第12回 香水散歩 パリ8区
香水大博物館

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こんにちは、特任学芸員のクリザンテームです。

国内外の美術情報に常日ごろ触れていると、パリにおける美術館・博物館の開館のニュースが、他の都市に比べて数多く入ってくるのに気づきます(実際、パリの美術館・博物館の数は、近郊も含めて約140館あるといわれています!)。それと同時に、悲しいことですが、閉館のニュースを時折耳にするのも事実です。

その中に、いつかこのブログで取り上げようと思っていた香水に関する美術館がありました。2年の準備期間を経て華々しいオープン後、わずか1年半でその歴史に幕をおろした幻の美術館です。この短い期間に、一体どれほどの方々がこの美術館を実際に訪れたのでしょうか。この美術館が時と共に忘れ去られていくのは、あまりにも惜しく存じますので、今回はそのパリ香水大博物館についてご紹介します。

フランス大統領府、エリゼ宮にほど近いパリ8区の中心に位置するエレガントな地域。高級ホテルとして知られるル・ブリストルの向かいに、邸宅を改装したパリ香水大博物館がありました。邸宅であった頃の名残の演出でしょうか、美術館入り口へのアプローチには、その前庭に赤いじゅうたんが敷かれ、訪問者を館内へと招き入れてくれます。

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18世紀に建造されたこの美しい建物は、これまでに名だたる実業家や画家たちの住まいとなってきた歴史を持ち、1980年代末からは国営航空会社エール・フランスの制服も手がけた国を代表するデザイナー、クリスチャン・ラクロワの本店として親しまれた場所です。その建物の中に、香りの歴史や香りそのものを知る上で欠かせない数々の展示が詰まっていたのです。

モダンでシックな内装に設えられた入口を抜け、展示室のある地下一階へと歩を進めます。

展示室は、照明を抑えた一室から始まります。これより古代エジプトから現代までの香りの歴史が展示室ごとに時系列で展開していくのですが、目を見張るのは、映像をはじめとする最新技術が効果的に使われている点です。

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その展示室の様子を、画像でおわかり頂けるでしょうか。大きな鏡に穿たれた数々の四角い穴の一つには映像が投影され、他の穴には、海の見える杜美術館でもお馴染みのアラバスター製の古代の香りの容器が配されています。つまり、鏡張りのキャビネットの内部におさめられた所蔵品とスクリーンが、一部ガラス張りになることで見える構造になっているのですが、デザインが凝っているため、説明が大変です!

なかでもひときわ目を引く、鏡の中央に置かれた白いボールは一体何でしょう?

なんとボールの中を覗き込むと、キャビネット内の映像や容器が説明する古代の香りが漂ってくるではありませんか! 例えば、こちらはエジプトにおいて聖なる儀式に使われたともいわれる香り、キフィです。

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キフィは、15種類以上もの香料を混ぜ合わせたもので、その製造には、香りを専門とする神官たちがたずさわったと考えられています。このボールの中で再現されていた香りは、シナモンのようなスパイシーな印象に、果実の甘みと温かみが加わった独特なものでした。

鏡の前に置かれたいくつものボールから発せられる香りを嗅ぐ中で、香りという目に見えないものを、いかに目に見えるようにして展示するかということに、この美術館が心を砕いていることが伝わってまいりました。もちろん、数は少ないながらも、時代ごとに質の高い香水瓶も展示されています。

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けれども、この美術館でとりわけメインとなるのは、香りそのものであり、それをおさめる香水瓶等の容器は、あくまでも香りの説明の一部であるかのようです。香水大博物館が、香水をテーマとする他の数々の美術館と一線を画すのは、まさにこの点なのです。

その点をさらに強く感ずる展示が、上階の展示室にありました。

こちらです!

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少し距離を置いて見ると、このように並んでいます! これは一体??

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展示室の天井から吊り下げられたモダンな金色の球たち。こちらもまた一見すると、何であるのかよくわかりません。なにしろここでは、作品解釈の手立てとなるようなキャプションが、ほんのわずかしかないのです。そこで展示室にいらした方に尋ねてみると、なんとこの球を手に取り、香りを嗅ぐことを教えてくれました。

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球のひとつひとつに、香水の原料となる様々な香りが収められていたのです。ベルガモット、ラヴェンダー、ベチュパー、ヴァニラ……と25種類もの香りを手にとって嗅ぎました。しかも驚いたことに、この球は話すのです! 音声が内蔵されていて、耳に当てると、個々の香りについて解説してくれるのです!!

美術館において展示物に手を触れることなど、思いもよらぬことでしたが(しかも来館者が他に見当たらないほど空いている場合には特に!)このあたりからクリザンテームは、こちらは美術館というよりも、体験型の科学博物館なのだと、次第に理解してまいりました。

一度そうとわかれば、好奇心がますます刺激されます!

ワクワクしながら、次なる球の展示に近づきました。

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こちらはローズを用いた香水を集めたものです。銀色の球のなかには、バラから抽出された香料と、それを用いた現代の香水が収められています。

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この美術館の運営に深く関わった、エルメス社の庭シリーズで知られる調香師、ジャン=クロード・エレナが調香したザ・ディファレント・カンパニー社の『ローズ・ポワヴレ』。ポワブレは胡椒をきかせたという意味のフランス語です。胡椒の香りのするバラ?? 斬新な組み合わせですね。

次の展示室で目にしたのは、パステルカラーの壁龕の並ぶ壁。IMG_4174
壁龕の中に入ると、香りが漂ってきます。

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こちらの椅子は、次の画像のように、二人で座って香り当てクイズをするためのゲーム椅子。

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椅子の中央にはモニターが埋め込まれており、操作すると反対側に香りが発散され、その香りを当てるというゲームです。IMG_4176

クリザンテームは、さきほど金色の球の説明をして下さった美術館の方と二人でゲームをしたのですが、ことごとく当ててしまい(何分にも、あまり難しくなかったのです)、やや盛り上がりに欠けることとなり、美術館の方を少しがっかりさせてしまったもよう……。ごめんなさい!

