西郷隆盛、薩軍を連れて鹿児島へ

20180827 128 暴徒突出軍議図128.楊洲周延《暴徒突出軍議図》大判錦絵3枚続 1877年(明治10)

8月16日から17日にかけて開かれた薩軍の会議の様子が描かれています。しかし、すでに死亡した人物や、参加が疑問視される女性達、そしてボタンやキキョウなど花々が美しく描かれていることなどを見ると、史実を描くより軍議の様を劇的に美しく描くことに重点がおかれているようです。

この会議では、薩軍の今後について、官軍に降伏するか、決戦するか、あるいは鹿児島に戻るか、議論が紛糾してなかなか決まらず、最後はこれまで黙っていた西郷の発言によって、まずは可愛岳の政府軍を撃つことに決まったようです。

そして可愛岳を突破した西郷軍は、逡巡するも鹿児島に戻ることを決め、政府軍と戦いながら南進し、9月1日、ついに鹿児島に戻りました。

およそ140年前の今頃、西郷隆盛は、敗戦濃厚な軍隊を引き連れて、故郷に戻るべく日夜戦っていたのですね。

この作品は現在開催中の展覧会「西南戦争浮世絵 ―さようなら、西郷どん―」で展示しています。(10月14日まで)

※作品名に記された番号は、このたびの展覧会に合わせて発行された「資料集 西南戦争浮世絵」2018と連動しています。

さち

青木隆幸

(文章の翻刻)
猛勇天下に轟きし鹿
児しま県下の暴徒らも
いかでか官軍に敵すべき
根拠とせし都の城◌人
吉◌延岡をも攻をとさ
れ十重二十重にとり
囲まれ日向の山中ゝ村
にて西郷隆盛は桐野
利秋をはじめ部下の賊
魁をあつめ官軍の囲みを
破つて鹿児しまへ戻るべし
と地図を示して協議せり
篠田仙果(落款)

西南戦争の双六

海の見える杜美術館では、10月14日(日)まで展覧会「西南戦争浮世絵 ­さようなら、西郷(せご)どん­」を開催しております。今回はその出品作品の中から、西南戦争を題材とした絵双六(絵入りの双六)を紹介します。

2018-002-01-3 296 鹿児島鎮定双六 及び 封筒-1

歌川国貞(3代)画《鹿児嶋鎮定双六》 1877年(明治10)10月27日届出

 

江戸時代に子供の正月遊びとして普及し始めた絵双六は、明治時代になって玩具として本格的に定着し、様々な種類のものが世に出ました。

絵双六には、振り出しから上がりまで順々に進んでいく「回り双六(廻り双六)」と、各区画に移動先が示してあり、振ったさいの目によって絵の中を飛び移っていく「飛び双六」の2種類があります。今回紹介する《鹿児嶋鎮定双六》は、そのうち「飛び双六」にあたり、振り出しの「征韓論」から上がりの「天盃」まで西南戦争の下記の14の場面が描かれています。「征韓論」以外はすべて1877年(明治10)の出来事です。

 

