うみもり香水瓶コレクション 29  イギリスの牧歌的風景

こんにちは。現在、海の見える杜美術館では、「誘惑する風景 近代日本画探索」と題した、当館所蔵の風景画を一堂に会した近代日本画展を開催しています。それに合わせて、香水瓶展示室でも風景の描かれた香水瓶を展示しています。

例えば、バラの花束とともに、イギリスの田園風景が描かれた上画像の作品です。この風景部分をよく見てみますと……👇

青々と茂った大樹のそびえる田園で、牧人が家畜の群れを連れて歩いていく、のどかな情景が描かれています。反対側にも同様に、牧歌的な風景が👇。

 こちらは水の流れる草原で、牛や羊、そして牧人までもが憩っています。茜色に染まり始めた彼方の空や、牧人の後ろ姿からは、一日の仕事がまもなく終わろうとする、のんびりと穏やかな雰囲気がよく伝わってきます。

しかしながら、風景のこの素朴さとは対照的に、本作品全体のデザインは極めて典雅です。例えば、高貴な群青色の下地に描かれた白と金の模様、繊細な彫金がなされた金色に輝く金属部分、全体を覆う艶やかなエナメル。とりわけ、風景画や花束の図を縁取る窓の流麗な曲線ときたら! こうしたすべてが、宮殿や城館の華やかな室内装飾を彷彿させます。実際、本作品は室内の小型の円形テーブルの上に飾られて使われました。ロココ様式と新古典主義の混在した18世紀後半のお屋敷のインテリアに調和するように作られたものであったのです。

しかしなぜこの香りの容器は化粧台の上ではなく、小型円形テーブルの上におかれていたのでしょう? その理由は、本作品が単なる香水瓶ではなく、ボンボニエール〔菓子器〕を兼ねていたからです。往時には、本作品の上部には香水が、下部にはドロップが収められました。ですので、瓶中央の蓋を開けてドロップを、蓋の上部のキャップを開けて香水を楽しむことができたのです。と、言葉で説明しても、今一つわかりづらいと思いますので、一目瞭然たる画像をご覧くださいませ👇

こちらは、本作品と同じ構造をした1760年頃のイギリス、サウス・スタフォードシャー、ビルストンの作品です。こうした構造の容器が作られたのには、実は当時の衛生観念が深く関係しています。

18世紀は、王侯貴族や上流階級の間で衛生観念が変化し、発達した世紀でもあります。それ以前は、入浴によって伝染病に感染する疑いがあるとみなされていたため、湯あみは極力控えられていました。王は公共のサウナの閉鎖を命じ、教会も公序良俗ために入浴を禁じました。今日ではにわかに信じられないことですが、当時、風呂は体液の調子を乱すものとも、また湯あみで開いた毛穴から感染しやすくなるとも考えられていたのです。したがって、医者たちは頻繁に体を洗うことに反対していました。以前、このブログでも取り上げた1655年ロンドンの腺ペストや、フランスにおける最後のペストとされる1720年のマルセイユの大ペストなど、当時の感染症の猛威に鑑みますと、感染から少しでも逃れたいとの切実な思いがそうした考えを信じさせたことも頷けます。ただ興味深いことに、水自体は危険極まりないものとされた一方で、そこにひとたび香りを付け加えた芳香水となると、あらあら不思議、どうした訳か、むしろ身体を守ってくれるよい効果をもたらすものとされました。芳香が瘴気を遠ざけるという考えが、あらゆる場面に浸透していたのですね。ですので、小瓶に詰めた芳香水が水代わりとなって体を清めてくれるので、入浴して体を洗わないことが問題視されることは長らくありませんでした。

しかし、そのような考えが変化していくのが、まさに本作品が作られた18世紀です。17世紀末にはペストが収束していったイギリスでは、衛生を第一とする観念がフランスに先駆けて普及します。それにともない、入浴も見直されるようになりました。なんでもサウナ風呂まで登場し(もれなく毛穴が開いてしまいそうです!)、町中のあちこちにその施設が作られたといわれています。イギリスのこの影響を受けて、フランスもペストが落ち着いたルイ15世の治世下には、入浴をし体を洗う習慣が富裕層の間で復活しました。それでもまだ、お湯は警戒されていたため、当初は水風呂のみであったというのですから、入浴といえば、きれいさっぱり諸々洗い流して、温かいお風呂でほっと一息♨という私の想像とは、いささか異なるものであったようです。