他にも館内には、調香を体験できるアトリエもあり、頻繁にワークショップが開催されていました。IMG_4153

またミュージアムショップの香水コーナーも圧巻の広さと充実度でした。様々な香水メーカーの香水が一堂に集められ、誰に気兼ねすることなく自由に嗅ぎ比べることができるのです。ブティックで販売員の方の丁寧な説明を伺いつつ、会話をするなかで香水を選ぶのも楽しみの一つですが、このように、たった一人で様々な香りを嗅ぎ比べていくのも、心が躍ります。香りほど、個人の趣向が反映されるものはないかもしれません。流行など全く関係なく、嗅いだ瞬間に抱く第一印象が、とても大きく影響するものなのです。そのようなこともあって、こちらでは、香りについての説明は一切ないままに、クリザンテームはとても気に入った香りを見つけることができました。

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以上のようにこの美術館は、フランスにおける香りの文化の豊かさを肌で感じられる場所であり、悠久なる歴史の遺産とともに、最先端の香りのモードをも知ることができる唯一無二の美術館でした。できることなら、もう一度見てまわりたかったとの思いが募ります。

もう訪れることは叶いませんが、このような画期的な美術館の取り組みがあったことを一人でも多くの方に知って頂けたら幸いです。

 

クリザンテーム (岡村嘉子)

 

 

美術の森でバードウォッチング展 見どころ①

みなさんこんにちは、ご無沙汰いたしております。ご無沙汰するつもりもなかったのですが、意外にも時は過ぎ、季節はもう秋。食欲の秋、読書の秋などいろいろ言われる季節ですが、皆様にとってはどんな秋でしょうか。ちなみに私は「これ」と特に言えるようなことは何もなく、四季を通じ変わらない生活を送っています。

さて、8月3日に始まり現在開催中の「美術の森でバードウォッチング」ですが、早いものでもう残り3週間となりました。まだご覧になっていないかた、ぜひ足をお運びいただければと存じます。

今回は、「第4章 きれいな鳥、かわいい鳥」で展示中の、石崎光瑤《春晝》(はるひる)をご紹介します。

春晝右石崎光瑤《春晝》1914年(大正3) 第8回文展出品(右)

春晝左(左)

石崎光瑤(1884~1947)は、富山県の現在の南砺市に生まれました。はじめは東京の琳派の画家・山本光一に師事、やがて竹内栖鳳に師事しました。

光瑤は、日本画の世界では、花鳥の名手として知られます。それ以外にも、登山家としての顔もあり、民間人としては初めて剣岳の登頂に成功、またインドを旅行してヒマラヤ山脈にも登っています。

私が石崎光瑤を知った最初の作品は1918年(大正7)に描かれた《熱国妍春》(京都国立近代美術館蔵)で、これはインドからの帰国後に描いた作品なのですが、六曲一双の大きな画面全体に生い茂る草花、その中を飛ぶ日本画ではあまり見ない白い長い尾の異国の鳥、一言で言うとパワーがあって、「こんな画家がいたのか~」と驚いたのを覚えています。

さて当館の《春晝》は、インドを描いた作品のような派手さはないものの、さすが花鳥画の名手というような、見ごたえのある作品です。

描かれているのは、枝垂れ柳の木の下で思い思いに過ごしているマナヅルたち。

マナヅルは体長120~153センチとありますから、結構大きいですね。この作品に描かれているのはほぼ等身大と言えるでしょう。この屏風を展示したときに学芸が口々に「ツルって大きいな…」「結構迫力あるな…」とザワザワしたんですよね。

春の日のやわらかい光の中、マナヅルが寝ていたり、歩いていたり…いろいろな動きをしています。私個人としては右の画面、枝垂れ柳の下で目を閉じているマナヅルの、目の表情が好きです。

本作品のすばらしさは、そのさまざまな形態の鳥を写実的に破綻なくとらえて描き出していること、そしてそれを表現する線の美しさかなと私は思っています。太い、細いという変化(肥痩)のある線で、マナヅルの体のボリュームが現れているのです。だから「迫力あるな…」なんて感想が出てくるのかもしれませんね。

けれど、その一方で色彩などは控えめで落ち着いており、のどかな春の日を感じさせます。今回よくよく見てみますと、柳の花の部分にだけ、絵の具の盛り上げがありました。柳の葉に埋もれてしまいそうな小さな花ですが、よく見てみると、しっかり主張してきます。

私は動物の中でも鳥が特に好きなのですが、今回は鳥をテーマにした展示ということで、そんな鳥好きの目から見ても「これは鳥の魅力が溢れているね!」という作品を展示しましたが(もちろんそれだけではないですよ)、この屏風は特にそれを感じる作品です。ツルやサギなどの大きめの鳥は、背中や首のラインが美しいのですが、それが画家の筆により、さらに引き立っている、と思います。

 

さて、では長くなってきたので今回はこのあたりで失礼いたします。

次は意外なほど好評をいただいている第2章の「物語の中の鳥」の作品をご紹介したいです。

森下麻衣子

かわいい文鳥も登場!―後期展示、はじまりました―

皆様こんにちは。

朝夕がだいぶ涼しくなり、外に出るのが楽しくなってきた今日この頃。

吹き抜けるそよ風が心地良く、秋晴れの宮島がはっきりと見えた日は、

思わず時間を忘れてしまいます。

20190923-1 20190923-22019年9月23日 8:40撮影

朝から太陽が眩しく、青空に浮かぶ雲はとても綺麗で、何度見ても飽きません。

さて、海の見える杜美術館で、8月3日より開催しておりました「美術の森でバードウォッチング」展も9月16日で前期展が終わりました。ご来館くださった皆様、ありがとうございました!

9/21(土)からは、同展覧会の後期展を開催しています。

前回に引き続き、受付・総務の私からご紹介させていただきます。

前期展にお越しいただいたお客様より、

「チラシに載っていた文鳥が見たかった~」とのお声を何度か頂きました。

大変お待たせいたしました。

木蓮に文鳥2 木蓮に文鳥138.小原古邨 《花鳥三点続》 紙本木版多色刷り 明治時代

(第一章 鳥を愛でるまなざし(第一展示室)にて現在展示中)

 

チラシを見るとこの作品は木蓮と文鳥のみが描かれているのかと思いきや、実は三点続となっていました!