征韓論…1873年(明治6)、西郷隆盛が政府の参議を辞職し、鹿児島へ帰るきっかけとなった論争。

弾薬… 薩摩が所有していた武器弾薬を、1月末から2月初頭にかけて官軍と旧薩摩藩 士が奪い合った事件(弾薬掠奪事件)。

軍議… 2月5日、西郷と薩摩兵士たちが、軍議を行い、全軍出兵して東京へ向かうことを決めた。

田原坂…3月4日から20日にかけて、熊本城を目指す薩軍と、城を守る官軍が田原坂で大激戦し官軍勝利した戦い。

女隊… 薩軍の女性が部隊を編成し、官軍相手に奮戦した(史実ではない)。

抜刀隊…士族で編成された政府の抜刀隊が、薩軍と戦闘した。彼らの中には薩摩出身者も多く参加していた。

朝男山…相撲取りの朝男山市五郎と弟子たちが、畳で銃弾を防いだ(史実ではない)。

高千穂…熊本を追われた薩軍は、高千穂の山の麓で官軍を食い止めた。

人吉… 薩軍は熊本から人吉に本営を移し、官軍は6月1日に人吉を攻め落とした。

佐土原…宮崎佐土原の島津啓次郎が薩軍佐土原隊を結成し奮戦した。7月31日に佐土

原は陥落した。

延岡… 8月14日、宮崎の延岡に集まった薩軍を官軍が総攻撃し、占領した。

降参… 8月16日、西郷は解軍の指令を出し、薩軍から降参する者が相次いだ。

城山… 9月1日、西郷は残りの兵と鹿児島の城山に入り、9月24日、官軍が総攻撃をかけ薩軍は全滅、西郷は切腹した。

天盃… 官軍の勝利に貢献した人が集められ、天皇から直接酒盃を賜った(史

実ではない)。

 

この中には「女隊」や「朝男山」など、史実とはみなされていないものも含まれますが、「征韓論」や「弾薬」、「田原坂」や「城山」など、西南戦争に関係する主要な出来事や激戦地が描かれ、この1枚を通して戦争の勃発から終焉までを辿ることができます。

当館所蔵の西南戦争の双六は本作のみですが、管見の限り、他にも楊洲周延画《鹿児島鎮静双録》(江戸東京博物館所蔵、明治10年届出)、月岡芳年画《鹿児嶋凱陣双六》(個人所蔵、明治10年12月17日届出)、月岡芳年画《鹿児島平定寿語禄》(個人所蔵、明治10年12月7日届出)の3点の存在を確認しています。これらはいずれも画題に、「鎮定」、「鎮静」、「凱陣」、「平定」とあり、天盃を頂戴する場面を上がりとしていることから、その制作には官軍の勝利を祝う意図が込められていたと考えられています(註1)。西南戦争を題材とした双六について、他にどのようなものがあるかは今後も探していきたいと思っています。

戦争が終わって間もない時期に、西南戦争が双六のような子供の遊び道具に取り入れられたことはとても興味深いです。

 

西南戦争浮世絵展では、展示室を出たところに、本作を使った双六コーナーが設けられています。

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「征韓論」から振り始め、「降参」もしくは「城山」を通って、そこから「天盃」で上がるのが通常ルートですが、序盤の「女隊」を通ると、最短3回で上がることができます。

鹿児嶋鎮定双六 海の見える杜美術館 UMAM - コピー (2)

当時の子供たちが夢中になった双六遊びを体験してみてはいかがでしょうか。

 

大内直輝

 

註1 大庭卓也・生住昌大「西南戦争-戦争と、その広がり-」 久留米大学文学部 2014年 67、68ページ

西南戦争 女軍隊の活躍

女軍隊は史実としては確認できないのですが、西南戦争浮世絵には、女軍隊の活躍を描いたものが数多く存在し、そのうちの大部分は錦絵新聞として発行されています。

20180818 230 鹿児嶋征討紀聞
230.楊洲周延《鹿児嶋征討紀聞》大判錦絵3枚続 1887年(明治10)

20180818 228 薩州鹿児嶋征討記之内 賊徒之女隊勇戦之図
228.月岡芳年《薩州鹿児島征討記之内 賊徒之女隊勇戦之図》大判錦絵3枚続 1887年(明治10)

20180818 232 鹿児島戦争記聞
232.楊洲周延《鹿児嶋戦争記聞》大判錦絵3枚続 1887年(明治10)

230番(※)には、鹿児嶋の錦江湾で官軍の軍艦を攻撃する女性たちが描かれています。228番は桜吹雪の中で、232番はヤマツツジが咲き乱れる中で薩摩の女性兵士たちが薙刀を振るって官軍と戦っています。

現在開催中の展覧会「西南戦争浮世絵 ―さようなら、西郷どん―」で展示しています。(10月14日まで)

※番号は、このたびの展覧会に合わせて発行された「資料集 西南戦争浮世絵」2018と連動しています。

さち

夏休みの課題と双六ゲーム

お盆が過ぎ、日の入りが早くなったかなと感じる8月中旬。

学生の皆さん、夏休みの課題は進んでいますでしょうか?

