YouTube公開 中国版画の末裔としての民国期ポスター~伝統の継承と変容を中心として~

「蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術」記念講演会:「中国版画研究の現在」のプログラムのうち、以下の発表がYoutubeに日英中3か国語で公開されたことをお知らせいたします。

【日本語】

中国版画の末裔としての民国期ポスター
~伝統の継承と変容を中心として~

田島奈都子
青梅市立美術館

洋紙に多色石版印刷術を用いて製作される近代ポスターの歴史は、中国においては清朝末期に、香港や上海に進出した外資系企業が用いたことによって始まる。初期の外資系企業によるポスターには、中国版画において人気の画題が、そのまま用いられることが多かった。しかし、民国期に入り中国の民族資本企業が国内に起こると、彼らは同時代風俗を主題とすることを好み、特に女性たちは最先端の衣装や髪型で描かれた。ところが1930年代に入り、満洲国の建国との関係から、中国国内における愛国的な運動がさらに活発化すると、それらはポスター図案にも影響を与えた。事実、これ以降の時代においては、中国版画と重なる伝統的な画題や風俗を主題としたポスターも盛んに製作され、満洲国皇帝・溥儀の即位に際して製作された一連の作品の中にも、そのようなものが存在している。なお、外国にも流布した伝統的な中国版画は、それゆえに描かれた図像を「中国」とする理解を西洋諸国に助長し、中国風に表現したい際の手本となった。

【英語】

Posters from the Republic of China as the Descendants of Chinese Prints — Centering on Succession and Changes in Tradition

Tajima Natsuko
Ome Municipal Museum of Art

The history of manufacturing modern, multi-color lithograph posters on Western-style paper began in China at the end of the Qing Dynasty, as they were used by foreign-owned enterprises that were expanding into Hong Kong and Shanghai at the time. In the posters of these early foreign companies, it was common to use themes that were popular in Chinese prints, just as they were in the past. However, entering the period of the Republic of China (1912–1949) as The development of national capital in the country, contemporary subjects are favored, particularly those depicting women in cutting-edge fashion with modern hairstyles. Entering the 1930s, the increase in nationalist movements had an influence on poster design. In later times, posters depicting traditional themes and customs that overlap with Chinese prints were frequently made, including those made to commemorate the ascension of the emperor of occupied Manchuria, Puyi (1906–1967). In addition, as traditional Chinese prints circulated outside of China, the images they depicted promoted an understanding of “China” in Western countries, becoming models for occasions when there was a desire to express something with a Chinese atmosphere.

【中国語】

民国时期海报里的中国版画复兴─以传统的继承与变化为中心

田岛奈都子
青梅市立美术馆

近代的海报印刷是以彩色石印技术在洋纸上印制而成,其在中国的历史始于清朝末年进驻香港,上海等地的外资企业所使用的印刷技术。早期外资企业制作的海报图案,大多照旧沿用传统版画的流行主题;其后随着民国时期中国民族企业在国内的崛起,民族企业的海报倾向以当代的风俗作为题材,尤其喜好描绘服装,发型引领时尚的女性形象。然而,1930年代国内爱国主义运动兴盛,其影响也遍及了海报设计。实际上,在接下来的时期,大量印制的海报主题多是回归中国版画传统的画题,或是描绘中国风俗,就连纪念伪满洲国皇帝溥仪登基时所制作的一系列海报之中,这类的主题也仍占有一席之地。此外,承袭传统表现的中国版画流传海外,也因此助长了西方国家认定其中图像即代表“中国”的风气,这些版画作品便成为海外艺术家表现中国式风格时所参考的范本。

さち

YouTube公開 18世紀の「静物画」版画の起源を絵画で探る

「蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術」記念講演会:「中国版画研究の現在」のプログラムのうち、以下の発表がYoutubeに日英中3か国語で公開されたことをお知らせいたします。

【日本語】


「18世紀の「静物画」版画の起源を絵画で探る」

アン・ファーラー
サザビーズ美術カレッジ・ロンドン、中国美術学院・杭州、木版教育基金

本講演では、蘇州の丁氏工房制作、現在大英博物館所蔵の「静物画」4点(1906,1128,0.22–25)に焦点を当てる。これらの版画は、18世紀第2四半期にハンス・スローン卿(1660–1753)が収集した、「丁氏版画」(Ding prints)という通称を持つ合計29点の一枚摺セットに属される。最近の研究成果により、これらの一枚物は、従来考えられていた康熙帝時代(1661–1722年)ではなく、乾隆初期(1736–50年)に制作されたことが判明された。この4枚の版画には、花、古風な様式を持つ七宝焼の器、巻物、本、陶磁器、果物などが描かれており、現代の学者がそれをヨーロッパの命名法に基づいて「静物画」と分類した。本講演では、これらの版画の構図を以下の観点から考察する:(1)康熙朝の一枚摺版画の中の類似図像との関係、(2)季節の祝祭を祝うために描かれ、個人的な贈り物としてよく使われた「特別な場合のための」絵画のジャンルとの関連性、(3)清朝初期に中国に伝えられたヨーロッパの「静物画」類型図像との関連性。また、筆者の研究では、明末から清中期にかけて「静物画」版画における図像の構成、表現方法、意味合いがどのように変化していたかを明らかにすることも引き続いて解明する予定がある。

