竹内栖鳳《港頭春色図》×黒田天外の手紙×コレクター光村利藻 3

20160303 竹内栖鳳《港頭春色図》黒田天外宛の手紙コレクター光村利藻 3 (1)

竹内栖鳳《港頭春色図》明治38年(1905年) 42歳頃

《港頭春色図》に関する資料があと2つあります。

ひとつは、このシリーズのブログ1で紹介した、黒田天外宛の手紙に記された、香港の風景に感銘を受けて書いた文章「香港は中々の勝地、輻輳せる船舶支那船多く、其構造支那画に多く見る処、芥子園画伝にも有りそうなり。船夫は男女とも共同服装にして、中には老婆の子を背負いつゝ櫓を押し居候。大船には一家族住い居」です。まるでこの作品を説明しているかのようです。

もうひとつは、竹内栖鳳が収集した資料の中に保存されているこの写真です。

20160303 竹内栖鳳《港頭春色図》黒田天外宛の手紙コレクター光村利藻 3 (4)1892 Rayons du soir, port de Camaretde Cottet Charles

竹内栖鳳旧蔵資料より コッテ《カマレの港》(※)

集合する帆船や手漕ぎのボートほか、港の日常風景を絵画作品として成立させているところが目を引きます。

栖鳳は、ヨーロッパの絵画を徹底的に研究し、新たな領域の作品に仕上げただけではなく、特定の西洋画をリスペクトしたと思われる作品もたくさんあります。例えば、渡欧中に面会したフランスの画家ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824 – 1904)が20代前半に描いた《闘鶏》(Jóvenes griegos presenciando una pelea de gallos (Museo de Orsay, París, 1846.)と、竹内栖鳳の名作《蹴合》などです。ぜひ比較してみて下さい。

栖鳳は文字に残した感興は必ずと言っていいほど実現する作家です。そして光村利藻は画家に注文を付けずに好きな絵を思う存分に描かせてくれるコレクターです。栖鳳は、利藻から後世に残す絵を12点描くように依頼を受けたとき、つねづね、西洋画に対抗する東洋画を築きたいと言っていた、その心意気がふつふつとわき上がり、これまで蓄えた東洋美術に対する深い造形、中国の港の風景を初めて直接目にした時の震えるほどの感動、帆船を描いた西洋画に触れたときのひらめき、心に秘めていたいろいろなイメージを昇華させて生まれたのがこの作品なのだろうか、などと、想像をたくましくしてしまいます。(もちろん、この《港頭春色図》が光村利藻のコレクション《泊舟の図》と同定できていませんが・・・。)

竹内栖鳳《港頭春色図》(部分) 明治38年(1905年) 42歳頃

竹内栖鳳《港頭春色図》(部分) 明治38年(1905年) 42歳頃

 

 この絵には、じつに栖鳳らしい自在な工夫がいたるところにあります。パッと見たところでは船上生活を描いた単なる風俗画に見えますが、画中すべての人々に穏やかな空気を漂わせて、幸せな生活を願う中国の伝統的な画題『漁楽図』をふまえた吉祥画に仕立てています。奥の方はモノクロームに近くは色を入れて遠近感を出し、黒墨ではなくセピア色で線を引いてこれまでの日本画にはない暖かい画面にしています。大雑把に描きつつ構造やディティールの表現はじつに緻密で写実的です。密集する船に動きや静止を与えたのは、コッテ作《カマレの港》を参考にしているようです。(「表紙作品紹介」 季刊誌『プロムナード』海の見える杜美術館 2016年春号)

 

つづく

 


竹内栖鳳は無数の絵画資料を収集し、分類保管していた。そのうちの1枚。

20160303 竹内栖鳳《港頭春色図》黒田天外宛の手紙コレクター光村利藻 3 (5)1892 Rayons du soir, port de Camaretde Cottet Charles
台紙に張られた写真

20160303 竹内栖鳳《港頭春色図》黒田天外宛の手紙コレクター光村利藻 3 (6)
表には印「竹内図書」

20160303 竹内栖鳳《港頭春色図》黒田天外宛の手紙コレクター光村利藻 3 (7)
裏にはシール「No.189 絵」

20160303 竹内栖鳳《港頭春色図》黒田天外宛の手紙コレクター光村利藻 3 (3)
写真左下に「2324 Musee Du Luxembourg Le Port de Camaret. Cottet」。リュクサンブール美術館のコッテ作《カマレの港》と記されている。写真とネット上の画像を比較する限り、現在、オルセー美術館の公式ページに所蔵品として紹介されているCharles Cottet (1865-1925)《Rayons du soir, port de Camaretde》 1892 と同一のように思える。所蔵館には未確認。