お盆期間中は多くの方にご来館いただきありがとうございました。

時間をかけて展示をご覧になっている姿を多くお見受けしました。

今回の展覧会のために特別に設けられている双六コーナーでは、

お子様たちが一生懸命サイコロを振っていましたが、

なかなか上がることができなかったみたいです(笑)。

西南戦争浮世絵展は10月14日(日)まで開催中です。

ミュージアムショップにて、西南戦争浮世絵の資料集を販売しております。

ぜひ夏休みの課題の参考にしてみてはいかがでしょうか?

また双六ゲームも体験してみてください♪

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A.N

西南戦争 官軍、降参を呼びかける

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「官軍に降参する者はころざず 明治十年六月 官軍先鋒本営」

6月1日、薩軍の本営がおかれた人吉が陥落しました。その後にまかれたビラのようです。

現在開催中の「西南戦争浮世絵 -さようなら、西郷どん-」に出品されています。およそ100点ある出品作品中、本作品(ビラ)は唯一、実際の戦争に利用されたリアルな歴史史料として異彩を放っています。

 

そして今、ウッドワン美術館で開催中の「アートの世界を探検しよう!~鑑賞入門第10弾~」にて、同館所蔵の高橋由一《官軍が火を人吉に放つ図》が展示されています。

20180814 高橋由一《官軍が火を人吉に放つ図》 (1)
高橋由一 《官軍が火を人吉に放つ図》 1877(明治10)年 油彩・カンヴァス ウッドワン美術館蔵

当館で展示している西南戦争浮世絵は、絵師が現地を見ずに想像で描いたものですが、この作品は、官軍が人吉に陣取る薩軍を追い込む場面を、実際に現地を取材したスケッチを元に描いたようです。このような絵はとても珍しいのではないでしょうか。ウッドワン美術館は当館から車でおよそ1時間、山深くとても涼しい場所にありますので、ぜひご一緒にお楽しみください。

さち

青木隆幸

香水瓶展示室

このたびの展覧会「西南戦争浮世絵 -さようなら、西郷どん-」開催と同時に、
香水瓶展示室が新設されました。

20180807香水瓶展示室

紀元前から現代まで、5000年にわたる香水瓶の名宝をいつでも見ることができます。

不定期に展示替えが行われるので、開室時期などホームページでご確認ください。

クレオパトラの時代の香水瓶は? マリー=アントワネットの時代の香水瓶は?

10月14日(日)までは確実に展示されています。

うみひこ

第1回 香水散歩  パリ マレ地区 
   コニャック=ジェイ美術館 

はじめまして。海の見える杜美術館の香水瓶担当の学芸員クリザンテームです。香水瓶や美術作品を求めて、日本はもとより世界中を旅しています。

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本日は、パリの中世の街並みが残るマレ地区へまいりました。まずはコニャック=ジェイ美術館を訪問いたします。というのも、こちらの美術館では、当館所蔵の香水瓶(画像1-5)と同時代にあたる18世紀美術の素晴らしいコレクションを見ることができるからです。

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1《ネセセール》イギリス、1760-1765年頃、瑪瑙、ルビー、金、象牙、ガラス、海の見える杜美術館
2《香水瓶》フランス、1720-1730年、金属に金メッキ、海の見える杜美術館
3《ネセセール》フランス、1785年頃、マザー・オブ・パール、銀、透明ガラス、金属に金メッキ、海の見える杜美術館
4《香水瓶》フランス、1785年頃、透明ガラス、金、象牙、海の見える杜美術館
5《香水瓶》フランス、1740年頃、金、海の見える杜美術館

 

パリで最も古い建物のひとつ、ドノン館に設えられた展示室には、デパート「サマリテーヌ」の創業者夫妻が蒐集したロココ様式や新古典様式の絵画や家具調度品による、18世紀の室内空間が再現されています。《ネセセール》等の香水瓶が好まれた、当時の王侯貴族の生活をより理解するには、まさにうってつけの場所といえるでしょう。

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コニャック=ジェイ美術館展示室
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展示室に足を踏み入れると、そこには曲線美を誇る寄木細工の家具や金銀細工の燭台セット、マイセンをはじめとする磁器製品といった、18世紀美術を特徴づけるものがずらりと並んでいます。キャビネットの中には、当館所蔵作品と同型の作品がいくつも見出せました。