翻って本作品は、衛生観念が口の中にも及んでいたことを教えてくれます。というのも、このボンボニエールに収められたのは、甘いお菓子としてのドロップではなく、あくまでも口腔衛生を保つための香り付きドロップであったことがわかっているからです。当時は、円卓に本作品のようなボンボニエールを飾ることが、エレガントなたしなみとされていました。

それにしても、一体どのような香りのついたドロップだったのでしょう――。たしかな資料がないために特定に至りませんが、あれこれ想像するのも楽しいものです。18世紀は香りの趣味にも大きな変化が起こった世紀だからです。

入浴習慣をやめていた時代に重用されたのは、体臭をごまかすための動物由来の強い香りでした。しかし18世紀には、それがより軽やかなフローラル・ノートへと変化します。さらに、非常に手間のかかっていたシトラス油の抽出にも、圧搾器という画期的な道具が考案されて、シトラス・ノートがオーデコロンにも使われるようになりました。つまり、18世紀は、むせるような香りから、優しく爽やかな香りへと移り変わっていった世紀なのです。

そして、より瑞々しい香りを存分に味わえる、のどかな自然のなかでの散策も流行しました。当時は、散策時に長く垂れたドレスの後裾が汚れないように、ポケットのなかから後裾を上げ下げできる、専用のドレスが登場したほどです。美しい野辺の風景や花々が両面に描かれた本作品も、そうした時代背景をよく表しています。

また、企画展「誘惑する風景 近代日本画探索」に合わせて、風景画という観点から本作品を見ると、興味深い時期の作品であることがわかります。

日本においては、中国より伝わった山水画が古くから数多く描かれてきたため、少々意外なことですが、フランスやイギリスにおいて自然を主題とした風景画が独立したジャンルとして確立されるのは、近代になってからです。それ以前は、主題ではなく背景として描かれるのみでした。もちろんオランダでは風景画が制作され人気を博していましたが、他の地域では歴史画〔キリスト教や神話が主題〕を頂点とする伝統的な絵画のヒエラルキーのなかにおいて、下位のジャンルとみなされていたのです。

しかし、本作品の制作された少し前にあたる1750年代後半のイギリスにおいて思想家のエドマンド・バークが『崇高と美の観念の起源』を著します。そこでは、自然が崇高なものとみなされました。それは、絵画の主題を考える上で、非常に新しい考え方でした。そして以後100年以上にわたって、自然のあるがままの姿を主題に据えた作品への関心が高まっていき、やがては19世紀のカンスタブルやターナーや、「牧歌的風景画」にも価値を認めたフランスのヴァランシエンヌや、コローといった風景画の巨匠たちに引き継がれていくのです。

本作品は、そうした風景画の黎明期の作品です。ぜひ企画展と合わせて、香水瓶展示室にて、イギリスの牧歌的風景もお楽しみくださいませ。

岡村嘉子(特任学芸員)

■ 企画展示室情報: 誘惑する風景 ―近代日本画探索― – 広島 海の見える杜美術館 ■

[会期]2024年10月12日(土)〜12月8日(日)
[開館時間]10:00〜17:00(入館は16:30まで)
[休館日]月曜日(但し10/ 14、11/4は開館)、 10/15(火)、11/5(火)
[入館料]一般1,000円 高・大学生500円 中学生無料
*障がい者手帳などをお持ちの方は半額。介添えの方は1名無料。*20名以上の団体は各200円引き。

[タクシー来館特典]タクシーでご来館の方、タクシー1台につき1名入館無料
*当館ご入場の際に当日のタクシー領収書を受付にご提示ください。

『蘇州版画 東アジア印刷芸術の革新と東西交流』が刊行されます

昨年の展覧会「蘇州版画の光芒―国際都市に華ひらいた民衆芸術―」の記念講演会「中国版画研究の現在」の発表を軸に構成された論文集、『蘇州版画 東アジア印刷芸術の革新と東西交流』が勉誠社から出版されます。

