杜の遊歩道を歩いていると、色づいた葉も少しずつ落ち始め
子どものころに落ち葉を踏んでカサカサ音をたてながら
遊んでいた頃を思い出します。
美術館からバラ園まで下りてゆくと、
ラブリーメイアンとノカンゾウが咲いていました。
(ノカンゾウ)
(ラブリーメイアン)
凛と咲く花々を見るたび癒され
そんな空間があることが嬉しく思う今日この頃です。
o.s
杜の遊歩道を歩いていると、色づいた葉も少しずつ落ち始め
子どものころに落ち葉を踏んでカサカサ音をたてながら
遊んでいた頃を思い出します。
美術館からバラ園まで下りてゆくと、
ラブリーメイアンとノカンゾウが咲いていました。
(ノカンゾウ)
(ラブリーメイアン)
凛と咲く花々を見るたび癒され
そんな空間があることが嬉しく思う今日この頃です。
o.s
9月も半ばに入り、過ごしやすい季節になってきました。
今展覧会、「西南戦争浮世絵展」は10月14日(日)までということで、
気がつくと展示期間の折り返しを過ぎ、残すところあと1ヵ月となりました。
今回は受付・総務を務める私の目線から
可愛らしいと思った作品を少しだけご紹介させていただきます。
299.〔「征韓論」から「御船戦争」まで12場面〕大判錦絵 届出日記載なし
307.大新ぱん鹿児島暴徒人名集 大短冊判錦絵 届出日記載なし
一マスがこんなに小さくても、一つひとつ細かく色鮮やかに描かれており、
思わず見入ってしまいました(ちなみにこちらは西郷隆盛)。
海の見える杜美術館では、Instagramを毎日更新しております。
作品の中からお客様のお気に入りの作品をぜひ教えてくださいませ。
お客様のお気に入りが採用されるかもしれません…
お時間のある時に覗いてみてはいかがでしょうか。
A.N
こんにちは、学芸員のクリザンテームです。前回のコニャック=ジェイ美術館訪問と同様、今回もパリ・マレ地区での散策が続きます。
なぜならこの地区には、香水専門店をはじめとする魅力的なお店がひしめきあっているからです。
なかでも、エディション・ドゥ・パルファン フレデリック・マル社のブティックは、シックな黒い外観でひときわ異彩を放つ存在です。
フレデリック・マルについては、当館の企画展「香水瓶の至宝 ――祈りとメッセージ」の図録に収録されたマルティーヌ・シャザル氏の論文においても、新世代の香水アーティストとして言及されていますね。
彼が現代の香水界における革命児の一人といわれるゆえんを、私はブティックで改めて思い知らされることになりました。
まず驚くのは陳列された香水瓶がすべて同じデザインであること。しかもラベルには調香師の名前と香水名が併記されているではありませんか!
つまりここでは、調香師は決して影の存在ではないのです。あたかも本の著者名のように明記されているため、調香師名をたよりに香水を選ぶこともできるのです。
これでブランド名に冠せられた「エディション・ドゥ・パルファン」(エディションはフランス語で「出版社」)の意味にも納得させられます。
ところでフレデリック・マルが採用したもうひとつの斬新な手法、それは新たな香りを世に出す際にはマーケティングに依存せず、調香師たちが生み出したいと願う香りを製品化することでした。
あらゆる分野においてマーケティングが主流となった今日では、実に勇気あることと言えます。
ラベル上の調香師たちの名は、そのようなマルの潔さをも表しているのですね。
シンプルを極めた香水瓶が置かれているのは、一転して個性豊かな空間です。
なんと壁も天井も鏡張りなのです。さらに有機的な形の木製キャビネットが設置されています。落ち着いた照明も相まって、SF小説で描かれる近未来へ来てしまった気がしてまいります。
私はこちらで香水専用試着室を体験いたしました。 「試着」とはいっても、ここで纏うのは服ではなく香水。 下の画像のようなキャビネットの中に香水を吹きかけて頂き、香りを嗅ぎます。
暗闇の中に立ち上る芳香。 一瞬にして言葉を失います。
嗅覚を研ぎ澄まして出会う香りは、かようにも雄弁であるのかと気づかされました。
クリザンテーム(岡村嘉子)
Remerciements
本記事執筆にあたり、ご協力頂きましたエディション・ドゥ・パルファン フレデリック・マル社のデルファン氏およびエリカ・ペシャール=エルリー博士に心より御礼申し上げます。Je tiens à exprimer mes remerciements à Delphin, Editions de Parfums Frédéric Malle et Dr. Erika Pechard-Erlih qui ont permis de réaliser cet article.