当時は、画家でいえば「雅宴画」を得意としたヴァトーやフラゴナールらが活躍した時代ですが、コニャック=ジェイ美術館にかけられた絵画や何気ない装飾の中にも、恋愛の駆け引きの場面が生き生きと描かれていました。それらからは、18世紀には雅な情事が人々の道楽でありエチケットでもあったことがよくわかります。 私はふと、当館所蔵のセント・ボトルとボンボニエール(菓子器)が一体となった作品を思い出しました。かつてそのボンボニエールには、香り付きドロップスが入れられていたといわれています。宮廷において、愛のささやきの効果を得るためには、香水はもちろんのこと、口臭にも気を配る必要があったのですね。この美しい室内空間にいると、吐く息までも香り豊かなものでありたいと願う昔日の貴族たちの姿が身近に感じられるのです。

クリザンテーム

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《セント・ボトルとボンボニエール》イギリス、サウス・スタフォードシャー、ビルストン、1760年頃、七宝、金属に金メッキ、海の見える杜美術館

 

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ジャスミンが香る中庭で一休み。

 

7月31日の火星大接近と西郷星

7月31日、地球に火星が大接近します。

この稀な自然現象に際し、NHKの科学文化部より、1877年に火星が大接近したときの民衆の反応や、その火星が西郷星として描かれた浮世絵について取材を受けました。

西南戦争が戦われた1877年、火星は地球に大接近し、8月上旬から目立ちはじめ、最接近は9月3日、今年の大接近と近い距離5,630万kmまで近づき、光度-2.5等あまりに輝いたそうです。

同じころ、西郷は死を迎えようとしていました。九州各地を転戦したのち鹿児島に戻って城山に立てこもったのが9月1日、そして9月24日に死を迎えます。

火星の輝きと衰退のタイミングが、西南戦争の終焉、つまり西郷の死と関連付けられて考えられたのでしょうか、8月から10月にかけて、さまざまに西郷と火星の関係が報じられました。下の作品の文章の翻刻を参照してください。

7月31日(火)夜9時、NHK「ニュースウォッチ9」の番組の中で、火星大接近について特集が組まれ、当館所蔵の浮世絵が紹介されるかもしれません。まだ未定のようですが放映を楽しみにしたいと思います。(一応このような内容であれば、皆様に事前に紹介しても良いと許可を得ました)

なお、このたび紹介する西郷星に関係する浮世絵は、すべて現在行われている展覧会「西南戦争浮世絵 -さようなら、西郷どん-」(10月14日まで開催)にて公開しています。また、当館が所蔵する西南戦争関係の浮世絵約300点を収録した『資料集 西南戦争浮世絵』(海の見える杜美術館 2018)中にも、大きなカラー画像を掲載し、画中の文字も翻刻しています。

※(文章の翻刻)の中の「〳〵」は繰り返し記号「〱」のこと

20180828鹿児島征討記之内楊洲周延 UMAM
鹿児嶋征討記之内

鹿児嶋征討記之内
大判錦絵三枚続
楊洲斎周延(楊洲周延)画
彫工秀勝刻
筆者未詳
船津忠次郎出版
明治十年八月届出
右 三七・〇×二四・九センチ
中 三七・二×二四・九センチ
左 三七・二×二五・〇センチ

(文章の翻刻)
于時明治十年八月
初旬巽の方に当り金
色の星夜九時頃より出
現す往古より治乱の際
必す天変ありと然るに
今薩州鹿児島の賊
平定ならざるの時なれば
世上誰言ふとなく
此星をよび唱へて
西郷星いふ

 