以下出版社HPより

芸術文化の古い歴史を持ち、経済的繁栄をきわめていた17、18世紀の中国・蘇州市に生まれた「蘇州版画」。
吉祥的な画題のみならず、教訓、歴史故事、名所旧跡、通俗文学や詩の絵解きなどさまざまな題材をとり上げ、当時の都市のにぎわい、市民の暮らしぶりを大きな画面に描き伝える貴重な視覚資料でもある。
技法も多彩で、濃淡の墨摺にはじまり、複数色の色刷り、さらに手彩色によって色数を増やし、また、舶載された西洋銅版画などの陰影法や透視図法も積極的に応用する。
これらの蘇州版画は、江戸時代には長崎に大量にもたらされ、ヨーロッパにも輸出されて宮殿の室内を飾り、美術工芸品への応用が注目されてきた。
近年新たな発見や蒐集が進み、内外で学際的な関心の対象として注目を集めている蘇州版画。
中国版画史を突出して彩るその歴史と世界的広がりを、国内外の第一線の論者が多数の図版を交えて明らかにする貴重な一書。

予約販売が始まっていますので、ご興味のある方は是非お申し込みください。

蘇州版画 [978-4-585-32541-3] – 3,520円 : 株式会社勉誠社 : BENSEI.JP

さち

うみもり香水瓶コレクション 28  食材をモティーフにした香水瓶

こんにちは。前回は「チューリップに蝶」と「サクランボに鳥」が表現された作品をご紹介しましたが、今回は「エンドウマメに小鳥」が組み合わされた作品等をご紹介します。こちらは、ただいま企画展示室で行われている、飲食をテーマにした展覧会「美酒佳肴 ――絵で味わう美きもの――」に合わせて、香水瓶展示室に陳列している作品です。

 正直なところ、本作品は展示室で陳列する際に、いささか苦労します。というのも、形状がエンドウマメそっくりに作られているため、そもそも直立する形をしていないからです。そのため、裏側からしっかりと支える専用の台などを駆使して陳列しています。しかし、この香水瓶らしからぬ形状ゆえに、遊び心が刺激され、愛着が湧く作品といえます。可愛い上に、機知に富んでいて楽しいのです!

 例えば、下部に顕著に見られる、丸い膨らみ。表面のこの凹凸は、いかにも莢のなかに丸くふっくらとしたマメがあるかのような、巧みな表現です。

↑ この部分です!©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima 

 しかも、ただ単に実物に似せるのではなく、エンドウマメの愛らしい花を描き、周囲を丹念に彫った金で縁取るという、優美で気品ある仕上げがなされています。さらに栓には、純白の小鳥を配して、「マメをついばむ鳥」という物語性まで付け加えられています。

 この小鳥は、イギリスの名窯、チェルシー磁器工房が手掛けています。つまり本作品の洗練された愛らしさは、金細工、エナメル〔七宝〕細工、磁器という構成要素全てにおける、卓越した質によるところも大きいのです。

 また主題が、フランスで「緑色のきれいな真珠」とも称されるエンドウマメであることも、本作品が品格を感じさせる理由でしょう。かのルイ14世(1638-1715)は、エンドウマメを愛し、このマメの流行を引き起こしました。当時は、料理はもちろんのこと、ドレスなどの衣服にエンドウマメの図柄が用いられました。従って、18世紀半ばにイギリスで製作された本作品は、おそらくこの流行の影響を受けていると思われます。

 エンドウマメの歴史は古く、すでに1万年前から存在していたともいわれています。少なくとも古代エジプトや古代ギリシャには、食用とされた記録があり、世界最古の農作物のひとつと考えられています。中世まではエンドウマメを乾燥させて食べていましたが、以後は様々な状態で使われるようになったことで、世界各地の美味しい料理の食材となっています。思いつくままに挙げてみても、ポタージュにサラダにお肉料理の付け合わせに、あるいは中華料理にも欠かせない存在ですね。

 日本ならではのエンドウマメの使い方といえば、甘党の私としては、うぐいす餡や甘納豆が真っ先に浮かびます。日本における本格的なエンドウマメの栽培は、明治以降のようですが、既に9~10世紀には遣唐使によって中国から伝わったことがわかっています。

 このようにエンドウマメが古今東西で愛されているのは、やはり風味豊かでとろけるような味ゆえのことでしょう。エンドウマメ特有の味のまろやかさを、本作品は繊細な色彩と流麗な花模様、そして精緻な金細工によって余すところなく表現しています。

 さて香水瓶展示室では、松かさをかたどったこちらの作品も展示しています👇

 アール・ヌーヴォーを代表する芸術家であり宝飾品製造者のリュシアン・ガイヤール(Lucien Gaillard 1861-1942)が手掛けた作品です。栓にはプレス成形した松かさが、曇りガラスの瓶にはガラスと茶色パチネで立体感を出した松かさの帯飾りが施されています。詩情をたたえた美しさとでもいうのでしょうか、この静かな佇まいに、いつもはっと息をのみます。