左のアヤメの藍色と、緑色のウグイスと梅の花、

そしてピンクの木蓮の色彩は柔らかくも鮮やかです。

木蓮の花の隙間からこちらを見ている文鳥の表情がかわいい!

繊細な描写と美しい色彩を持つ小原古邨の作品を見ていると、鳥たちの生活をそっとのぞかせてもらったような気持ちになります。

他にも、ハトやヒヨコなど、私達の生活の身近にいる鳥の作品も多く、

実物よりもかっこよく、そして美しく見えるのは私だけでしょうか…

小原古邨 山桜に鳩23.小原古邨 《山桜に鳩》 紙本木版多色刷り 明治時代

 

小原古邨 五匹の雛31.小原古邨 《五匹の雛》 紙本木版多色刷り 明治時代

 

小原古邨の作品は、第一展示室にてまとめて展示しております。

私達の生活と密接に結びつく、「鳥」にスポットを当てた今展覧会。

皆様のご来館を鳥たちと共に心待ちにしております。

後期展は11/10(日)まで開催中です。

A.N

第11回 香水散歩 オランダ・ライデン
ライデン国立考古博物館

IMG_0812 こんにちは、特任学芸員のクリザンテームです。

美しい香水瓶を求めて世界各地を巡る中で、一度ゆっくり訪ねてみたいと以前から願っていた場所がありました。香水産業とはさして関わりのない土地ですので、意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それはオランダの古都ライデンです。

首都アムステルダムにほど近いこの町は、オランダ最古の大学都市として知られています。大学の設立の興味深い逸話は、ライデンを愛した作家、司馬遼太郎の著作『街道をゆく オランダ紀行』にも紹介されています。アメリカ独立宣言やフランス革命より約200年も早く、市民社会が誕生するきっかけとなった支配者層に対する市民の反乱が起きたのは、ここオランダのライデンでした。

それは16世紀後半に始まる、所謂八十年戦争のことであり、当時の支配者スペインに対しオランダ人は勇敢に立ち上がりました。その最中、ライデンにおいて市民軍がスペイン軍に勝利したときに、市民軍の指導者オラニエ公ウィレム1世は、その褒美として数年にわたる免税を提案したところ、市民たちはそれよりも大学の設立を望んだといわれています。

町中を運河が巡るライデン。博物館も運河沿いにあります。

町中を運河が巡るライデン。博物館も運河沿いにあります。

目先の経済的価値よりも、市民たちが意義を見出した教育・研究施設としての大学。実はこの国立考古博物館も、その歴史と密接にかかわっています。なぜなら、博物館のコレクションの基礎となったのは、まさにライデン大学の考古学部門(研究室)であるからです。

現在では約18万点にも上る古代から中世までの大学の所蔵品が、1995年から博物館として一般公開されるようになりました。そのなかには、香りの道具が多く含まれているのです。

ではその内部を見てまいりましょう。エントランスホールにあるのは、なんと神殿です。

じゃーん!!

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こちらは、タファ神殿と呼ばれるもので、エジプトの南部ヌビア地方から運ばれました。

1954年、アスワンハイダム建設によって水没する当地の神殿の移築に尽力したオランダに、エジプト政府が贈ったといわれています。

驚くことにこの神殿は、一定の時間になるとライトアップします! にわかにホールの照明が落とされ、大音量のナレーションと音楽とともに、神殿の歴史が語られるのです。演出が少々おどろおどろしくもあり、恐怖心も掻き立てられました(笑)! その様子を画像でお伝えできず恐れ入りますが、おりしも家族に連れられて神殿前に集まっていた子供たちの悲鳴が上がり、次いで彼らは身動きできぬまま、神殿に目が釘づけになっていた様子をご想像ください!

エントランスホールにすっかり溶け込んでいますが、奥の四角い建物が神殿です。そして、右端の影のなかに直立する丸身を帯びた二つの物体は、第27王朝の棺です。

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さりげなーく展示されている所蔵品のレベルが高すぎて、本展示室への期待は、否が応にも高まります!

いざ展示室へ入ると、そこで目にするのは、広い展示室内に整然と並ぶ大量の発掘品です。

こちらの列にも……!IMG_0659

あちらの列にも……!!ずらりと名品が勢ぞろい。IMG_0663

見事なエジプト・ファイアンスのカバもいます!IMG_0662 横長

左の人物像との並列が、なんだかそこはかとなくユーモアのある展示ですね。

さてさて、香りが使われた容器を見ていきましょう。

例えばこちらは、海の見える杜美術館所蔵作品の中でも人気の高い《7つの聖油パレット》とほぼ同型のものですね。副葬品として発見されたものです。IMG_0646

こちらが海杜ヴァージョン。

《7つの聖油パレット》エジプト、古王国時代(第6王朝、前2320-2150年)、アラバスター、海の見える杜美術館所蔵

《7つの聖油パレット》エジプト、古王国時代(第6王朝、前2320-2150年)、アラバスター、海の見える杜美術館所蔵

パレットにある7つの丸い窪みとヒエログリフは、埋葬された死者が再生へと向かうときに助けとなる、7種類の聖油の存在を示しています。

古代エジプトでは、独自の宇宙観に基づく、多岐にわたる聖なる儀式が行われていました。このパレットは、それらに香りが欠かせなかったことを教えてくれます。

儀式の多くは密議であったため、神官たちの間で、口承により詳細が引き継がれました。そのため、香りがどのように使われていたのかをつまびらかにすることは、今日では難しい状況ですが、いくつかの資料から部分的に推測されていることもあります。