20180828 奇星之実説 楊洲周延 UMAM
奇星之実説

奇星之実説 西郷隆盛
大判錦絵
楊洲斎周延(楊洲周延)画
彫秀勝刻
笠亭主人篠田仙果筆
松下平兵衛出版
明治十年八月三十日届出
三七・九×二五・五センチ

(文章の翻刻)
西郷隆盛

時に明治十年八月上旬より/東の方の空にあたり夜な〳〵/その色紅の如き大ひなる星出現/せり人々めづらしと云ほどに何者/か臆説をなして曰く薩賊の惣/長西郷吉之助が陸軍の官服/を着せし如くに見ゆるなどとあら/れぬ事どもを言ふらせり然るに/東京大学理学部の学士ピー。ウィ/ー。ウィーダル氏の説にいはく「そも/此星は火星といふて遊星なりされば/本年は火星が太陽と地球とに最とも/近く寄たれば大きくも見えまた赤き色/も増たるなり色の赤きは火星の証こなり既に/今より百五十年前この星現われたる時西洋に/ても新星なりと思ひ種々の説を立その/後七十九年目にあらわれし節も兵乱/のまさに起らんとする凶兆ならんなどゝ/風説せり〔世に此ほしを熒惑星とも云〕また/案ずるに此火星は二ヶ年五十日目ごとに大陽/に近づく事あれど地球は反つて大陽ともつとも/
遠くはなるゝ物なれば見へざる之より今より七十年の/後明治八十九年には本年の如く現はれべしと記られたり

笠亭主人篠田仙果録

20180828最期星 歌川芳虎 UMAM
最期星

【絵入新聞の投書】最期星
大判錦絵
永島孟斎(歌川芳虎)画
彫師未詳
筆者未詳
倉田太助出版
明治十年九月二十日届出
三七・一×二五・三センチ

(文章の翻刻)
再度鹿児島地方に金光を/現じて火星の様に暴星を/たくましう為共近きに/全く其光りを/失なひ山間/を夜這星と/なれは賊魁の/首を功星に/して/天道星の如く/大道へ/曝す/時は世の/中もブンド/
宵の明星と/なるべし

刀屋

このほしのおかけてはいとう以来ほとんと/はいふつと為ひきつてしまいこんだかたなも/いちじはねがはへてとんだやうすはありがたいか/二そく三文のやすねにはかんしん/しないて

かうしやくし
てんべんちいと/いつてなんねんにはこう/いふほしがでゝいくつきを/へてきへるといふとはしれては/いるものゝさいかうぼしと/なをつけたのはおもしろいて/わがしやちうにもこのほしの/ためにたすけられし/ものもなきにしも/あらずだ

小□□や
どうかこのほしがきへて/よのなかがおだやかに/したいものだしろものゝ/うれないにはまことに/きようしゆく

かしざしき
こんどのさはぎはさておいてこのはるの/
くしよの大ぢしんこのかたこないもさびしく/たちいきのかなはね□このあいだはねづみ/たいがきましたゆへすこしはいきをついたが/かごしまの大じけんよりがつたりおちで/大ふさぎのそゝだれなら/いゝがよだれでくまりました

20180828西郷星地落人民之口 UMAM
西郷星地落人民之口

西郷星地落人民之口
大判錦絵三枚続
早川松山画
彫師未詳
筆者未詳
門戸松蔵出版
明治十年十月三日届出
右 三六・九×二四・八センチ
中 三六・八×二五・四センチ
左 三六・九×二四・八センチ

(文章の翻刻)
楠正成星
「よくきけよ西郷吉之助御身は
わかいじぶんから 天朝をおもひ
忠義無二にてみなかんしんせぬ
ものなくことに正三位までにいたり
われ〳〵はじめよろこび 勤王一等
なりとおもひのほかこのたびの
ぼうきよはなにごとぞいくさは
われ〳〵よりかうはあれどぞくの
名義は万世までのこるはあゝ
□磨呂君かなしい〳〵

おいらん
「あゝいそが
しいこと〳〵一とばんに二十
人ぐらいのまはしちよつ巡査のり
御方なら日夜はおろかねるめも
ねずにおかねほしきにくがいもいとひま
せんしかしいくさがおさまれはみなはんが
おくにへおかへりなんすのでこゝろぼそい
いくさがどん〳〵あればいゝんでありんす

小ぞう
「いくさがもつとあればいゝ店はいそがしいし/ふくはどん〳〵みしんでしたてそのいそ/がしいまぎれにぜにをもらつて使の/たびにかひくひができるこんないゝ事は/あるまいがあゝ小ぞうみやうりが/つきたのかどうぞいくさの/あるやうにしておくれ