 ところで、古代の香りについて調べる際に、私は古代ギリシャの名著、ディオスコリデス(Pedanius Dioscorides)の『薬物誌』をしばしば紐解きます。1世紀に書かれた本書には、松かさについても詳しい記述があります。それによると、きれいにした松かさを食べたり、干しブドウ酒とキュウリの種とともに服用したりすると、膀胱や腎臓の周囲の疝痛を和らげる、とか、新鮮な松かさを丸ごと粉砕して干しブドウ酒で煮たものを毎日同量摂取すると、慢性の咳に効果がある等々、様々な効能が記されています。

 ただいくら効き目があるとはいえ、今の時代に、洗った松かさをバリバリと召し上がられる方(想像するだけで、ちょっとおののきます)は稀有と存じます。しかし、松かさのなかの松の実でしたら、はるかに身近な存在ですね。ジェノヴェーゼに錦松梅にと、洋の東西を問わず数々の料理で日頃口にする食材です。ディオスコリデスはこの松の実に関しても、体を温める作用や、咳や胸部の疾患への効能を詳述しています。

 本作品は、食欲すらも一瞬忘れそうな静謐な香水瓶ではありますが、滋味深い松の実の造形ゆえに、飲食がテーマとなればやはり欠かすことのできない作品です。

岡村嘉子(特任学芸員)

追記:今回のエンドウマメに関する記述には、フランスの友人で文化ジャーナリストのジャン=リュック・トゥラ=ブレイス(Jean-Luc Toula-Breysse)の著作、Les nouilles coréennes se coupent aux ciseaux : Miscellanées gourmandes et voyageuses を参照しました。本書には、丁寧で読みやすい日本語訳も出版されています 👇

Photo ©Yoshiko Okamura

 「エンドウ」や「塩」をはじめとする、本書に収録された食材の特徴や調理法、使われ方や逸話は、世界の歴史や多様な文化についての理解を深めてくれるものです。博覧強記のジャン=リュックでなければ決して完成しえなかった大著です。

邦訳:ジャン=リュック・トゥラ=ブレイス『イラストで見る 世界の食材文化誌百科』土居佳代子訳、原書房、2019年12月。

原書:Jean-Luc Toula-Breysse, Les nouilles coréennes se coupent aux ciseaux : Miscellanées gourmandes et voyageuses, Arthaud, Paris, 2017.

「美酒佳肴」展、引き続き好評開催中です

9月9日の重陽の節句も過ぎたというのに、まだまだ真夏と同じ暑さが続く日々に驚かされます。

以前よりも秋が短くなった昨今ですが、巷にはイチジクや葡萄、梨など、晩夏から秋の果物が出回っていますね。

9月17日は中秋の名月(旧暦8月15日の十五夜)。

お月見には月見だんごが思い浮かびますが、この時期に穫れる里芋などの芋類がよくお供えされたため、中秋の名月は「芋名月」とも呼ばれます。

秋に河川敷で芋煮会をする東北・山形出身の私の実家でも、毎年中秋の名月には里芋がお供えされていたのを思い出します。

ちなみに旧暦9月13日の十三夜は、「栗名月」や「豆名月」と呼ばれます。芋名月と同じように、この頃に穫れる栗や豆がお供えされたため名付けられたそうです。

(余談ですが、私の実家では十三夜には栗がお供えされていました。)

十三夜は、秋が深まり涼しくなって空気が澄むため月がよりきれいに見えるともいわれ、満月よりも少しだけ欠けた月の方が趣深いと、こちらも名月として名高いものです。

   

さて、展覧会の会期も残すところあと10日ほどとなりました。

先日、果物を描いた中国版画作品や、魚を描いた歌川広重や大野麥風の版画作品の展示替えを行いました。また新たに展示された作品もご堪能ください。

左より 歌川広重《縞鯛・あいなめに南天》天保(1830~44)後期頃 海の見える杜美術館
      《かながしら・木の葉鰈に笹》天保3~4年(1832~33)頃 海の見える杜美術館
 大野麥風《大日本魚類画集 第4輯第2回「アイナメ」》昭和15年(1940)10月 海の見える杜美術館                      

また、当館の竹内栖鳳コレクションをご紹介する「竹内栖鳳展示室」では、「栖鳳作品に見る食の文化」をテーマに、栖鳳が絵付けした鉢や茶碗、猪口などのほか、食に関する作品を併せて展示しています。