例えば、香りが王ファラオを聖なる存在にする役割を担っていたことや、ナイル川流域に咲き誇るロータスやユリの香りはもちろんのこと、イエス・キリスト生誕時に、真っ先にお祝いに訪れた東方三博士の一人が献上した乳香も、すでに使用されていたと考えられています。いつの日か、考古学の科学的調査のさらなる進展によって、エジプト人と香りの関係が解明されることを望まずにはいられません。

さて、燻蒸や塗布によって、芳香を漂わせながら古代では祈りが行われていましたが、エジプト人が崇めていた神々の像も、この博物館には多く展示されています。

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まあ、なんと分かりやすい展示方法でしょう!中央にひときわ大きなオシリス神が置かれ、その両脇にイシス女神、ネフティス女神等の神々の小像が配されています。この展示からも、オシリス神話で語られるように、冥界の王たるオシリス神の重要性がわかります。

しつこいようですが、この大きさの違い! いやはや、教育普及効果絶大ですね。IMG_0677

ところで、古代エジプト人は男性も女性も化粧を施し、香水も用いたと考えられています。

「お化粧品コーナー」展示ケースにも、香りがおさめられていた数々の容器が展示されていました。こちらです!

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アラバスター製の容器は、見事な石の縞模様に価値が置かれます。ここでは照明の工夫によりその模様が浮かび上がっていたので、思わず見入ってしまいました。

この他にも、美しい装飾の施されたミイラの棺がずらりと居並ぶ展示室をはじめ、古代エジプト文明の豊かさを伝える発掘品が大量に、大量に(!)あるのですが、それらについてはいつか別の機会に譲りましょう。

螺旋階段を上るとその先には、もう一つの重要な古代文明、ギリシャを中心とした地域からの出土品の展示室があり、見逃せません。IMG_0706

大小様々な容器が並ぶ、ギリシャ展示室へようこそ!IMG_0755

IMG_0773 横長 こちらのケースには、平らな広い口を持つ球形の小瓶がいくつも展示されていますね。これは《アリュバロス》と呼ばれる、コリントス島で作られたテラコッタ製の香油壷です。ひとつを拡大すると……IMG_0773 横長の拡大

この特徴的な口の形は、香油を身体に直接塗りつけるのに便利であったからと考えられています。

古代ギリシャでは、香油は香水として使われることも当然ありましたが、強張った筋肉を和らげるためにもしばしば活用されました。そのようなこともあって、アリュバロスは、若きギリシャ人男性がレスリングを行うときの必需品であったといわれています。彼らは、この中におさめられた香油で筋肉痛を和らげ、体に付いた砂を払い、太陽光や寒さから肌を守りました。現代風に言うなら、たったひとつで何役もこなす「オールインワン・オイル」ですね! それは手放せないはずです。

以上のような、目を見張る古代の香りの容器に加えて、この博物館には、1818年に始まる発掘調査や考古学研究の歴史を伝える展示室もあり、大いに好奇心や探究心が刺激されました。IMG_0786 拡大

フランスやアメリカのようには、市民社会の誕生を声高に主張しないオランダの国民性なのでしょうか。この博物館の所蔵作品も、他国の同分野の博物館ほど広く知られていませんが、実際に来館してみれば、その充実度に誰もが驚くことでしょう。そして、そのような博物館の奥ゆかしい姿勢が、かえって印象を深め、どなたにとっても、とっておきの博物館になるのではないでしょうか。

 

クリザンテーム (岡村嘉子)

《今月の香水瓶》

海の見える杜美術館にも《アリュバロス》があります! 3人の滑稽な踊りをする人物像と花模様が交互に描かれています。この図柄では若き青年たちの闘争心があまり掻き立てられないのでは!?、と疑問を抱くのはクリザンテームだけでしょうか。このアリュバロスの所有者は、はたしてレスリングの試合に勝利したの否か? 歴史の謎です。

《アリュバロス》ギリシャ、コリントス、紀元前6世紀、テラコッタ

《アリュバロス》ギリシャ、コリントス、紀元前6世紀、テラコッタ

第10回 香水散歩 東京丸の内
マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展、三菱一号館美術館

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こんにちは。学芸員のクリザンテームです!
開催を心待ちにしていた「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン」展が、東京・丸の内の三菱一号館美術館で始まりましたので、早速オープニングに足を運んでまいりました。

クリザンテームがフォルチュニの名を初めて知ったのは、今から12年ほど前。ヴェネツィア・ビエンナーレという、2年に一度開催される現代美術の大規模な展覧会の関連イベントに、20世紀前半に活躍した芸術家、マリアノ・フォルチュニの旧居兼工房(1975年より美術館として公開)が会場として使われていたのです。

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おりしも、射すような陽ざしが降り注ぐ夏のヴェネツィアで、町中に点在する展示会場を連日足が棒になるほど歩き回り、概念的で社会的なテーマを持つ大量の作品を前に心と頭をフル回転させ、もはや体力の限界も近くなったそのとき、一服の清涼剤のような彼の旧居に行き合ったのです。

こちらが、2007年、「アルテンポ」展開催時のフォルチュニ美術館外観。外壁を覆うようにかけられているのは展覧会時の作品です!
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「ペーザロ・オルフェイ邸」の名で親しまれる15世紀半ば建造のフォルチュニの邸宅。ヴェネツィア・ゴシック様式の厚い壁に守られた室内は、ひんやりとした空気で満ち、どこよりも静かで、町の喧噪とは無縁の別世界でした。

展覧会自体はジャコメッティやジェームズ・タレルはじめ80人を超える近代・現代美術家の作品が一堂に会する見応えのあるものでしたが、美術館の真っ白な空間の中で見慣れたそれらの作品が、邸内の調度品が置かれたままの部屋に配置されると、より雄弁に自ら語りだすようで、とても印象的でした。

邸内には織機のような機械をはじめテキスタイルに関する所蔵品が数多く見出せることから、フォルチュニがその分野の専門家であることは容易くうかがえたのですが、彼の旧蔵品は一分野にとどまらない造詣の深さを物語っていました。邸宅まるごと驚異の部屋のような中で暮らしたマリアノ・フォルチュニとは一体、どのような人物であったのでしょう? その好奇心にかられて、疲労など一瞬で忘れてしまったのです。