山師
「西郷さんもつとがまんしていくさを
やつてくださればいゝのにこゝが
かんじんさうばがさがると
たいへん〳〵しんだいかぎりを
してもいおかはりねへえゝえゝ
ざんねん〳〵

こんさい
「西郷大明神さい〳〵これほどのねかひし
ますいくさがながくだんなはうちじにを
なさったらかわいゝ男とそひ
ぶしをしてきたいおかねはもち
ろんそうなりますればかねの
とりいおっとわたしはうそつきで
とりいがありません
かねかしにでもなり
ませう

たんと諸々人
「このあいだうちのいそ
がしさおふくろも大きに
よろこんでいたがいくさより
おさまれば
だん〳〵
ひまに
なる
とかな
わぬもうすこし
どん〳〵やって
くだされば
いゝ
のに

はいたつ
「貴社なぞはせんそうからいそがしいこと〳〵/ぼくも月きうがましはいたつはほねが/をれるがいやもうかねがはいるのが/ うれしいなんでも新聞といふからめづらしく/づどんとめさきがかわらなければ/                          いかねへ

清正
「西郷がしろをかこんで
二十四度せめるしのは
らうぜうをしてふせ〳〵は谷君の
はたらきさすが陸軍少将たけ
又一つにはわがはいのきつきし
城はいかゞ西郷氏どうだ
子へえへん

けん下の百姓
「西郷が
わしらのけん下
へおしこんできて
でんぢでんはたはふみ
あらされうちは
やかれてしまひ
ほんにみづ
のみ百せうに
なってしまった
くやしい〳〵

ばゝあ
「おらがたったひとりのまごをかはいゝことゝ/たのしみにしているうちおかみから兵たいに/めされなきのなみだで出たがこんどの/いくさにしんでしまったこれも/
西郷のおかげであるくやしくって/ならぬあゝかなしや〳〵

半将門星
「あらうれしや〳〵よろこ
はしやおとにきこへし
西郷をとふ〳〵ぞくに
引ずりこみうち死を
させたうへからは
身どもゝぞくの名は
こうせいまで〳〵

商人
「わたくしどもはじめしよ商人は
西郷がとんだことをしだした
からあきなひはひまだし
ゆうづうはきかずいやはや
もうよわりきりました
このいくさがながくつゞい
てはひものになるところ
だつた

おつかあ
「ちやんやはやくこないか
西郷ぼしがおちた〳〵うちじにの
とき首がないといふはなしだが
そらの中は大へん〳〵からだが
かくれてくびばかり
みへる

紀友
「おれも九洲ではながく
たゝかひみづ仲はじめなやまし
名を万代にのこしたが
西郷氏にはとても
およ[ ]ん

しいれ画工
「ぼくなんぞはてん〳〵をいふが
人がかくものをもうてこんには
へいこう〳〵家内おほでは
あるしうまい酒一つぱい
のまこともならぬもう
てんぐもよそふえへん〳〵

ねこ
「わたいらもいくさからすこしも
おきやくはなしぜいはおさめ
なくってはならずおっかあ
には小ごとをきくし
こんなばか〳〵しい
事はない

大工
「おれなんざあせんそうこのかた
ひまなこと〳〵火事があつても
たれもふしんはせずいやもう
よわりきったぞぺらんめい

車ひき
「いやもうひまで
〳〵いくさ
からこまり
きる車のはだいはたまるし
おやかたにはせつかれ
がきにはなかれ
このとふり
やせたいま
〳〵しい

 

なお、お雇い外国人エドワード・S・モース(1838-1925)が西郷星(火星)に関する浮世絵が販売されていたときの様子を次のように日記に残している。(※)

一枚の絵は空にかかる星(遊星火星)を示し、その中心に西郷将軍がいる。将軍は反徒の大将であるが、日本人は皆彼を敬愛している。鹿児島が占領された後、彼並に他の士官達はハラキリをした。昨今、一方ならず光り輝く火星の中に、彼がいると信じる者も多い。

※エドワード・シルヴェスター・モース 石川欣一訳「日本その日その日」(科学知識普及会、一九二九年) なお、モースの日記の記述については、第二十回国際浮世絵学会春季大会(二〇一八年六月)研究発表「文化史的側面―西南戦争錦絵及び風刺画の多様性」にて発表者の高橋未来氏(立教大学大学院)が配布した資料から情報を得た。

さち

青木隆幸

 

「西南戦争浮世絵 さようなら、西郷どん」 開催中!! 

