街道が好きです - 里程標

私が通勤に使っている道の、電柱の陰に隠れた「里程標」が気になっています。

20161017 街道が好きです - 里程標 (4)
赤い矢印の先の石柱です

この通りの道幅は、大体4.5m、「里程標」の場所ほかところどころ約6m、写真のようにデコボコした形状になっています。江戸時代、西国街道に定められた二間半(約4.5m)の道幅が保たれているので、もしかしたらと思い江戸時代の古地図を参照してみると、西国街道はもう少し南側を走っていて、この道は当時もバイパスのような役割を果たしていたように見えました。

里程標」の歴史は、明治20年代の宮内村県道改修工事(『廿日市町史 資料編Ⅴ』廿日市町1983)や、約400m東に建つ「道路開通記念碑」(明治27年記)などとあわせて考えてみる必要がありそうです。

里程標」の下は地中に埋もれて読めない字がありますが、今から125年前、1891年に建立されたことは、わかりました。

20161017 街道が好きです - 里程標 (1)
右:明治廿四年五月建之 宮内

20161017 街道が好きです - 里程標 (2)
正面:距 廿日市里程標 壹

20161017 街道が好きです - 里程標 (3)
左:距 廣島里程元標 四里拾七丁廿四間(約17.6km)

ちなみに、廣島里程元標のあった場所(原爆ドームの近くです)から、現在の宮島街道を通ってここまでの距離は、google map の計測では16.5kmでした。

この里程標」は、宮内交番の横の川沿いの道を西におよそ800m進んだところに建っています。

大野村⇔宮内村
街道が好きです - 道路開通記念碑
街道が好きです - 道標(畑口橋交差点)
こちらのブログもあわせてごらんください

もりひこ

 

キンモクセイ(金木犀)とギンモクセイ(銀木犀)  

雨続きのこのごろですが 皆様いかがお過ごしでしょうか

美術館の敷地は キンモクセイとギンモクセイの甘い香に覆われています

20160929-20161001 キンモクセイとギンモクセイ 敷地内には甘い香りが漂っています (8)
駐車場にはギンモクセイが

20160929-20161001 キンモクセイとギンモクセイ 敷地内には甘い香りが漂っています (5)
遊歩道の つばきの小路は キンモクセイの並木道

20160929-20161001 キンモクセイとギンモクセイ 敷地内には甘い香りが漂っています (4)
歩道にもキンモクセイの並木道

20160929-20161001 キンモクセイとギンモクセイ 敷地内には甘い香りが漂っています (6)
車道にもキンモクセイ

20160929-20161001 キンモクセイとギンモクセイ 敷地内には甘い香りが漂っています (3)
美術館の入り口にもキンモクセイ

香りを頼りに歩いていると 心地よい刺激の甘い香りが 疲れた頭を癒してくれました

この香りをブログでお届け出来ないのは残念でしかたありません
ぜひ杜の遊歩道へお越しください

20160929-20161001 キンモクセイとギンモクセイ 敷地内には甘い香りが漂っています (1)
キンモクセイの花

20160929-20161001 キンモクセイとギンモクセイ 敷地内には甘い香りが漂っています (7)
ギンモクセイの花

もりひこ

 

中国版画の素材分析調査

以前もご紹介しました通り、海の見える杜美術館では、東京芸術大学の研究チームのみなさんと、長い時間をかけて、作品に使われている紙や絵の具の調査分析をしています。

今回は、

20160929 中国版画の素材分析調査 (3)複合エックス線装置 XRDF
①蛍光エックス線分析装置    XRF

20160929 中国版画の素材分析調査 (2)複合エックス線装置 XRDF
②複合エックス線装置      XRDF

20160929 中国版画の素材分析調査 (5)
③フーリエ変換式赤外分光分析機 FTIR

という、やたら難しい名前の、とても精密な分析機器を美術館に持ち込んで調査をしました。全部合わせると立派な家が建つくらい、高価な機械だそうです。

これで何を調べるかというと、

①のXRFは、とても弱いエックス線を当てて、反射してくるエネルギーを測り、どのような元素が作品にあるのか大まかに判断します。1つのポイントを計測するのに1分ぐらいかかります。