調べてみると彼は、ポール・ポワレと同時期に活躍したファッション及びテキスタイル・デザイナーであり、画家、写真家、建築家、舞台芸術家、照明デザイナー等、様々な顔を持った人物とわかりました。
また、香水瓶デザインの方向性を決定づけた、香水史上極めて重要なあの現代産業装飾芸術国際博覧会(1925年、パリ開催。通称「アール・デコ博覧会」)において、テキスタイル部門のグランプリ受賞者として一時代を築いたことも後に知ったのです。

住まいを目にしたことを端緒として、知れば知るほどこの芸術家に興味が湧き、その後、パリや東京など数々の展覧会に足を運びましたが、なかでも三菱一号館美術館のフォルチュニ展は、忘れがたいものとなりました。
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なぜなら、ファッション分野以外での彼の多彩な活動を伝える作品群が、わかりやすく紹介されていたからです。
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また本展は、19世紀後半ヨーロッパを席巻したジャポニスムの影響もよくわかる展示となっています。古典文様の刺繍が施された美しい小袖や着物の型紙などの旧蔵品が出品されているのは、とくに嬉しいところでした。
着物類は彼の母親から妻へと受け継がれたもの。妻はそれを室内着として纏っていたそうです。彼を愛した女性たちの存在もわかり楽しいですね。
流行の先端をゆく女性たちに囲まれながら、フォルチュニは着物をはじめ非西洋の芸術をも吸収して、デザインに活かしていったのです。

その結晶が例えばこちらです! 《「キモノ」ジャケット》(1925年頃)。
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このジャケットの下に着ているのが、あの名高きプリーツ加工ドレス《デルフォス》(1920年頃)です。
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「やはり」といいますか、「何度見ても」といいますか、目にする度に驚きを与えてくれるこのドレスは、発表当時の人々には、今では想像もつかぬほど画期的なものでありました。
なにしろそれまでの女性の装いは、腰をぎゅぎゅぎゅと締め上げる(恐ろしいですね……)コルセットをドレスの下に身に着けるのが美徳とされていました。たとえ内臓を圧迫して健康を害したとしても、その習慣を長いことやめなかったのです。
挙句の果てには、コルセットが原因で気絶をした際に嗅ぐ特別な救急用の香水まで開発され、それを携帯するのがレディのたしなみとまでなっていました。ネックレス型やリング付きの18世紀や19世紀の優美な香水瓶には、そのような事情が隠されていたのですね。

《指輪付き香水瓶》1890年頃、イギリス、白色グラス、金、トルコ石、海の見える杜美術館所蔵

《指輪付き香水瓶》1890年頃、イギリス、白色グラス、金、トルコ石、海の見える杜美術館所蔵

クリザンテームは、これらの型の香水瓶を美術館で扱うたびに、か弱くなるよう強いられていた女性たちの声なき声が聞こえてくるような……(時節柄、夏の風物詩、怪談っぽくしてみました!)

おやおや、つい話題が香水瓶にそれてしまいましたが、今回の主役フォルチュニに話を戻しましょう。
女性にとっては悲喜こもごもといったコルセットの慣習を破ったのが、まさにこの《デルフォス》なのです。
しなやかな上質の絹地は、コルセットを着用しない人間の身体のラインをそのまま浮かび上がらせます。こちらの画像では、ウエストにベルトを使用していますが、もちろん使用せずに、ストンとした直線的シルエットとなるよう着用も可能です。

近寄りますと、サイドには美しいトンボ玉が配されています。さすが東洋と西洋が交わる海運都市ヴェネツィアのドレスですね。
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興味深く感じるのは、コルセットから女性を解放する動きは、フォルチュニだけではなく、ポール・ポワレやジャンヌ・パキャンなど、1906年頃ほぼ同時期に数々のデザイナーたちによって行われたことです。そしてそれらのアイデアソースには、しばしば古代文化があるのも見逃せないことのひとつです。
例えば、ポワレは古代の服装を研究するうちに、重点がウエストではなく肩に置かれていることに気づき、コルセットを排したデザインを発案したといわれています。
フォルチュニの《デルフォス》もまた、古代ギリシャで男性も女性も身に着けていた衣などから想を得たとされています。
本展では、ドレス名の由来となった、19世紀末ギリシャのデルフォイの神殿近くで出土した彫刻《デルフォイの御者》のレプリカ像や、ギリシャ彫刻の写真アルバムも出品されていますので、どうかお見逃しなく。

「ドレスの仕上げに香水を」と、自身のブランドの香水製造に精力的に取り組んだポール・ポワレとは異なり、フォルチュニは香水を生み出しませんでした。しかし彼のドレスを見ていると、ほぼ同時期に、古代文化に思いを馳せて、古代の衣服ペプロスに身を包んだ女性像をボトルやパッケージにあしらった、いくつもの香水瓶の名作が私には浮かんでまいります。
例えば、ガラス工芸作家ルネ・ラリックが手掛けた《アンブル・アンティーク》や、L.T.ピヴェール社の《ポンペイア》等です。

L.T.ピヴェール社 ケース付き香水瓶《ポンペイア》 デザイン:1907年 透明ガラス、海の見える杜美術館所蔵

L.T.ピヴェール社
ケース付き香水瓶《ポンペイア》
デザイン:1907年
透明ガラス、海の見える杜美術館所蔵

コティ社、《アンブル・アンティーク》 デザイン:ルネ・ラリック、1910年 艶消し透明ガラス、茶色パチネ、海の見える杜美術館所蔵

コティ社、《アンブル・アンティーク》
デザイン:ルネ・ラリック、1910年
艶消し透明ガラス、茶色パチネ、海の見える杜美術館所蔵

フォルチュニやポワレのドレス、ラリックらの香水瓶に登場する20世紀初頭の女性たちの衣服からは、女性性を強調したコルセットによるS字シルエットから、古より伝わる男性も使用したI字シルエットへと、価値観を変化させた時代の様子をも見出せます。ユニセックスの香水《ダバ・ブロン》に代表される男装の麗人たちギャルソンヌの流行もすぐそこです。フォルチュニ展の展示室を巡りながら、香水瓶や女性性のあり方の歴史を再確認いたしました。