 

さち

青木隆幸

竹内栖鳳《港頭春色図》×黒田天外の手紙×コレクター光村利藻 2

光村利藻(1877-1955 明治-昭和時代前期の実業家)という大コレクターをご存知でしょうか。竹内栖鳳の作品を600点以上収集していて、その中には、日本美術の中にローマの遺跡を出現させた記念碑的名作《羅馬古城図》(※1)や、当時の日本人が見たことのなかったライオンをリアルに描いて世間を大いに驚かせた《獅子図》(※2)を始め、《蕭条》(※3)、《平軍驚水禽図》(※4)など数々の名品が含まれていたことが伝記に記されています。(増尾信之『光村利藻伝』非売品 光村利之 1964)


20160302『光村利藻伝』243-244頁
『光村利藻伝』243-244頁

 

1906年頃、光村利藻は後世に名品を残すことを目的として、竹内栖鳳に12点の作品制作を依頼し、《盛夏午後の図》、《悲愁図》、《泊舟の図》、《山桜》、《獅子の図》の5点が制作されたところで、経済的な破たんにより、計画は頓挫しました。

20160302『光村利藻伝』242-243頁
『光村利藻伝』242-243頁

 

『光村利藻伝』に記された《泊舟の図》の項を読んだ時、思わず当館所蔵の《港頭春色図》を連想しました。「上海付近の河辺の風景で、大河に碇泊している大きな船のまわりにジャンクが密集している風景で、当時の ― 清朝末期の水辺のシナ人の生活状態を描いたもの。」この説明が当館の作品と符合するのです。

竹内栖鳳《港頭春色図》明治38年(1905年 42歳)頃

そして、制作時期や寸法を確認してみると、ほぼ重なることがわかります。

《泊舟の図》
制作時期:1906年頃(伝記制作時の記憶)
寸法:縦約6尺、幅2尺5寸

《港頭春色図》
制作時期:1905年頃(署名落款から推定)
寸法:縦152.8㎝、横71.6㎝
(縦6尺、横2尺5寸と言われる栖鳳作品の実寸はこのぐらいの寸法が多い)

なにより、《港頭春色図》以外に、これらの条件(1906年頃、縦6尺、幅2尺5寸の大きさで描かれた、上海付近の河辺の風景)にあてはまる栖鳳の作品を見たことがありません。

海の見える杜美術館が所蔵する《港頭春色図》は、光村利藻が収集した《泊舟の図》なのでしょうか。作品の他の情報を見てみましょう。

 

《港頭春色図》を入れている箱のふたには、竹内栖鳳直筆の箱書きがあります。

20160302竹内栖鳳 港頭春色図 箱書き (1)                        20160302竹内栖鳳 港頭春色図 箱書き (2)

作品の箱ふたの表   ふたの裏側
「港頭春色図」   「明治庚戌春三月栖鳳題于耕漁荘」

 

「明治庚戌春三月栖鳳題于耕漁荘」は、明治の庚戌の年、つまり1910年の春3月に、耕漁荘(栖鳳の家・アトリエ)にて、栖鳳が箱に題を書いたことを示しています。

この年は、奇しくも、経営に失敗した利藻が再起をかけて、小さな印刷所を立ち上げた1910年と一致します。『光村利藻伝』は、「利藻の経済的な危機を栖鳳は絵を描いて、金に替え援助したことも一再ならずあった」と言います。もしかしたら、利藻が作品を手放すときに、作品が少しでも高く売れるよう、栖鳳が箱書きを買って出て、「港頭春色図」と命名したのではないか、そんなことも考えることができます。それとも伝記に記された《泊舟の図》と海の見える杜美術館所蔵の《港頭春色図》は全く別物なのでしょうか。これらの関係をはっきりさせる資料はまだ見つかっていません。

つづく

※1 現在、海の見える杜美術館蔵 《羅馬之図》
※2 現在、この作品は未確認
※3 現在、京都国立近代美術館蔵 《蕭条》
※4 現在、東京国立博物館蔵 《富士川大勝図》