②のXRDFは、エックス線を当てる角度を何十回も変えて照射して、その反射してくるエネルギーを測るので、1つのポイントを計測するのに約30分もかかります。これで元素と原子の並びが分かるそうです。

③のFTIRは、赤外線を物質にあてて、反射パターンの特徴を読み取って物質を特定します。

これまで、紙の繊維や絵の具の粒子の拡大撮影、赤外線撮影、紫外線撮影もしています。これから、科学の目でみたデーターを全部合わせて分析します。気の遠くなるような作業ですが、紙や絵の具などについて、わからなかったことが分かるようになり(それでもわからない材料もあります!)、作品の制作地、制作年代、制作技法など謎の解明につながるかもしれません。

結果が出たら、またご案内します。

20160929 中国版画の素材分析調査 (4)
写真右から、木島隆康先生、桐野文良先生、塚田全彦先生、大久保早希子先生、ここには写っていませんが半田昌規先生。丸3日間、部屋にこもりっきりで調査にあたりました。

おつかれ様でした。そしてこれからよろしくお願いします。

うみひこ

「三井寺」絵巻との再びの出会い  小林健二

 

先日、久し振りに海の見える杜美術館に所蔵される「三井寺」絵巻を手にとって見る機会を得た。秋の名曲である能「三井寺」の物語を幅17、5センチ、長さ6メートルに描いた愛らしい小絵巻で、私が芸能の絵画化を研究するきっかけとなった作品である。

作られたのは室町末期であろうか。この時は豊臣秀吉が愛好したことによって、諸大名が能を稽古し自ら演じた、ちょっとした能ブームの時代であった。その隆盛を背景としてこの絵巻も作られたのであろう。

今回、ゆっくり拝見して、能のストーリーに忠実ながら、三井寺の月見の情景を膨らませたり、舞台では見られない主人公の悲しみや喜びが描かれていて、あらためて素晴らしい絵巻であることを確認した。この出会いの後で、同じような能を絵巻にしたものを探し求めたが、その例はきわめて少ない。

海の見える杜美術館にはこれも能の名曲「松風」を描いた「松風村雨」絵巻もある。これは絵本を絵巻に改装したものであるが、やはり貴重な作例で、こちらもじっくり見ることができた。至福の時間とはまさにこのことである。

現在、美術館は改装中であるが、リニューアルしたら絵巻・絵本の展示も予定されていると聞く。その時にはまた来よう。もちろんこれらの絵巻・絵本との再会を期して……

三井寺絵巻 UMAM三井寺

松風村雨 UMAM松風村雨


 

小林健二先生(国文学研究資料館 教授)と、ともに絵巻を見る時間は本当に楽しいひと時でした。当館が所蔵する「三井寺」絵巻や、「松風村雨」絵巻が、能を描いた作品としてどのように重要であるかも、丁寧に教えていただきました。先生の研究が発表になりましたら、改めて紹介したいと思います。

さち

海の上から訪ねる世界遺産・厳島神社、原爆ドーム

台風の到来が予想された日、世界遺産・厳島神社と原爆ドームを、船に乗って訪れました。

廿日市 大野桟橋

宮島の鳥居の前で海上から厳島神社参拝

宮島3号桟橋にて下船

宮島3号桟橋から乗船

瀬戸内海と太田川を遊覧

原爆ドームすぐ横の もとやす桟橋にて下船

原爆ドーム、折り鶴タワーへ

雨や台風の予報を裏切り、屋形船のような小さな船もまったく揺れず、快適快適。さすが瀬戸内海! 宮島についたころには雨も上り、原爆ドームへ向かう海面は鏡のように光っていました。