さて、ドレス《デルフォス》は、発表以来40年以上もデザインを大きく変えずに製造され続け、フォルチュニの死後約70年を経た現在も世界のセレブリティたちにパーティで着用され続けています。時代や地域を超えて愛され続ける源は、異文化や多様性を尊重した彼のエスプリにあるのかもしれませんね。

クリザンテーム(岡村嘉子)

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《今月の一冊》
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シックなデザインの『フォルチュニ展』図録に見惚れていましたら、デザインは、海杜でもおなじみ『香水瓶の世界』展(2010-11年)および『香水瓶の至宝』展(2018年)図録と同様、D_CODE社によるものでした!
至宝展図録

マリアノ・フォルチュニ作品及び展示会場写真は、三菱一号館美術館の提供によるものです。
本記事執筆にあたり、ご協力頂きました三菱一号館美術館の酒井英恵氏と阿佐美淑子氏に心より御礼申し上げます。

「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン」
会場:三菱一号館美術館
開催日:2019年7月6日(土)~2019年10月6日(日)
開館時間:10:00-18:00 (祝日・振替休日除く金曜、第2水曜、展覧会会期中の最終週平日は21:00まで)
休館日:月曜日

菅井汲展も残り1日です。

海の見える杜美術館では、7月21日(日)まで「生誕100年記念 菅井汲 —あくなき挑戦者—」展を開催しています。

本展覧会は、パリを拠点に活動した日本人画家・菅井汲の版画作品にスポットをあて、同館所蔵のコレクション約100点を展示するものです。

菅井汲については当館のホームページの展覧会紹介ページをご覧ください。
http://www.umam.jp/exhibition20190525.html

菅井汲展の以前の紹介記事については以下をご覧ください。

菅井汲の版画

菅井汲は—渡仏初期の日本的主題を取り入れた繊細なタッチの作品、1960年代の明快な色彩で幾何学的な形を描いたダイナミックな抽象作品、1970年代のほぼ円と直線のみで構成される規格化されたモチーフを主体にした作品、晩年の「S」字シリーズ−と作風を幾度も変えたことで知られています。

その中でも、私が個人的に好きなのは1970年代の作品です。

菅井汲 group3 UMAM 海の見える杜美術館
菅井汲《GROUP 3》1980年 シルクスクリーン
菅井の作風は1960年頃からがらりと変わり、幾何学的なフォルムの色鮮やかな作品を手がけるようになります。さらに1970年代になると色の数が限定され色彩がより鮮やかになり、フォルムに制限が加えられた図形的なモチーフで構成された作品を展開していきます。彼はコンパスや定規を使って正確に線や円を引き、モチーフの制作を行っていました。また、彼はより鮮やかな色あいを出すために、それまで主流としていたリトグラフからシルクスクリーンへと制作の技法を変えるなど工夫も試みました。
この時期の作品は、一見単純にも思われますが、道路標識を彷彿とさせるようなモチーフと色彩の鮮やかさは強く印象に残ります。菅井はこの時期のインタビュー記事で「屋外において、50メートル先から見てもパッとわかる作品を考えている」と答えていますが、彼が目指していたまさしくこのような作品だったのでしょう。

菅井汲展も残り1日となりました。菅井汲作品の魅力は、実際に目で見ないとわからないと思います。ぜひお楽しみいただければと思います。

大内直輝

菅井汲の版画

海の見える森美術館では、7月21日(日)まで「生誕100年記念 菅井汲 —あくなき挑戦者—」展を開催しています。

本展覧会は、パリを拠点に活動した日本人画家・菅井汲の版画作品にスポットをあて、同館所蔵のコレクション約100点を展示するものです。今回は、それらを4つの時期—渡仏初期の日本的主題を取り入れた繊細なタッチの作品、1960年代の明快な色彩で幾何学的な形を描いたダイナミックな抽象作品、1970年代のほぼ円と直線のみで構成される規格化されたモチーフを主体にした作品、晩年の「S」字シリーズ−に分けて章を構成しています。

菅井汲については当館のホームページの展覧会紹介ページをご覧ください。
http://www.umam.jp/exhibition20190525.html

今回は菅井汲と版画のことについて紹介したいと思います。

菅井汲は1952年の渡仏から1996年に亡くなるまで、大型の油彩やアクリル画に制作の主体を置いていましたが、その一方で数多くの版画作品を手がけていました。その数は400点以上に及び、版画は彼の画業を語る上で無視できないものとなっています。

彼と版画の出会いは1955年のことで、当時契約していたクラヴァン画廊の勧めで《DIABLE ROUGE(赤い鬼)》という作品のリトグラフを制作したのが最初といわれています。その背景には、前年(1954年)に同画廊で開かれた個展が大きな反響を呼び、彼が忽ち売れっ子の画家となったことで、彼の作品に対する需要が高まり、供給が追いつかなくなったことがあったようです。

UMAM赤い鬼 海の見える杜美術館 
《DIABLE ROUGE(赤い鬼)》 1955年 リトグラフ

そのようなきっかけで始めた版画ですが、結果的に彼は亡くなるまでの40年以上にわたりその制作に携わることとなりました。菅井は版画について「版画の魅力はスピード感である」と語っており、タブロー(絵画)や立体作品と違って気軽に制作に取りかかれ、自分の自由で無責任な思いつきを比較的短時間で実現できるものとして、版画の制作に力を注いでいました。彼は版画の個展を頻繁に行い、国際版画展にも何度も出品していました。そして彼の版画はそれらの国際展で受賞を重ねるなど高い評価を得ていました。需要を満たすための苦肉の策として制作を始めた版画ですが、菅井の考えをそのまま表現するには最も適したメディアであったのでしょう。

第9回 香水散歩 フランス
グラース・プロヴァンス美術歴史博物館

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こんにちは、クリザンテームです。

グラースでの香水散歩も、いよいよ終盤になってまいりました。今回は、約100年前にあたる1921年に、元大統領の子息とグラース最大の香水製造会社の令嬢との結婚がきっかけとなり創設された、プロヴァンス美術歴史博物館を訪問いたします!