さち

青木隆幸

竹内栖鳳《港頭春色図》×黒田天外宛の手紙×コレクター光村利藻 1

竹内栖鳳は、パリで開催されている万国博覧会を視察するために、1900年8月1日、神戸港から日本郵船若狭丸に乗船して渡欧しました(*)。9月17日にフランスのマルセイユ港に着くまでの約1か月半の船旅の途中、たくさんの手紙を日本の知人に送りました。

 

  • 黒田天外(譲)宛の手紙

そのなかの一つ、黒田天外(京都日出新聞記者)にあてた手紙に、このようなものがあります。

拝啓 いよいよ御清栄賀し奉り候 (中略) 香港までの事は申上べき事とては無し (中略) 香港は中々の勝地、輻輳せる船舶支那船多く、其構造支那画に多く見る処、芥子園画伝にも有りそうなり。船夫は男女とも共同服装にして、中には老婆の子を背負いつゝ櫓を押し居候。大船には一家族住い居、何事も便し居る様と来居候。洋画家小山正太郎氏も頻りに船の有様色どりなど称賛せり。(後略)
(釈文は筆者が適宜現代の文字、かなづかいに改めた)

 

その続きに、下船して歩き回った香港の様子、香港を出て2日目に遭遇した嵐のことなど書き記しています。

文末には詩を2首

(前略)
瑠璃盆に 銀象眼の浪模様 鉄の船こそ 我が住いなり
ばってらの 底すれすれに 月見かな
八月十四日
黒田天外大兄
若狭丸船中 竹内棲鳳
(釈文は筆者が適宜現代の文字、かなづかいに改めた)

そして別紙にスケッチを一つ付けました。

さて、8月14日に記したこの手紙がどういう経路をたどったかを追ってみましょう。
8月15日に封筒にいれたようです。表書きの自分の名前の後に日付が記されています。

その後の行方を、封筒の消印で追うと


翌8月16日、シンガポールのタンジョン・パガー(TANJONG PAGAR)郵便局で投函され、



同日午後1時45分、シンガポールの本局に届き、


8月23日、香港の郵便局を経由し、


8月31日、日本の神戸郵便局に届いています。

8月31日(金)、あるいは9月1日(土)には、宛先の
「大日本京都 三条通東洞院 日出新聞社 黒田天外」
に届いたはずです。

天外は、手紙の文面そのままに、日出新聞に掲載する事にして、すぐに原稿作成にとりかかりました。手紙に添えられたスケッチは、新聞用の版下にするために、栖鳳の高弟、西山翠嶂に臨模を依頼しました。

そして、9月4日(火)の日出新聞に掲載され、多くの人たちが、竹内棲鳳の渡欧中の生の声を知ることになりました。
当時の人は結構リアルタイムで栖鳳の見たものを共有できていたのですね。

20160301竹内栖鳳《港頭春色図》×黒田天外宛の手紙×コレクター光村利藻 1 (6)

日出新聞 明治33(1900)年9月4日

新聞の日付欄が空白になっているのは愛嬌ですね。発行日が4日であることは前後の新聞で確認しました。

* 丹波丸と記された文献もありますが、誤りです。丹波丸に乗船したのは帰国の時。

つづく

さち

青木隆幸

(本稿に使用した史料はすべて、海の見える杜美術館所蔵)

 

屏風を作りました

今までのブログでもご紹介してきたように、当美術館は、自分たちで作れるものは自分たちで作ろう、というスタンスです。

いつものように、学芸の森下さんから依頼がありました。

森 下 :ちょっと看板がいるので、下地になる屏風を作ってくれる? 予算を使わずに。

うみひこ:  ・・・ 。  テープは買っていいですか?