スケッチ帖や習作として描かれた魚や野菜を描いた作品からは、栖鳳の鋭敏な感性が感じられます。栖鳳が日常目にしたのであろう身近な食材が、何気なくさらりと描かれています。京都の料亭「亀政」の長男として生まれた栖鳳は、幼いころから食文化に親しんできたのでしょうね。

栖鳳が絵付けをした猪口
左より《酒猪口 虎》《酒猪口 鰹》《酒猪口 鶴》大正8年(1919) 海の見える杜美術館
竹内栖鳳《習作》制作年代不詳 海の見える杜美術館

「美酒佳肴」展は9月23日(月・休)までです。

秋晴れの空のもと、遊歩道の散策が、少しずつ気持ちの良い季節になってきました。うみもりテラスからの眺めも、空気が澄んできてまた格別です。ぜひ展覧会とあわせてお楽しみください。

次回展「誘惑する風景―近代日本画探索―」が10月12日から開催予定です

今年の夏は夏好きにとってもなかなか手ごわい暑さで、秋の訪れを待ち遠しく思う今日この頃です。

少し先の展覧会のお知らせですが、海の見える杜美術館では10月12日から、冬季企画として「誘惑する風景―近代日本画探索―」展を開催いたします。当館が所蔵する近代作品の中から、風景を描いた作品をご紹介する企画…の予定です。

風景画、というと、どこが描かれているのか、そこに何があるのかを見るのも楽しみの一つですが、今回の展覧会では「なぜその風景がその時代に描かれたのか」という点も考えてみたいと思っています。

高橋史光 《室の津》1931年(昭和6)頃

今回の展覧会でも、近代の画家たちの力作が並ぶ予定です。是非ご覧いただきたい作品がいくつもありますが、高橋史光の《室の津》もそのうちの1点です。

高橋史光(1897~1970)は帝展を舞台に活躍した京都の日本画家で、この作品は兵庫県室津を描いたものと考えらえる作品です。これは第12回帝展に同画家が出品した《室の津》と同じ題材、同じ図様の作品です。明るい色彩と緻密な描写、細やかに描かれた女性たちの生活の様子や花々など、見ていて飽きない魅力的な作品です。

本作品はじめ、当館が所蔵する近代の風景画作品の数々をご紹介する予定です。現在の展示「美酒佳肴―絵で味わう美きもの―」もご好評いただいておりますが、次回展もよろしくお願いいたします。

※高橋史光画伯の作品について、現在著作権保護期間中ではありますが、今回、文化財の公開の目的のもと、本ブログ記事に掲載させていただきました。高橋史光画伯の著作権継承者の方は、お手数ではありますが、当館(mail:info@umam.jp ℡:0829563221)までご連絡くださいますようお願いいたします。

「美酒佳肴」展、開催中です!

まだまだ暑い日が続きますが、立秋を迎え、暦の上ではもう秋ですね。

秋と言えば芸術鑑賞に、秋の味覚。

現在、海の見える杜美術館では、そんな秋にご覧いただきたい「美酒佳肴―絵で味わう美(うま)きもの―」展が開催中です。

本展では、飲食という観点から、絵画作品にみられる風俗表現、動植物表現をご覧いただきます。当館所蔵の日本絵画コレクション、中国版画コレクションに加え、近年新出の長沢芦雪作品も初出陳しています。どうぞこの機会にご覧ください。

展覧会ブックレット(税込み550円)も販売中です

展覧会は9月23日(月・休)までです。

人々が美酒と旬の佳肴を味わい、人生を謳歌する様子を作品とともにお楽しみください。

「百花百鳥」展、開催中です!

蒸し暑い日々が続き、梅雨明けを待ち遠しく思っている毎日です。

海の見える杜美術館で開催中の「百花百鳥」展は、会期が残すところあと5日となりました。

美術館1Fのおすすめフォトスポットです

本展では、江戸時代から明治、大正時代にかけて制作されたさまざまな花鳥版画作品を展示しています。ここでは、歌川広重、幸野楳嶺、小原古邨の作品の展示風景を少しだけご紹介します。