【English】

Investigating the Origins of Eighteenth-century “Still-life” Prints in Painting

Anne FARRER
Sotheby’s Institute of Art – London, Center for Chinese Visual Studies, China Academy of Art, Hangzhou, and Muban Educational Trust

This lecture will focus on four “still-life” prints from the Ding family workshops in Suzhou, now in the British Museum collection (1906,1128,0.22–25). These prints belong to a group of 29 single-sheet prints, referred to as the “Ding prints”, acquired by Sir Hans Sloane
(1660–1753) in the second quarter of the eighteenth century. Recent research has established that these single-sheet prints were made in the early Qianlong period (1736–50), rather than in the Kangxi period (1661–1722) as had previously been assumed. The images in these four prints include flowers, cloisonné vessels in archaistic form, scrolls,
books, ceramics and fruits, which scholars have categorised as “stilllife” compositions following European nomenclature. This lecture will investigate the compositions in these prints from a number of perspectives: (1) their relationship to similar images in single-sheet prints of the Kangxi period; (2) their connection with “functional” paintings made to mark seasonal festivities and often used as personal gifts; and (3) connections with images of European “still-life” genre introduced to China in the early Qing dynasty. It is intended that this study will also demonstrate how the image groupings, modes of representation, and
meaning embodied in the compositions changed through the late Ming to mid Qing dynasties.

【中国語】

「自绘画中探查十八世纪“静物画”版画之起源」

Anne FARRER
伦敦苏富比艺术学院,中国美术学院・杭州,木版教育信托

本演讲将聚焦于四幅由苏州丁家作坊制作,现由大英博物馆收藏的“静物画”版画(1906, 1128, 0.22–25)。这批版画属于汉斯·斯隆爵士(1660–1753)在十八世纪第二季度收购的一组通称为“丁氏版画(Ding prints)”的29幅单幅系列。近年研究结果显示,这组单幅版画应制作于乾隆初期(1736–50),而非以往所认为的康熙年间(1661–1722)。由于这四幅版画中的图像包括花卉,掐丝珐琅仿古器皿,卷轴,书籍,陶瓷和水果,现代学者便按照欧洲式的命名法将其归类为“静物画”作品。本演讲将从以下几个不同的角度来检视这批版画作品的构图:(1)它们与康熙时期单幅版画之中类似图像的关系,(2)它们与为纪念季节性节日而制作的,经常作为个人赠礼的“时节”类型绘画的连结,以及(3)它们与清初引进中国的欧洲“静物画”类型图像的联系。我的这项研究预计也将会呈现明末至清中叶的“静物画”版画作品中的图像组合,表现模式及蕴含意义之变化。

さち

うみもり香水瓶コレクション23  マイセン製の香水瓶 2

 こんにちは。今回の「うみもり香水瓶コレクション」は、前回に引き続き、当館企画展示室の「蘇州版画の光芒 ―国際都市に華ひらいた民衆芸術ー」展に合わせて、マイセン磁器工房の香水瓶を取り上げます。本作品は、香水瓶展示室にて8月13日まで展示しています。こちらの作品です👇

《香水瓶》ドイツ、マイセン1725-28年硬質磁器、銀に金メッキ、海の見える杜美術館 PERFUME FLACON, Germany Meissen, 1725-1728, Hard paste porcelain, gilt silver, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

 一見すると、前回ご紹介した作品と見分けがつかないかもしれません。2点を並べてみると……👇

《香水瓶》ドイツ、マイセン1725-28年硬質磁器、銀に金メッキ、海の見える杜美術館 PERFUME FLACON, Germany Meissen, 1725-1728, Hard paste porcelain, gilt silver, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

 ほう、やはり似ていますね。この2点は、ともに天才絵付師ヨハン・グレゴリウス・ヘロルトが手掛けた時期にあたる作品です。それゆえ、両作品では、彼が編みだした色鮮やかな絵付けの技術がいかんなく発揮されていて、それが見る者の目に真っ先に飛び込んでくるため、どうしても印象が似てしまいます。さらに、側面の怪人面の有無といった多少の差異はあるものの、全体の器形や、金属部分の使い方、図柄の余白となる白磁の効果的な見せ方もよく似ています。サイズ(高さ)も1㎝しか違いません。

 では一体、何がもっとも異なるのでしょう?

