ちょっとだけ展示を見た気分を味わえる? 動画をつくってみました。
約2分30秒です。
どうぞご覧ください。
うみひこ
ちょっとだけ展示を見た気分を味わえる? 動画をつくってみました。
約2分30秒です。
どうぞご覧ください。
うみひこ
小松均(1902〜1989)は、山形に生まれ、後に京都に出て土田麦僊の門下生となって活躍した日本画家です。京都・大原で自給自足の生活をしながら作画活動を続け、世俗とは無縁の暮らしぶりを続けたことから、「大原の画仙」とも呼ばれます。その生誕120年を記念して、当館が所蔵する小松作品をご紹介する展覧会「小松均 自然を愛した画仙のまなざし」を開催しています。
早いもので小松均展、開館から2週間が経ちました。今回のブログでは展覧会のみどころのひとつ、昭和10年代に制作された2つの風景画の大作をご紹介します。
小松の代表作といえば、昭和40年代、60歳代以降にてがけた故郷の最上川や、終生の住まいとして愛した大原の景色、雄大な富士山の景観を描いた大作の風景画が良く知られます。いずれも時に土俗的と表現される力強い独特の墨線を執拗に重ねて、自然の真の姿を写し取ろうとしたものです。当館の所蔵する小松の風景画2点は、その独自の風景画にいたる以前、昭和15年(1940)、38歳の時に伊豆下田の風景を描いたもの。この時期小松は南画家たちとの交流の中で墨を用いた風景画への傾倒を示し始めており、いわば小松の画業の転換期に制作された貴重な作例です。
昭和14年秋、最初の絵の師・岡村葵園が亡くなります。その東京での葬儀の帰途でしょうか、小松は伊豆下田をスケッチ旅行して廻り、その雄大な風景に魅せられます。何度か訪ねて作画し、乾坤社第2回展に「伊豆二題」として出品したのがこの2点です。
《石廊崎》伊豆半島の南端、太平洋を一望する石廊崎岬の景色を描く作品。紅葉を豊かな彩色で描き出した画巻の末尾には、石廊埼灯台の姿も。
《伊豆岩山風景》墨一色で、岩山に漂う湿潤な空気を描き出す。視界を白く霞ませる激しい雨が上がり、黒々とした岩山がその姿を現す様が見事です。
どちらも縦65センチ、長さは8 メートルを越える圧巻の画面。色をつかって雄大な広がりを見せる伊豆の海と岬を描いた《石廊崎》と、対して墨一色で湿潤な空気の中に聳える岩山を描いた《伊豆岩山風景》。伊豆の自然が持つ異なった表情の描き分けが見事です。
今回は両作とも大きく開いて、ほぼ全画面ご覧頂けるよう展示しました。写真は《伊豆岩山風景》です。
1階のエントランスには《石廊崎》を壁面に拡大してあります。
冒頭の虹が美しいです。
ところで両作とも、画中には山道を行く人の姿が小さく描き込まれています。
この人はどこを歩いているのでしょう?ぜひ会場で探してみてください。
谷川ゆき
杜の遊歩道はいま、サクラの花におおわれています
ソメイヨシノにシダレザクラにetc
いろいろなサクラが見ごろです。
海の見える杜美術館では、
生誕120年 海杜コレクションで見る
「小松均 自然を愛した画仙のまなざし 」展
開催中です。
もりひこ
ウッカリ撮り逃して早幾年
ようやく紹介できますボケ(木瓜)の花です。
この時期サクラに目が行きがちですが、
植え込みに咲くボケの花もお楽しみください。
もりひこ
大分県の二階堂美術館で行われている『竹内栖鳳と京都画壇の画家たち』展には、竹内栖鳳の知られざる作品の数々が展示されています。。
その中に《瓜田・叢竹》六曲一双があります。
筆者は2018年「根津美術館紀要 『此君』 第10号 特集 光村コレクションの諸相」への寄稿(「光村利藻と竹内栖鳳―コレクターと画家の、ある交流の形―」)にあたり、本作品の所在を調べたのですが、つかめないままにいました。