第2章 広重花鳥版画の世界 より

浮世絵における花鳥版画のジャンルは、江戸時代の天保年間(1830~1844)初期に浮世絵師の歌川広重の活躍によって確立しました。

広重の花鳥版画は、四季の草花や樹木にさまざまな鳥を組み合わせ、漢詩などの詩文を書き添えた格調高いもので、膨大な数の作品が制作されています。

四季の情緒を日々の生活にもたらす広重の花鳥版画は大小さまざまな判型でつくられ、当時の人々に広く愛されていたようです。

第3章 幸野楳嶺が残したもの より

明治の京都画壇を代表する幸野楳嶺は、鳥を描くのを得意とした画家です。

本展では楳嶺が描いた数多くの画譜や、一枚摺りの多色木版画《楳嶺花鳥画譜》(明治16年)に加え、今回の出品作中唯一の肉筆画作品である《百鳥図》(明治22年)も展示しています。

《百鳥図》は画面中央のツルをはじめ全55種類の鳥が一幅に所狭しと描かれた面白い作品です。どのような鳥が、どのように描かれているのか、展示室内のパネルと共にぜひチェックしてみてください。

第5章 小原古邨の花鳥版画 より

小原古邨は、明治30年代から大正・昭和期にかけて詩情豊かな花鳥版画を制作しました。当時から海外市場を念頭において制作・販売されたため、専ら欧米諸国で愛されてきました。

近年は国内でも研究が進み、展覧会等でも徐々に紹介されるようになってきた画家です。

伝統的な彫摺技術を用いながらも、海外の顧客を意識して制作された古邨の作品は、繊細な色調の濃淡で巧みに花鳥が表現されています。

木版技術の粋を集めた古邨の花鳥版画作品をぜひご堪能ください。

また、当館の竹内栖鳳コレクションをご紹介する「栖鳳展示室」では、「栖鳳が描く花と鳥」をテーマに併設展示を行っています。 涼やかな青柳にとまる白鷺を描いた《柳鷺図》や、風雨に翻弄されながら飛ぶ烏を描いた六曲一双屛風の《白雨烏》など、栖鳳が描いた花と鳥の作品をご覧いただけます。

竹内栖鳳《柳鷺図》1917年 海の見える杜美術館蔵

「百花百鳥」展は7月15日(月・祝)までです。

13日(土)13時半からは、本展最後の展示解説も実施します。この機会にぜひ、海の見える杜美術館が誇るうるわしき花鳥版画の世界をお楽しみください。

うみもり香水瓶コレクション27   香水瓶の花鳥表現

《セント・ボトル》イギリス、チェルシー、1758年頃、軟質磁器、金属に金メッキ、海の見える杜美術館 SCENT BOTTLE, England, C.1758, Soft paste porcelain, gilt metal, Umi-Mori Art Museum, Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima 歌川広重 《牡丹に蝶》横大判、天保3-4年 (1832-33)頃、丸屋甚八、海の見える杜美術館 

 こんにちは。現在、海の見える杜美術館の企画展示室では、「百花百鳥 うみもり・うるわしの花鳥版画 」と題した、当館が所蔵する近世から近代にかけての花鳥版画を集めた展覧会を開催しています。それに合わせて、香水瓶展示室でも花鳥表現による香水瓶を展示しています。

 例えば、企画展出品作の歌川広重《牡丹に蝶》にならって、「チューリップに蝶」と称したくなる上の画像の作品。こちらは、18世紀半ばのイギリス、チェルシー磁器工房による作品です。ヨーロッパでは、こうした花に誘われた蝶の表現が、香りの優雅さを造形で伝えるために使われました。たしかに本作品も、磁器の鮮やかな色調もあいまって、気品ある瑞々しい花の香りが漂ってくるかのような作品です。

 ところで、抽象表現、具象表現、細密表現等々、世には様々な表現がありますが、この「花鳥表現」に私は、理屈抜きでとても惹かれます。静かな展示室でその表現に行き合うと、動植物のかすかな息遣いをふいに耳にした気がして、立ち止まらずにはいられません。そしてしばし作品を見つめていると、自分自身の呼吸も穏やかに整っていくのを感じます。それゆえ、私にとっては平穏さをもっとも味わえる表現の一つです。

 そのため、この度、香水瓶と花鳥版画を組み合わせることを(香水瓶展示室のある1階と企画展示室の2-3階と、展示室自体は離れていますが)、個人的に非常に楽しんでいます! とりわけ当館は、浮世絵における花鳥画のジャンルを確立した歌川広重の国内最大規模の花鳥版画コレクションを有します。ですので、いわば傑作ぞろいの展示室となっているため、好奇心が刺激され、日欧の花鳥表現をあれこれ比較してみたくなるのです。

