たちです。彼らの作品から、楳嶺が多くの画家と関わりながら切り開いていった時代の様相をご覧ください。
第3章 教育者としての楳嶺
楳嶺は、後進の教育に尽くしたことが大きく評価される画家です。「わしは甘んじておまへ達の踏み台になる。だからおまへ達は遠慮なくわしを踏み台にして出世するがよい」と、弟子たちを叱咤激励し育てたといいます。楳嶺の塾・幸野私塾では、運筆や古画の模写、写生など、整備されたカリキュラムに沿って、弟子たちは画の技術を基礎から学ぶことができました。また、模写や写生、自身で描いた絵の下絵等をカテゴリごとに分類して管理し、それらは自身や弟子たちの画題に対する知識の獲得や、制作のための手本として役立てられたと考えられます。
また、楳嶺は、絵画制作の手本となる画譜類を多く手掛け、それらは出版され、弟子以外の画家たちにも広く利用され、広範な影響を及ぼしました。
ここでは、弟子の栖鳳が独立する際に描き贈った《鳳凰図》、教訓的な意味を込めて描き画学校に寄付した《孟母断機図》などと合わせ、熱意あふれる稀代の教育者としての楳嶺像をご覧ください。