明治の大コレクター光村利藻は、栖鳳が薄墨を何度も何度も塗り重ねて竹を描く様を不思議に見ていると、栖鳳から「これは普通の一筆に一気に描きあげた竹に比べると、手際が悪いように見えますが、画面からやや離れて熟視しますと、竹の幹のまるみが現われて絵に深みがでてきます」と説明を受け「やはり大家となる人は違うな」とつくづく感心したと述べています(増尾信之著『光村利藻伝』光村利之 1964 238頁)。なおその時に描いた絵は「六曲一双のその半双には竹林に雀の群れてさえずっている構図で、別の半双は、南京畑に何か一匹の小さな動物が畑を横切るという構図であった」(同237頁)と記録されているのです。その記録に対応する作品を探したのですが、1910年(明治43)に京都美術倶楽部で神戸某氏所蔵品として出品された屏風(明治43年4月4日「『神戸某氏所蔵品入札目録』 143番 栖鳳金地竹ニ雀 瓜ニ鼬屏風 一双」)の画像を見つけることができたものの、その実物の所在はわからないままでした。
このような荒い画像では竹が「薄墨を何度も何度も塗り重ねて」描かれているのか、はっきりとはわかりません。
また、「大体南瓜畑は描き終わって、その小動物も地塗りをして、絵の具の乾くのを待っていた。栖鳳が絵を描いているあいだ、豆千代(栖鳳が絵を描いていた光村利藻の別荘に招かれていた芸妓)が後ろに座って団扇で風を送っていた。栖鳳は突然豆千代に「これは何に見えますか」と質問した。豆千代は、かたちは「いたち」に似ているが「いたち」は肉食動物だから畑は荒らさない、「貂」は南瓜や柿などを好むというし「南瓜に貂」という画題も見たことがある。「これは貂ではございませんでしょうか」と答えたところ、栖鳳が頻りに褒め上げた(同238頁)」という逸話が残っています。が、これについても何の小動物であるかを見極めることができなかったのです。
竹内栖鳳 《瓜田・叢竹》六曲一双 二階堂美術館蔵
このたび、二階堂美術館さまが当館のインスタグラムに「いいね」をしてくださったご縁で、筆者は二階堂美術館さまのインスタグラム、そしてホームページで本作品が公開されていることを知りご連絡差し上げたところ、館長代理 佐藤直司さま、学芸部長 古賀道夫さま、学芸員 工藤美貴代さまほかスタッフのみなさまにご対応いただき、ブログにカラーで写真を掲載させていただくことができました。ご多用のなか、ご配慮いただきましたことに厚く感謝申し上げます。
展覧会には《熱帯風光》二曲一隻ほか多くの名品が出品されているようです。
実は私もまだ訪問できていないのですが、この機会にぜひ実物を直接目にしたいものです。
コレクション展4
『竹内栖鳳と京都画壇の画家たち』
会 期 / 令和3年2月10日(水)~4月11日(日)
会 場 / 公益財団法人二階堂美術館
主 催 / 公益財団法人二階堂美術館
後 援 / 大分合同新聞社
青木隆幸
“うみひこ”は高精細写真撮影、ワイヤカート製作、絵巻の世界を“体感”する『村松の部屋』造作、香水瓶動画撮影など、製作技術全般を担当しています。
現在開催中の「小松均 自然を愛した画仙のまなざし」開催にあたり、AdobeのAfter EffectsとPremiere Proを使って紹介動画をつくってみました。この15秒では本展の魅力までお伝えすることは出来ませんが、このように多彩な作品が出品されています。
今回の展覧会では、小松の生誕120年にあたり、その芸術の真骨頂である風景画のひとつ《伊豆岩山風景》や、終生愛した大原の風物を描いた《牛と大原女》、花や女性を描く50点を超える版画作品などからなる、海の見える杜美術館が所蔵する小松均作品をご紹介いたしますので是非ご覧ください。
ご来館お待ちいたしております。
うみひこ
昔から自生しているサクラの樹々が満開を迎えています。
通称エッヘン桜は見事に咲きそろいました。
美術館玄関前の山桜も満開です
桜の種類は10種類以上、駐車場から美術館まで標高差約100メートル、海の見える杜美術館では桜の花を2月から5月ごろまでずっとお楽しみいただくことができます(冬に咲くジュウガツザクラなど含めると秋も冬もお楽しみいただけます)。