先日、美術館へ向かう途中杜の遊歩道を歩いていると
ある昆虫と植物を見つけました。
オニヤンマが木につかまっていたのでおもわずパシャリ。
自然が豊かだからか昆虫も普通より大きく感じます。(笑)
小さな花がまばらに咲くカエデドコロも見つけました。
自然が豊かな杜の遊歩道だからこそ、様々な生き物や植物に出会えることができます。
次はどんな生き物、植物に出会えるでしょう…
o.s
かんかん照りだった8月も残り1日となりました。
風もどこか秋の匂いを感じます。
そんな中、美術館の受付・総務を務める私たちは
次回の展覧会
「西山翠嶂-知られざる京都画壇の巨匠-」
に向けてチラシ発送の準備を進めております。
皆様のお手元に届くのは9月に入ってからになりますが、
どうぞ楽しみにお待ちくださいませ。
「西山翠嶂」展
2018年10月27日(土) から開催です。
A.N
128.楊洲周延《暴徒突出軍議図》大判錦絵3枚続 1877年(明治10)
8月16日から17日にかけて開かれた薩軍の会議の様子が描かれています。しかし、すでに死亡した人物や、参加が疑問視される女性達、そしてボタンやキキョウなど花々が美しく描かれていることなどを見ると、史実を描くより軍議の様を劇的に美しく描くことに重点がおかれているようです。
この会議では、薩軍の今後について、官軍に降伏するか、決戦するか、あるいは鹿児島に戻るか、議論が紛糾してなかなか決まらず、最後はこれまで黙っていた西郷の発言によって、まずは可愛岳の政府軍を撃つことに決まったようです。
そして可愛岳を突破した西郷軍は、逡巡するも鹿児島に戻ることを決め、政府軍と戦いながら南進し、9月1日、ついに鹿児島に戻りました。
およそ140年前の今頃、西郷隆盛は、敗戦濃厚な軍隊を引き連れて、故郷に戻るべく日夜戦っていたのですね。
この作品は現在開催中の展覧会「西南戦争浮世絵 ―さようなら、西郷どん―」で展示しています。(10月14日まで)
※作品名に記された番号は、このたびの展覧会に合わせて発行された「資料集 西南戦争浮世絵」2018と連動しています。
さち
青木隆幸
(文章の翻刻)
猛勇天下に轟きし鹿
児しま県下の暴徒らも
いかでか官軍に敵すべき
根拠とせし都の城◌人
吉◌延岡をも攻をとさ
れ十重二十重にとり
囲まれ日向の山中ゝ村
にて西郷隆盛は桐野
利秋をはじめ部下の賊
魁をあつめ官軍の囲みを
破つて鹿児しまへ戻るべし
と地図を示して協議せり
篠田仙果(落款)
展示室内は撮影禁止、データ提供神奈川県立歴史博物館
行ってきました。
なんという労作でしょうか。
“明治とは何か”、”美術とは何か”、表象的な美術品ではなく、明治という時代相の中から抽出した”美”の集積で観覧者に問いかけてきます。
また図録には、展覧会場では表現されていない青木茂氏へのインタビュー「木茂翁 かく語りき ―明治美術研究のこしかた-」が掲載されています。珠玉の一篇です。
展示室内は撮影禁止、データ提供神奈川県立歴史博物館
残念ながら私の筆力ではこの展覧会の魅力を表現することができませんが、美術の流れをわかりやすくなぞる展覧会を散見する昨今において、逆走する、あるいは挑戦的といえるような複層的なアプローチがされています。それでいて、独りよがりに陥らず、積み重ねられてきた先人の研究に対する敬畏の上に、担当学芸員の情熱を添えて、明治時代の人々を取り巻く美術の様相を見事に表現した、見ごたえある展覧会でした。
展示室内は撮影禁止、データ提供神奈川県立歴史博物館
担当学芸員の角田拓朗氏は、同展図録の総論「明治美術随想―共鳴・混交・離反―」の文末で語りかけます。「平成の終わりに、明治と、美術のこしかたと、モノづくりのこれからと、博物館の未来に思いを馳せてみてはいかがだろうか。」
わかった。そうしよう。
さち
8月下旬。やっと夏の暑さも落ち着き過ごしやすい秋の季節がやってきますね。
涼しくなってきたので久しぶりに杜の遊歩道を散策しました。
楓が少しずつ緑から赤に染まっている様子が秋の訪れを感じます。
9月から11月にかけてモミジやイチョウが赤や黄色に染まり
遊歩道一面絶景の紅葉スポットになります。
SNS映えすること間違いなしです!!