 冒頭の「チューリップに蝶」に限らず、もともと自然に基づくテーマを好むイギリスでは、香水瓶にも多くの花鳥表現が見られます。とくに18世紀は、動植物をかたどった繊細な色調の磁器製香水瓶が、盛んに製造されました。

 こちらの作品は、桜の木の上でサクランボをついばむ鳥を表現したチェルシー磁器工房のセント・ボトルです。

《セント・ボトル》イギリス、チェルシー、1755-58年、軟質磁器、金、海の見える杜美術館 SCENT BOTTLE, England, 1755-58, Soft paste porcelain, gold, Umi-Mori Art Museum, Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima 

 しかしながら、どうしても気になってしまうのは、この鳥の種類です。オウムに似た色鮮やかな尾長の鳥で、南国を思わせますね。体長もかなりありそうです。一体、どのような鳥なのでしょう?

 多くの国民が春の風物詩として桜を愛するこの日本では、町でも野でも山でも、至る所で桜を目にする機会に恵まれます。当館の庭にも、全国から移植された10種類以上の桜の木があり、日ごろから馴染み深い樹木といえばやはり桜が真っ先に浮かびます。これほど桜に親しみながらも、私はいまだかつて、桜の木にこのような南国風の大きな鳥が憩っているのを目にしたことはありません。本作品の制作地イギリスも、日本より北に位置しますので、同様と思います。つまり、改めてじっくりと見てみると、桜と鳥のこの組み合わせは、とても奇異なのです! そして、ここにこそ、日本の花鳥版画における表現との違いがあるといえるでしょう。

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima  思いのほか、食いしん坊です(笑)。

 江戸時代中期以降の日本の花鳥版画は、八代将軍徳川吉宗が推奨した本草学や、博物学の成果を取り入れながら発展しました。ゆえに、丹念な自然観察に基づく表現が多く見られます。それに対し、ヨーロッパの18世紀の磁器の花鳥表現には、写生を逸脱した、幻想的な表現がしばしば登場します。もちろん、イギリスが属するヨーロッパには、古代ギリシャに始まる博物学の伝統がありますので、その正確な自然観察が、とくにルネサンス以降の芸樹作品に大いに活かされてきました。しかし、こと磁器の図柄、とりわけ18世紀のものとなると、そこにあえて幻想的なアレンジをすることが好まれたのです。以前このブログで取り上げたマイセン磁器の図柄に、なんとも奇想天外な想像上の生き物が描かれていたことと同じですね。現実世界ではお目にかかれない動植物やその組み合わせによって、異国情緒あふれる想像上の楽園が表現されているのです。従って本作品は、そのような当時の人々の夢見た世界を今に伝える《セント・ボトル》です。

 では最後に、現代の花鳥表現をご紹介いたします。今回出品したのは、ラリック社の2003年の限定エディションの香水瓶です。

ラリック社、香水瓶《バタフライ》2003年限定エディション、2003年、透明クリスタル、海の見える杜美術館 LALIQUE, BUTTERFLY FLACON, France, 2003,Transparent crystal , Umi-Mori Art Museum, Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima 

 本作品では、2匹の蝶が、ダリアの花の蜜を吸う様子がかたどられています。本作品が見事なのは、本体のクリスタルの透明部分と半透明部分を交差させることで、ダリアの花のボリューム感や立体感を強調している点です。しかも本作品では、クリスタルから透ける香水が、あたかも蝶が懸命に吸う芳醇な密そのもののように見える機知に富んだデザインとなっています。

 ぜひ企画展と合わせて、香水瓶の様々な花鳥表現もお楽しみくださいませ。

 ところで本展示に先立って、新たに収蔵された香水瓶の写真撮影を行いました。撮影をご担当下さったのは、前回同様、東京のエス・アンド・ティ・フォト S&T PHOTOの大塚敏幸氏と尾見重治氏です。

 香水瓶は立体物ですので、ちょっとした角度やライティングで作品の表情が一変します。多種多様な道具を駆使しながら、作品の質がもっともよく表れた瞬間を絶妙に捉えて、次々と写真に収めていかれる様に、ひたすら感服いたしました!

両氏による写真に支えられて、今後も香水瓶の魅力をお伝えしていきたいと思います。

岡村嘉子(特任学芸員)

展覧会情報: 百花百鳥 うみもり・うるわしの花鳥版画 

[会期]2024年6月1日(土)〜2024年7月15日(月・祝) [開館時間]10:00〜17:00(入館は16:30まで) [休館日]月曜日(ただし7月15日(月・祝)は開館)

「百花百鳥」展が開幕しました!