ソメイヨシノをはじめとした桜の花が豪勢に咲きそろうのは、やはりこれからの季節。今年は今度の土日から数週間といったところでしょうか。
春の展覧会「小松均 自然を愛した画仙のまなざし」と一緒にお楽しみください。
もりひこ
アンズの花が咲いていました
梅林の上の 満開のスモモの真っ白な花の間で 薄ピンク色の花を咲かせていました
まだ一度も紹介できていない花でした
もう散り際なのですが、ひとめ御覧くださいませ
「小松均 自然を愛した画仙のまなざし」開催中です
もりひこ
これまで「杜の遊歩道」に咲く花約400種を紹介してきましたが、
久しぶりにまだ紹介していない花を見つけました。
玄海躑躅(ゲンカイツツジ)です。
駐車場の奥の「杜の遊歩道」入ってすぐ右に咲いています。
「杜の遊歩道」の桜の花は今、
河津桜(カワヅザクラ)の花びらが舞っていて、
寒緋桜(カンヒザクラ)が満開で、
染井吉野(ソメイヨシノ)は咲き始めたところです。
3月20日(土)から「小松均 自然を愛した画仙のまなざし」が始まります
駐車場から美術館までの道のりは「杜の遊歩道」をお楽しみください。
「杜の遊歩道」は 行きは登りで、美術館まで歩いて約15分の道のりです。
行きは駐車場から美術館まで送迎シャトルの車(無料)を利用して、帰りに「杜の遊歩道」を歩いて下りるお客様もいらっしゃいます。
お好みの方法でお楽しみください。
もりひこ
こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。突然ですが皆様、毎晩、幸せな気持ちで眠りについていらっしゃいますか? 私は毎晩、本(たいてい推理小説)を読みつつ、数ページで寝落ちをし、気付くと朝という日々を過ごしています。そのような私には、使う機会も、また使われる機会もなかなかない言葉ですが、イタリア語を学び始めた頃に知って以来、憧れを抱き続けている、就寝前のある決まり文句があります。それは「ソンニ・ドォーロ(黄金の夢を)」です。「ブオナ・ノッテ(おやすみなさいませ)」の後に添えて使われる言葉ですが、一日の最後の瞬間が、にわかに優しい空気に包まれる素敵な言葉ですね。
この決まり文句への憧れは、《黄金の夢》と題されたL.T.ピヴェール社の香水瓶を目にしたことによってさらに強まりました。今回、うみもり香水瓶コレクションとしてご紹介する香水瓶です。こちらです👇
L.T.ピヴェール社、香水瓶《黄金の夢》1924年、透明クリスタル、金、デザイン:ルイ・スー、製造:バカラ社、海の見える杜美術館所蔵、PIVER,FLACON RÊVE D’OR, Louis SÜE – 1924, Transparent crystal, gold、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
いかがでしょう、あたかも黄金に輝く甘美な夢を見るための魔法の薬が入れられているように思われませんか? 美術館で目にする度に、いつか同じものを枕元にちょこんと置いておきたいなあと思う香水瓶です。
透明クリスタルと、その周囲を覆う丸みを帯びた金色装飾という、あっさりとしたデザインのなかに、可愛らしさやエレガンス、洗練といった要素が、この香水瓶には詰まっています。金色部分は、本作品を製造したバカラ社において、手作業で金彩が施されたもの。熟練の職人技が生み出す質の良さがあってこその、洗練やエレガンスであると再確認させられます。
この香水瓶には、「黄金の夢」という同名の香りのお粉用のパウダー・ボックスもあります。こちらです👇
L.T.ピヴェール社、パウダー・ボックス《黄金の夢》、1925年、紙、ボール紙、デザイン:ルイ・スー、製造:バカラ社、海の見える杜美術館、PIVER,Powder box,1925, Paper, card board Design by Louis SÜE -1925, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