香水散歩でご紹介してきた多くの美術館と同様、この美術館もまた、邸宅を改装したものですが、ここでは各居室に、建造時の18世紀の暮らしを彷彿とさせる内装が復元されています。それはさながらインテリア博物館とでも名付けたくなるようなもので、ここでは美しい調度品に囲まれたプロヴァンス貴族の往時の生活を見ることができるのです。

そのため館内を歩いていると、ここに暮らすマダムやムッシューと今にも行き合いそうな錯覚を覚えます。ですから、まさにここで、フランス国営テレビの人気ドラマの撮影が行われたことも納得してしまいました。

では、その優美な館内の見学をするといたしましょう。

1階の玄関ホールを抜けると、まず大広間が現れます。
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南仏の光に映える、鮮やかな若草色の壁紙に目が奪われます。

そこに配されているのはプロヴァンス産の高級家具。他の地方産の家具に比べて、明るい色合いの木材を使った、簡素ながらもエレガントな曲線を描く家具の数々です。

この邸宅が建てられたのは、1769年のこと。施主のプロヴァンス貴族のクラピエ=カプリ侯爵夫妻は、南仏で最も優雅な邸宅を目指し、ミラノ出身の建築家にこの館を設計させました。当時ここには、特別に誂えたパリの高級家具師による調度品も配されていたといいます。残念ながらそれらはほとんど散逸し、現在は17世紀から19世紀までのプロヴァンス家具を中心に構成されています。しかし結果的にはそのおかげで、パリやボルドー、リヨン等、他の地方の装飾美術館では味わえない、プロヴァンス家具の独自性を堪能することができるのです。
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大広間の両脇には、いくつも居室が連なります。比較的簡素な家具に比べて、カーテンをはじめとする布地の柄が、また鮮やかで愛らしいこと! しかも居室ごとに微妙に異なる(その細やかな違いを探すのもまた楽しい)、趣向を凝らしたプロヴァンスの布地が用いられています。

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「あら、もうこんなお時間!? まだ午前中かと思っておりましたのに……」いえいえ、こちらは時計ではありません。18世紀につくられたルイ15世様式の気圧計兼温度計です。このような当時の最新機器があるのも、この館に相応しいですね。IMG_3966

そして子供部屋には、愛嬌のある目をした木馬が置かれていました。よく見ると、尻尾までボンボンのお飾りが!しかもカーテンの色合いと調和しています。IMG_3965

このほか、1階にはバスルームやキッチンがあり、2階、3階へと上がれば、考古学から絵画、宗教美術、陶器、さらには照明器具などがまとめて展示され、プロヴァンスの長い歴史を知る最適の場所となっています。IMG_3978

なかでも、クリザンテームがこの美術館の面白さを感じるのは、都市の貴族生活だけではなく、土に根差した農民の姿をも同時にわかることです。

とりわけプロヴァンス・ワイン展示室では、道具とともに製造作業を伝える記録写真が展示されていて、深く印象に残りました。

例えば、ブドウ収穫に使う籠とともに、収穫時の写真(1944年)が。ブドウ籠

拡大すると……ブドウ摘み

大人も子供も一家総出で、さらに収穫を手伝いにくる季節労働者も一緒になってブドウを手摘みしています。彼らの表情のなんと晴れやかなこと!

お次は、なにやらみんなで楽しそうに絞っていますね。IMG_3974拡大

彼らのこの表情――フレッシュで気取りがなくて温かみがあって――は、まさにプロヴァンス産ロゼ・ワインの味わいと重なります。今後はワインを頂くたびに、これらが蘇りそうです。

お次は、ところ狭しと並んだブドウの入った瓶、そしてそこに話しかけるように水を注ぐおじいさん(しかもジャン・コクトー似!)。IMG_3975

愛情をこめて農作業に勤しむプロヴァンスの暮らし。グラースの香水も、このような土地から生まれたと思うと、いとおしさを一層感じました。

クリザンテーム(岡村嘉子)

《今月の作品》
海杜 籠

こちらは苺がいっぱいに詰まった籠。《セント・ボトル》イギリス、チェルシー、1755-58年、海の見える杜美術館所蔵。

海杜 ブドウ摘み

本ブログ2回目の登場ですが、陽気にブドウを摘む彼女を今回は外せませんね。《セント・ボトル》イギリス、セント・ジェイムズ1760年頃、海の見える杜美術館所蔵。

 

 

第8回 香水散歩 フランス
グラース・フラゴナール香水博物館 

 

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こんにちは、クリザンテームです。今回もグラースでの香水散歩が続きます。なにしろ、世界の香水製造の中心地たるグラースには、その豊かな文化を物語る史跡や美術館が目白押しなのです。

今回訪れたのは、フラゴナール香水美術館です。

「フラゴナール」の名を聞くと、18世紀フランスの宮廷画家でグラース出身のジャン=オノレ・フラゴナールを、真っ先に思い出される方がいらっしゃるかもしれませんね。かくいう私もその一人でした。フラゴナールの父は、宮廷における手袋と香水の責任者でありました。この美術館を運営するのは、1926年創業の南仏を代表する香水製造会社フラゴナール社。その社名は、絢爛たるフランス宮廷文化を彩った、フラゴナール一家にちなんでつけられたものなのです。

フラゴナール社の製品は、南仏らしい明るい色彩を多用した、フランスのエスプリ溢れるパッケージ・デザインやグッズでも知られ、パリのサン=ジェルマン・デ・プレやオペラ、ルーヴル美術館カルーセル店をはじめとするフランス各地のブティックは、いつも多くの女性たちで溢れています。