深緑のさわやかな初夏の気候となり、美術館事務所の軒先に巣をつくっているツバメも忙しそうに飛び回っています。

先日、海の見える杜美術館では、緑の美しいみずみずしい季節にご覧いただくのにぴったりの「百花百鳥 うみもり・うるわしの花鳥版画」展を開幕しました。

近世に誕生した浮世絵はもともと美人画や役者絵などが主な画題でしたが、19世紀中頃になると、四季の草花に鳥や虫、魚などを合わせて描く花鳥画をテーマにした花鳥版画が成立し、大きく展開していきます。
本展では、歌川広重の花鳥版画や、幸野楳嶺の花鳥画譜、小原古邨の近代花鳥版画、そして各時代のさまざまな画譜などを、海の見える杜美術館が所蔵するうみもりコレクションの中からご紹介します。四季の情趣にあふれたうるわしき花鳥版画の世界をご堪能ください。

展覧会図録(税込み1,650円)には展示作品全点を掲載
テラスで自由にご利用いただける展覧会仕様の紙コップや、かわいいミュージアムグッズもご用意しています

展覧会は7月15日(月・祝)までです。遊歩道の木々の緑も徐々に色濃くなってきました。ぜひ展覧会とあわせてお楽しみください。

竹内栖鳳展 引き続き好評開催中です

展示替えも終わり、《羅馬之図》にかわり《獅子図》(1901~02年、東京富士美術館蔵)が展示中です。栖鳳が、1900年の渡欧の際にヨーロッパの動物園で実物のライオンを初めて

目にし熱心に観察した、という話はよく知られるところです。こちらの作品もゆったりと歩むライオンを驚くべき迫真性で描き出しています。この絵の前に立つと、描いた栖鳳の気持ちもさることながら、当時これらを見た日本の人々はどんなリアクションをしたのだろう…考えてしまいます。

そして、5月から展示している《絵になる最初》(1913年、京都市美術館 重要文化財)も是非この機会にゆっくりとご覧ください。人体をリアルに表現するためにヌードモデルを用いて写生をしていたにも関わらず、結果的に人体をほぼ隠した作品を描いたというところに栖鳳の潔さ、天才的なセンスを感じます。

今回の展覧会はどの章も担当から見てもそれぞれにいい作品、興味深い作品が展示していると思っていますが、担当として思い入れがあるのが最後の展示室の第6章「栖鳳余録」で、下絵などの資料、栖鳳が集めた写真、絵葉書、師である幸野楳嶺から受け継いだ絵画のお手本など、様々なものを詰め込んでいます。これらは、竹内栖鳳が旧蔵していたものが当館に入り、以降、保管、整理、公開してきたものです。

今回は、栖鳳が若い頃に受賞した賞状やメダルなども少しだけ展示しました。結構な数が残っており、若い頃の賞状をずっと持っていたんだな、と少し意外な気がしました。ご来館の方からも「こんなのあったの?」というお声をいただいております。

栖鳳が長く愛用していたという硯もここに展示。このちいさな硯から数々の名品が生まれたと思うと感慨深いですね。

また今回は芸艸堂から出版された《栖鳳逸品集》の一部を展示しています。

これは1937年4月から翌年12月までの第1期と、1940年1月から1942年6月までの第2期とわかれて頒布された、大変豪華な版画集でした。この画集は、芸艸堂が出してきた画集と比較しても桁違いの質・量・価格だったとのことです。絵柄によって木版印刷、コロタイプ印刷+木版印刷、原色版印刷、と印刷方法を変えて作られました。芸艸堂の高い印刷技術と、栖鳳の晩年においてもなお旺盛な創作意欲が見て取れる作品です。

図録には、芸艸堂様のご厚意で、全66枚の版画を掲載することができました。是非手にとって見ていただきたいと思います。

こちらも同じく芸艸堂から明治時代に出版された『棲鳳画譜』、『栖鳳画譜』です。当館の収蔵品が掲載されています。

天才画家・栖鳳の歩み、そして知られざる一面を作品と資料でご紹介するんだ、といきまいていた担当者ですが、「知らないことたくさんあるな…」と思わされる竹内栖鳳の世界です。展覧会もあと数日ですが、私ももう一度ゆっくり展示を見てみようと思っています。

                                 森下麻衣子