図案化された菊(フランス語でクリザンテームです!)のような花や字体が、アール・デコ様式においてしばしばみられる、明るく軽やかな雰囲気を醸し出していますね。アール・デコ様式のデザインは、いまや私たちの生活のいたるところに取り入れられているため、今日からすると、その新しさを感じにくくなっていますが、この香水瓶やパウダー・ボックスの発表時である1920年代半ばにおいては、新時代の到来を告げる非常に斬新なものでした。
第一次世界大戦前にアール・ヌーヴォーが席巻したパリでは、大戦直後から、それまでの植物を思わせる流麗な曲線に代わって、直線を多用した幾何学模様がより多く表現されるようになります。その範囲は絵画、ファッション、建築、さらに日用品にまで及びました。ル・コルビュジエが、歴史的な装飾や様式感情を排して、徹底した合理主義に基づいた建築を発表したのもこの頃のことです。そして、多分野にわたるデザインの革新が、世界的に知られる契機となったのは、後にアール・デコという造語のもととなる、1925年にパリで開催された通称、アール・デコ展(現代装飾美術・産業美術国際博覧会)です。
まさに今回の《黄金の夢》も、この博覧会に出品されました。展示場所となった、老舗香水メーカー、L.T.ピヴェール社の展示室の内装は、香水瓶のデザインをした装飾家で画家のルイ・スーが、自身の会社「フランス装飾社」の共同設立者のデザイナー、アンドレ・マールとともに手がけました。
こちらが当時の展示室の様子です。
現代装飾美術・産業美術国際博覧会 L.T.ピヴェール社展示室、1925年、複製写真、海の見える杜博物館、PIVER STAND ART DECO EXHIBITION, 1925,Reprint photography, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
背もたれが特徴的な形の斬新なチェアセットの背後に、半円形の土台の陳列ケース、天井にはパウダー・ボックスで使われた菊を思わせる花びらの装飾が施されています。可愛らしい小部屋ですね。
ところで、アール・デコ展に足を運んだ1600万人にも上る来場者のなかには、朝香宮夫妻の姿もありました。帰国後、東京の白金台に、現在は東京都庭園美術館として公開されているアール・デコ様式の邸宅を建設したことは、きっとご存知の方も多いことでしょう。第3回と第4回香水散歩でもご紹介した、旧朝香宮邸のアンリ・ラパン《香水塔》に代表される、フランス人装飾家たちの当時のデザインは、ル・コルビュジエほど厳格に装飾を否定するものではなく、むしろ歴史的な装飾を現代的に再解釈したものでした。そのため、《香水塔》にも、また香水瓶《黄金の夢》にも、ロココ様式を特徴づけた、くるんとした渦巻が効果的に配されています(アンリ・ラパン《香水塔》の画像はこちら)。
アール・デコ様式は、1920年代、30年代という世界恐慌を挟んで社会状況の異なる時代にまたがって流行し、また世界規模で展開されたため、ジグザグ模様や流線形、モノトーンやカラフルな色使い、高級素材から安価なものまで、各地の時代背景と結びついた様々な相貌が存在します。そのなかにあってL.T.ピヴェール《黄金の夢》は、第一次世界大戦とスペイン風邪の流行という困難極まる年月を乗り越えたフランスの人々のうちにあった、大戦前に親しんだ装飾のように優美かつ上質で、それに加えて明るい未来を感じさせる新奇なものを存分に味わんとする趣向を体現しています。コロナ禍にあると、辛苦を味わった約100年前の人々の《黄金の夢》が、より切実に感じられるように思います。せめて眠りにつくひと時くらいは、日中の緊張からすべて解かれて甘美な夢へと今宵は誘われますように……皆様にソンニ・ドォーロ!
岡村嘉子(クリザンテーム)