社はまた、その豊かな香水瓶コレクションも名高く、グラースとパリにそれぞれ美術館を持っています。

こちらはパリのフラゴナール香水美術館。

パリ2

そして、こちらがグラースの香水美術館入り口。

入り口

入り口2

両館とも、古代から現代までの膨大な香水瓶コレクションが年代順に陳列されていて、香水瓶の歴史を一望できる作りとなっていますが、その楽しみ方は少し異なっています。

パリの美術館は解説者つき見学が主であるのに対し、グラースでは、来館者の心の赴くまま自由に見られます。またグラースの展示空間は、個人の邸宅に招かれたかのような設えであることも、楽しみの一つでしょう。そのおかげで、より寛いだ気持ちでコレクションを味わえるのです。

例えば、こちらは古代世界の香水瓶展示室。シックな壁色にシャンデリアが映えますね。

内部1

壁の色は、各時代に合わせて塗り分けられています。その色合いのセンスが、また秀逸。

日が射し込んだときのワインボトルのようなライムグリーンや、鮮やかなカシス・レッド、はっとするようなモーヴ色など、これぞフレンチ・シック!とつい言いたくたるような、ニュアンスのある色たちが、各時代の雰囲気を伝え、また美術館全体の印象をさらに強めています。

内部2

こちらは、香水のラベルと香水製造機械の展示。

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こちらは多種多様なポマンダーがずらりと陳列されています。海の見える杜美術館のお仲間たちがここでも見出せました!

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キャビネットを中心に、古代エジプトのアラバスター製容器、古代ギリシャのアリュバロス、ルネサンス以降のポマンダー、17世紀以降のガラス製、18世紀以降の陶器製やクリスタル製の香水瓶、ネセセール……と歴史を代表する名品が展示されているのですが、クリザンテームがとりわけ注目したのは、グラースならではの芳香容器「ベルガモット」のコレクションです。

こちらです!

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「ベルガモット」とは、18世紀、グラースで栽培された、ミカン科の香木ベルガモット(紛らわしいですね!)の樹皮で作られた小箱です。掌サイズの箱には、優しい色合いのテンペラ画が施されています。アールグレイを淹れると、にわかにふわっと立ち上る、柑橘系のあの芳香がする小箱たち。生活におけるなんと洒落た演出なのでしょう!

画像を拡大して見ると……

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18世紀、グラースのブルジョワ階級の人々にとってベルガモットは欠かせないものでした。彼らはこの中に、キャンディ、嗅ぎ煙草、アクセサリー、ちょっとした思い出の品といった、思い思いの品をおさめていました。技を極めた職人の作る貴重な材の香水瓶もいいものですが、このような樹皮製の小箱も、生活が垣間見えるようで面白いですね。

ちなみに、デメル社やドゥバイヨル社などの、乙女心が刺激される愛らしい図柄のチョコレートの空き小箱を捨てられずに、ついついちょっとした小物を入れしまうクリザンテームは、18世紀のグラースの人々に勝手に親近感が湧いてしまいました!

さて、この美術館の独自性はこれだけではありません。地階において、香水の製造工程の解説ツアーが定期的に催されているのです。

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ずらりと並んだ蒸留器などの機械を前にして聞く解説が、また面白いのです。

男性用香水と女性用香水の成分の違いや、工程に要する時間など、知っていそうで実はよく知らない情報を、丁寧に教えて頂きました。

最後は、ミュージアムショップで、見学の余韻を味わいながら、フラゴナール社の製品選びを楽しみました。

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ふと気づくと、窓の外に夕闇が迫っていました。

クリザンテーム(岡村嘉子)

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◇ 今月の香水瓶 ◇

ポマンダー

 

《ポマンダー》ドイツ、アウグスブルグ、1700-1720年頃、銀、銀に金メッキ、七宝、海の見える杜美術館所蔵

 

 

 

 

 

 

 

 

「幸若舞曲と絵画」展、展示替えをします

早いもので気がつけば4月。杜の遊歩道の桜も満開を迎えようとしています。

さて、展覧会「幸若舞曲と絵画」も会期半ば。8日の休館日に展示替えをいたします。

 

出品される作品は変わりませんが、絵本のページをめくり、絵巻を巻き替え、前半とは違う場面をお見せします。前半はこの土日が最期です。

 

今回の展覧会の見所のひとつである、海の見える杜美術館所蔵の《舞の本絵本》は、幸若舞曲の人気の演目三十六番を47冊の絵本のセットに仕立てた作品です。詞書(文字の部分)には華やかな装飾が施され、絵のページにも上下に金箔の霞が配され、高価な顔料が惜しむことなく使われていて、大変豪華な作り。一見して格の高い大名家など、限られた層の人々の持ち物であったと想像されます。実際に、各冊には「游焉館図書」の印が捺され、この本が游焉館、つまり府内藩の江戸末期の藩校の所蔵であったことが知られ、豊後松平家(大給家)の持ち物であったものが府内藩藩校に移管されたと想定されるのです。

 

海杜本《舞の本絵本》の他にも、アイルランドのチェスター・ビーティ・ライブラリィ等が所蔵する《舞の本絵巻》や、日本大学図書館が所蔵する《幸若舞曲集》(本展覧会で展示中です)など、同じ『舞の本』をもとにした絵巻のセットが作られていたことが知られています。

 

海杜本は(多少異同がありますが)三十六番が揃った希有な作例で、今回の展覧会では、その三十六番47冊を一挙公開しています。

 

とはいえ絵本ですので、すべてのページを一度にお目にかけることができずに残念なのです。三十六番、それぞれのお話の名場面を少しでも見て頂きたい!というわけで、今回は作品の保護もかねて、会期の半ばでページを替えて、違う場面をお見せします。

 

たとえば、兄頼朝に追われた源義経とその郎党の最期を語る「高館」。現在は、義経らが涙ながらに酌み交わす最期の酒宴の場面を展示しています。義経の酒宴そして後半は、大奮闘の後、立ったまま死を遂げる弁慶の立ち往生の場面を展示します。弁慶の立ち往生

 

義経や常盤御前、敦盛や曽我兄弟など、戦国武将に愛された英雄たちの名場面をどうぞお見逃しなく!

 

谷川ゆき