 

廃材のコンパネと、ガラス繊維入りのテープを使って屏風を作ることにしました。
20151219屏風を作りました (11)

テープを3センチの長さに切って、
20151219屏風を作りました (1)

2枚のテープをつないで、
20151219屏風を作りました (2)

こんなふうに貼りました。
20151219屏風を作りました (10)
20151219屏風を作りました (4)

次々と貼りました。
20151219屏風を作りました (6)

どちらにも自在に動く蝶番のできあがり。
20151219屏風を作りました (5)

 

完成。
20151219屏風を作りました (8)

どんな形も自由自在です。
20151219屏風を作りました (9)

屏風に使われている昔ながらの技法です。

詳しくは「紙蝶番」で検索してみて下さい。

 

うみひこ

 

展覧会へ向けて 内装検討中です

うみもり美術館の基本はDIY!
20151013 美術館 展示室の検討 (1)
まがった壁をつくってみたり、
20151013 美術館 展示室の検討 (3)
入り口の形を変えてみたり、
20151013 美術館 展示室の検討 (5)
保管していた廃材を使って、
20151013 美術館 展示室の検討 (4)
実寸通りに希望の展示室を組み立てています。
内装検討用の工作も、うみひこの大切な仕事のひとつです。

色を塗ると、もう少し見栄えが良くなります。
これから警備スタッフほかのメンバーが協力して、仕上げてくれる予定です。

休館中もいろいろなことをやっています。
まだまだ先は長いですが、展覧会が待ち遠しいこのごろです。

うみひこ

お帰りなさい 展示ケース

当館の所蔵品を中心として構成された『生誕150年記念 竹内栖鳳』巡回展示が8月に無事終わりを迎え、およそ1年ぶりに作品たちが、そして一緒に巡回していた展示ケースたちが帰ってきました。
20150906 お帰りなさい 展示ケース

展示ケースは、作品がよりよく見えるように存在感を消しているので目立ちませんが、作品を衝撃や汚染から守る大切なアイテムです。展示ケースなくして展覧会は成立しません。展覧会の影の主役といってもいいのではないでしょうか。このたびの展覧会に使用した展示ケースは、作品がとても見やすくて良かった、と、お喜びの声を頂戴する事が出来ました。 ホッ。
20150906 お帰りなさい 展示ケース2

海杜のスタッフは、作品の魅力をご堪能いただくためにはどのようにすればいいか、いつも想いをめぐらし、展示ケースや額椽などに工夫を凝らします。たとえば、作品の本来持っている“感じ”を大切にしつつ、隅々まで詳細にご覧いただきたいとの思いから、海杜オリジナルの浮世絵の額が生まれました。
20150906 お帰りなさい 展示ケース3

お客様のご満足の様子を拝見できたとき、体の内側からじんわりと喜びが湧き出てきます。

 

うみひこ

竹内栖鳳没後73年 戦後70年

竹内栖鳳は1942(昭和17)年8月23日に没しました。

その後、時代は戦局悪化の一途をたどり、翌1943(昭和18)年には学徒出陣が始まります。

美術の世界も時局の流れに従い、同じく1943年に『日本美術及工芸統制協会』と『日本美術報国会』の二つの組織に集約されて、徹底的に管理されていきます。国家は、ナチスドイツの文化統制にならって、芸術を権力でねじ伏せ、隷属させるつもりだったのでしょうか。

海杜の所蔵する『日本美術及工芸統制協会』関係資料には、常軌を逸した美術界の生々しい記録が含まれています。単に美術史上の資料にとどまらず、この歴史を二度と繰り返してはならないと警鐘を発している史料でもあります。

 

所蔵史料より

20150830 竹内栖鳳没後73年 戦後70年 日本美術及工芸統制協会資料 (2)

1) 一八企局第三四三〇号

 

20150830 竹内栖鳳没後73年 戦後70年 日本美術及工芸統制協会資料 (1)

2) 美報美統会報

 

 

海杜の所蔵品を中心とした『生誕150年記念 竹内栖鳳』巡回展が、明日8月30日(日曜日)、いよいよ最終館の小杉放菴記念日光美術館で最終日を迎えます。一人でも多くの方がご来館され、美術の醍醐味を満喫していただいて、平和の再認識につながることを願ってやみません。

 

さち

青木隆幸

 

 

1)一八企局第三四三〇号

「一八企局第三四三〇号

昭和十八年十月十八日

商工省企業局長 豊田雅孝

 

社団法人日本美術及工芸統制協会

会長 吉野信次殿

 

日本美術及工芸統制協会支部結成に関する件

今般美術品及技術保存を要する工芸品に対する統制の完遂を期するため貴会支部設置方に関し別紙の通各地方長官宛通牒致候に付ては之が趣旨篤と御諒承の上支部結成に万全の措置相成度此段及通牒候也」