違う種類に見えますが、どちらもムクゲの花で
形によっては『一重咲き』『半八重咲き』『八重咲き』の3つに分けられます。
また、ムクゲは和歌の世界では秋の季語とされ、
松尾芭蕉や若山牧水など多くの歌人が詩の題材として使っていたそうです。
旧暦の秋は今の夏にあたるため現代では夏の代表的な花となっていますが、
季節を問わず美しく咲く姿を楽しんでみてはいかがでしょうか。
美術館にお越しの際は杜の遊歩道を散策され
季節ならではの植物、風景をご堪能ください。
O.S
海の見える杜美術館では、10月14日(日)まで展覧会「西南戦争浮世絵 さようなら、西郷(せご)どん」を開催しております。今回はその出品作品の中から、西南戦争を題材とした絵双六(絵入りの双六)を紹介します。
歌川国貞(3代)画《鹿児嶋鎮定双六》 1877年(明治10)10月27日届出
江戸時代に子供の正月遊びとして普及し始めた絵双六は、明治時代になって玩具として本格的に定着し、様々な種類のものが世に出ました。
絵双六には、振り出しから上がりまで順々に進んでいく「回り双六(廻り双六)」と、各区画に移動先が示してあり、振ったさいの目によって絵の中を飛び移っていく「飛び双六」の2種類があります。今回紹介する《鹿児嶋鎮定双六》は、そのうち「飛び双六」にあたり、振り出しの「征韓論」から上がりの「天盃」まで西南戦争の下記の14の場面が描かれています。「征韓論」以外はすべて1877年(明治10)の出来事です。
征韓論…1873年(明治6)、西郷隆盛が政府の参議を辞職し、鹿児島へ帰るきっかけとなった論争。
弾薬… 薩摩が所有していた武器弾薬を、1月末から2月初頭にかけて官軍と旧薩摩藩 士が奪い合った事件(弾薬掠奪事件)。
軍議… 2月5日、西郷と薩摩兵士たちが、軍議を行い、全軍出兵して東京へ向かうことを決めた。
田原坂…3月4日から20日にかけて、熊本城を目指す薩軍と、城を守る官軍が田原坂で大激戦し官軍勝利した戦い。
女隊… 薩軍の女性が部隊を編成し、官軍相手に奮戦した(史実ではない)。
抜刀隊…士族で編成された政府の抜刀隊が、薩軍と戦闘した。彼らの中には薩摩出身者も多く参加していた。
朝男山…相撲取りの朝男山市五郎と弟子たちが、畳で銃弾を防いだ(史実ではない)。
高千穂…熊本を追われた薩軍は、高千穂の山の麓で官軍を食い止めた。
人吉… 薩軍は熊本から人吉に本営を移し、官軍は6月1日に人吉を攻め落とした。
佐土原…宮崎佐土原の島津啓次郎が薩軍佐土原隊を結成し奮戦した。7月31日に佐土
原は陥落した。
延岡… 8月14日、宮崎の延岡に集まった薩軍を官軍が総攻撃し、占領した。
降参… 8月16日、西郷は解軍の指令を出し、薩軍から降参する者が相次いだ。
城山… 9月1日、西郷は残りの兵と鹿児島の城山に入り、9月24日、官軍が総攻撃をかけ薩軍は全滅、西郷は切腹した。
天盃… 官軍の勝利に貢献した人が集められ、天皇から直接酒盃を賜った(史
実ではない)。
この中には「女隊」や「朝男山」など、史実とはみなされていないものも含まれますが、「征韓論」や「弾薬」、「田原坂」や「城山」など、西南戦争に関係する主要な出来事や激戦地が描かれ、この1枚を通して戦争の勃発から終焉までを辿ることができます。
当館所蔵の西南戦争の双六は本作のみですが、管見の限り、他にも楊洲周延画《鹿児島鎮静双録》(江戸東京博物館所蔵、明治10年届出)、月岡芳年画《鹿児嶋凱陣双六》(個人所蔵、明治10年12月17日届出)、月岡芳年画《鹿児島平定寿語禄》(個人所蔵、明治10年12月7日届出)の3点の存在を確認しています。これらはいずれも画題に、「鎮定」、「鎮静」、「凱陣」、「平定」とあり、天盃を頂戴する場面を上がりとしていることから、その制作には官軍の勝利を祝う意図が込められていたと考えられています(註1)。西南戦争を題材とした双六について、他にどのようなものがあるかは今後も探していきたいと思っています。
戦争が終わって間もない時期に、西南戦争が双六のような子供の遊び道具に取り入れられたことはとても興味深いです。
西南戦争浮世絵展では、展示室を出たところに、本作を使った双六コーナーが設けられています。
「征韓論」から振り始め、「降参」もしくは「城山」を通って、そこから「天盃」で上がるのが通常ルートですが、序盤の「女隊」を通ると、最短3回で上がることができます。
当時の子供たちが夢中になった双六遊びを体験してみてはいかがでしょうか。
大内直輝
註1 大庭卓也・生住昌大「西南戦争-戦争と、その広がり-」 久留米大学文学部 2014年 67、68ページ
女軍隊は史実としては確認できないのですが、西南戦争浮世絵には、女軍隊の活躍を描いたものが数多く存在し、そのうちの大部分は錦絵新聞として発行されています。
230.楊洲周延《鹿児嶋征討紀聞》大判錦絵3枚続 1887年(明治10)
228.月岡芳年《薩州鹿児島征討記之内 賊徒之女隊勇戦之図》大判錦絵3枚続 1887年(明治10)
232.楊洲周延《鹿児嶋戦争記聞》大判錦絵3枚続 1887年(明治10)
230番(※)には、鹿児嶋の錦江湾で官軍の軍艦を攻撃する女性たちが描かれています。228番は桜吹雪の中で、232番はヤマツツジが咲き乱れる中で薩摩の女性兵士たちが薙刀を振るって官軍と戦っています。
現在開催中の展覧会「西南戦争浮世絵 ―さようなら、西郷どん―」で展示しています。(10月14日まで)
※番号は、このたびの展覧会に合わせて発行された「資料集 西南戦争浮世絵」2018と連動しています。
さち