20160910 海の上から世界遺産・厳島神社、原爆ドームを訪れました 0

それぞれの船にはスタッフによる小粋な観光案内もついていて、厳島神社の鳥居の前では、真下まで船が接近して、海上からの参拝時間もちゃんととってくれます。こちらの映像をご覧ください。すごいでしょ。この小旅行の船は特別にチャーターしなくても、定期航路なのでご興味のある方はぜひ以下のホームページを確認してみてください。

宮島行大鳥居遊覧航路
ひろしま世界遺産航路

なお、大野桟橋は広島東洋カープ屋内総合練習場・大野寮に隣接しています。この日は優勝へ向けてマジック4。船を待つあいだ、選手たちの気合に満ちた声があたりに大きく響きわたっていました。

20160910 海の上から世界遺産・厳島神社、原爆ドームを訪れました

もりひこ

 

古文書は 文字を読むのが大変です

時代の流れとともに変遷する、文字の形や言葉の持つ意味。そして筆者の特徴ある書体が、文書の読解をムツカシクさせます。

特にこの書状は、私にとって難解の作品でした。展覧会『日本の書芸美 名筆へのいざない』(海の見える杜美術館 2012年)開催時に、財津永次先生(当館顧問 当時)に助けていただいて判読した、思い出の作品です。

20160910  文字を読むのが大変でした 書状 「出度已来」 武野紹鴎 UMAM
武野紹鴎(1502 – 1555)
書状 「出度已来」
16世紀【室町時代】
13.8 × 39.7

LETTER   “SHUTTAKU-IRAI…”
TAKENO Jouou
16th century,  Muromachi Period

茶道は、茶祖珠光の創めた侘び茶を紹鴎が引き継ぎ、その門下の利休が大成しました。
この書状は「菊某」に宛て、普請中の茶友に建築の進捗工合などを気遣う内容で、利休の書状にも通じる書風が見られます。

–  (無)□儀候へ共御
–  座敷きのま々
–  令□申候以上
出度已来無音申候
依御手前御作事
出来候哉無御心元候
御用之儀候者可承候
然者□銀も未出来
□れ御口切十四日に候
其元御法事にて
御上奉待候猶以
面上可申入候恐惶
謹言

菊□□   紹鴎(花押)

文化遺産オンラインにて、作品を公開しています。
そのほかの書跡もどうぞお楽しみください。

さち

青木隆幸

 

文化遺産オンラインに登録を始めました 赤松円心 (則村)

秘蔵スタッフNの協力を得て、文化遺産オンラインに、当館所蔵の作品の登録を始めました。

まずは『書』に関するものを入力したのですが、作品調査していたころを思い出しました。 当時とても興味深いと感じた作品を、ひとつご紹介いたします。

20160824 書下  宝寺僧衆中宛 元弘三年三月廿七日  「(伊)豆国」 赤松 円心 (則村) UMAM

赤松円心 (1277-1350) 書下   宝寺僧衆中宛 元弘三年三月廿七日 「(伊)豆国」 1333年【鎌倉時代】

[ ]豆国在庁高時法師一族
[ ]分之餘忝蔑如 朝威剰
[  ]震襟之間可加征伐之
旨円心依奉 勅責随西国打上
洛中之処山崎寶寺僧衆等
凝丹心致祈祷之由奉畢
可令存知之状 如件

元弘三年三月廿七日
沙弥(花押)
寶寺僧衆中

赤松円心 (則村)は、南北朝時代、武将後醍醐天皇の建武新政府に活躍ののち、足利尊氏がたに味方して赤松氏繁栄に尽くした人物です。

この書き下しは鎌倉幕府討幕、いわゆる元弘の乱の雌雄を決する重要な戦い、六波羅制圧に向かうまさにその時の物で、「北条高時を征伐する。祈祷を頼む」という内容であす。これまで円心が討幕の中心勢力と知られていましたが、本書き下しに「円心依奉 勅」とあり、円心が後醍醐天皇の命を受けて動いていることが明らかになっています。

『本物』が伝える迫力に、圧倒されたことを思い出しました。

文化遺産オンラインで、当館所蔵の作品を検索してみてください。

さち

青木隆幸