連日厳しい暑さが続きますね。
美術館周辺では蝉の鳴き声が聞こえるようになり、夏も本番だと感じております。

海の見える杜美術館では、7月21日から10月14日まで、
企画展「西南戦争浮世絵 さようなら、西郷(せご)どん」を開催致しております。

DSC05819 - コピー西南戦争浮世絵は、西郷隆盛ら薩摩士族が日本政府に対して起こした反乱・西南戦争の刻一刻と移り変わる戦況を、リアルタイムで伝えた多色摺木版画です。

薩摩軍の進撃や、陣中でのエピソード、新聞で風説された薩摩士族の妻子で構成された女軍隊の活躍など、薩摩軍よりに描かれたものが多いのが特徴です。
この度の展覧会では、当館所蔵の300点以上の西南戦争浮世絵コレクションの中から厳選した約100点をご紹介します。

受付・総務を務める私の目線ではありますが、版画でありながら繊細で、
色彩豊かな迫力のある作品ばかりで浮世絵の世界観に入り込んでしまうほどでした。 タイトルの「西郷(せご)どん」(西郷隆盛)にスポットを当てた作品も見どころです!

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また、ご来館されたお客様、お子様にも楽しんでいただけるよう
撮影コーナーや当時楽しまれた鎮定双六(ちんていすごろく、征韓論政変から始まり、戦争の平定であがりというすごろく)などもご用意致しております。

夏休み期間中は、海の見える杜美術館へ足を運び
西南戦争浮世絵の世界観を体感してはいかがでしょうか?

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o.s

杉野希妃さんがご来館くださいました☆

先日、映画監督・プロデューサー・女優の杉野希妃さんがご来館くださいました。

杉野さんは広島のご出身。女優としてキャリアをスタートされましたが、活動の幅を広げ、現在では映画のプロデュース、監督も手がけています。国境を超え、アジアを中心に世界各国の映画祭に参加、受賞も重ねているすごい人なのです。
そんな彼女が現在の展示「香水瓶の至宝~祈りとメッセージ~」展を見に来てくださいました。というのも、実は私・森下と彼女は中学・高校の6年間を共に過ごした同級生。高校を卒業してから初めての再会を果たしたのでした・・・!

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うみもりテラスで。香水瓶展の図録を持って写ってもらいました☆

 

高校卒業以来、彼女の姿を見るのは映画のスクリーンかテレビの画面か、という感じだったので、実際に会うまですごく緊張していたのですが、高校の頃とまったく変わっていなくて本当にうれしかったです。会場の香水瓶を見ながら、初めて触れるものや考え方にとてもまっすぐに好奇心を向けてくれる姿に、杉野さんの活動や作る映画のテーマの幅の広さの所以を見た気がしました。
一番最近の映画『雪女』(監督・主演:杉野希妃、2017年、和エンタテイメント)は映像美にも魅せられますが、よく知っている小泉八雲の「雪女」の物語が、異界からの越境者との交流、疎外されるマイノリティといったテーマを持って見るものに迫ってきます。彼女の映画には「一見平穏に見える日常や社会が、何かをきっかけに揺らいで、問題が見えてくる」という大変面白い物語が根底にあることが多く、カチカチな価値観にとらわれがちなこの社会に問いを投げかけてくれるのです。いや~映画って本当にいいものですね(どうしても言いたかった)。

私と彼女はまったく違う仕事をしておりますが、いろいろな時代と地域の美術に触れる中で、価値観、考え方というものはいつの世も移ろうということを私も常々感じます。いつかまたそんな話を彼女としたいものだと思ったのでした。

 

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杜の遊歩道の東屋にて。女優・杉野希妃さんの輝きをご覧くださいませ。ちなみに彼女のオーラとロケーションのおかげで、私も普段より50倍ぐらいいい顔しています。皆様も遊歩道ご散策の際にはぜひこちらでお写真などを撮ってみてください☆

森下麻衣子