 

 

2)美報美統会報

「美報美統会報

創刊の辞

美報会長 横山大観

 

ここに『美報美統会報』第一号を発刊した 物みな挙げて戦争にささげられる秋 用紙の不充分なのは当然であって、むしろこれを発行し得たことは極みない皇恩の有難さを思はねばならない。思ふに会報は会員相互の親睦、連絡、報告の機関だけに止まらず広く大東亜戦下わが芸学人の活動を伝へて恥なく、これを後世に残して悔なき底の覚悟を以て運営されねばならない。形は小さくとも、そこに現下芸学人の雄渾な魂が溌剌と反映していなければならない、それにはまづ芸学人自体が全魂全霊を以て、各自の芸道に打込むべきである。わが前線勇猛の将兵は真に命を的に戦っている。我等芸学人も亦命がけでなければならない。いやしくも資材のふそくなどかこつべき秋ではない。かの宋の絵画は僅か色紙大の小幅でよく唐の眼の文化に対し高き心の文化を樹てたではないか、一本の筆、一丁の墨があれば紙障子を剥がしても、気韻生動の作は生まれようし鑿と槌があれば廃木に不朽の名品も刻まれよう。 (中略)

未曽有の国難に際会して、今こそ全生命力を傾けて己が本然の使命と戦ふ。真に日本的芸道の開拓につとめよう。それが芸学人の真の報国の大道である。会報の創刊を祝して所懐を述べる次第である。」

『美報美統会報』第一号所収、社団法人日本美術及工芸統制協会、昭和19年6月15日、頁1

 

(以上転載にあたり文字を適宜あらためました)

ガクブチつくり

「掛け軸とか巻物とか展示できるガクブチ作って。それから購入予算はないから、今ある材料でよろしく。」

休館中の美術館の工房に、学芸の森下さんからこのような依頼が舞い込んできました。

依頼主の希望する寸法を聞いて、だいたいのイメージが出来たら、工作に取り掛かります。
今回は余った木を材料に、丸鋸と電動カンナを使ってガクブチを作ることにしました。20150407ガクブチ作り (1)
電動カンナ(右の機械)で木の表面を削ってきれいにして、

20150407ガクブチ作り (2)
ガクブチに加工するための溝を掘りました。

20150407ガクブチ作り (3)20150407ガクブチ作り (4)
丸鋸(ピンクの機械)を使って端を45度で切り、

20150407ガクブチ作り (8)
角をビスで留めて組み立てます。

20150407ガクブチ作り (7)
表と裏に、いつも使っているガクブチを分解してはめると、

20150407ガクブチ作り (6)
立体ガクブチのできあがり。

このあとは、壁色に合わせてペンキを塗ります。
これで、展示ケースがないところにでも掛け軸や絵巻物を展示する事が出来ます。

うみひこ

うみひこさんへ
便利で素敵なガクブチを作ってくださってありがとうございました。
でも、私あんな言い方しましたっけ? すいませんねえ。

森下麻衣子より

竹内栖鳳展のもう一つの見どころ ― 広間の再現

竹内栖鳳が若かりし頃描いた12面の襖絵を展示するにあたり、当初の姿に近い展示をして、栖鳳の絵に囲まれ、そして、大勢の方にお越しいただく美術館としては異例かもしれませんが、襖を開けるという所作をもお客様にお楽しみいただきたいという思いから、この度の竹内栖鳳展で広間の再現を試みることになりました。

三方を囲む空間表現、そして、襖を開けても破たんしない、襖の重なりまで計算された構図の妙、何よりそのたたずまいをお楽しみいただけると幸いです。

この展示は、第二展示室(鳥の作品を集めた部屋)の先にあります。

20141117竹内栖鳳展のもう一つの見どころ 広間の再現 (1)《秋冬村家図》広間の再現(複製)

20141117竹内栖鳳展のもう一つの見どころ 広間の再現 (3)こちらの襖を開いて次の展示へお進みください。

20141117竹内栖鳳展のもう一つの見どころ 広間の再現 (2)襖を開くとその正面に、実物の襖を展示しています。

 

12月14日まで、“幻の油絵”公開で話題の「生誕150年記念 竹内栖鳳」を開催しています。ぜひお越しください。

うみひこ