 それは、図柄の内容です。前回の香水瓶が、ヘンテコな生き物が空に舞う、幻想的な東洋風景であったのに対して、今回の香水瓶は、現実的な西洋の風景が描かれているのです。

 図柄を拡大して見ると……

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

 晴れ晴れとした空の下に繰り広げられる、とある港の活気あふれる岸壁の光景が活写されています。

 水上の幾隻もの船の往来、そしてそれを見守る紳士たち――彼らの後ろ姿からは、船の到着を今か今かと待ち構える様子がよく伝わってきます。その傍らでは、顔見知りにでも行合ったのか、朗らかに言葉を交わす人々が見受けられます。そのまた傍らでは、荷を一心に運ぶ人夫も瓶の右端にいますね。

 反対の面も見てみると……

©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

 こちらの様子は、なにやら忙しそうです! 岸壁に置かれた荷の数も増えていますし、悠長に遠い水上を眺める人の姿も、もはやありません。きっと船が接岸したのでしょう。そのため、荷物をせっせと運ぶ人々やそれを指示する人、さらに荷の確認を終えて談笑する人々の姿が見られます。つぶさに見ていると、あたかも当時の記録映像でも見ているかのようです。あともう少し耳を澄ませば、運搬人の掛け声や貿易商人たちの話し声、汽笛や波の音まで聞こえてきそうなほど。私はこのようなときにこそ、ヘロルトの卓越した描画技術を実感いたします。10㎝にも満たない小瓶に、あまりにもリアルに描かれた港の様子。これは幻想的な東洋風景を見るのとは一味違った知的好奇心を満たしてくれるのではないでしょうか。

 港の風景は、初期の磁器製の香水瓶にしばしば描かれた図柄でした。この図柄が瓶の全面に配された本作品は、磁器が、何世紀もの間、はるか中国や日本からの希少な輸入品であった歴史的事実を思い起こさせてくれるものです。つまり、図柄が幻想的であろうとも、また現実的であろうとも、初期の磁器には常に東洋の存在がどこかにあるのですね。

 面白いことに、企画展示室の「蘇州版画展」には、本作品とほぼ同時代に制作された、東洋の港町の姿を伝える作品が複数出品されています。例えば、18世紀の中国最大の経済都市であった蘇州の都市景観図《姑蘇閶門図》と《三百六十行図》です。《姑蘇閶門図》は、展覧会チラシにも使われている作品ですね。これらの作品には、市中を水路が巡り、船が行き交うこの町の、大運河に接する城門付近の様子が描かれています。

左:《姑蘇閶門図》清時代、雍正12年/1734年、紙本、木版、濃淡墨摺筆彩、海の見える杜美術館。The Changmen Gate of Suzhou,1732, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima. 右:《三百六十行図》清時代、雍正12年/1734年、紙本、木版、濃淡墨摺筆彩、海の見える杜美術館。All Walks of Life, 1732, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima.

 この東洋の港湾都市も、とても賑わっていますね。さきほどの西洋の港の風景とは違って、こちらは町を一望するように俯瞰した視点で描かれているので、岸壁やその周囲の様子がなおさら克明に伝わってきます。ここで用いられている線遠近法や陰影法については、キリスト教宣教師を介して伝えられた西洋画の影響が、先行研究にて指摘されています。前回ご紹介した当館で5月に催した記念講演会においても、そのことについての最新の研究結果が、当館の青木学芸員をはじめ、複数の研究者により発表されておりましたので、私はいずれも興味深く拝聴いたしました。

 なんといっても、1730年前後に制作された西洋の磁器には東洋の、そして東洋の版画においては西洋の存在が感じられるのは、とても面白いことですね。交易や布教活動による人の往来が、文化へもたらす影響の大きさがよくわかります。

 ところで、マイセン磁器工房の香水瓶は、香水瓶の歴史も塗りかえることになりました。それ以前の、鉱物や陶器、金属、ガラスといった素材から、マイセン磁器の誕生以後は、磁器が各地で相次いで用いられるようになったのです。その伝播力は甚大で、しまいには18世紀の香水瓶を象徴する素材となりました。

 以上、2回に渡って、マイセン磁器工房の香水瓶を取り上げました。その歴史的価値や魅力の一端をお伝えできましたら幸いです。絵付けの素晴らしさに限っては、どれほど言葉を尽くしても表しづらいものです。ぜひこの機会に実物を展示室にてご覧くださいませ。

岡村嘉子(特任学芸員)

◇企画展示室情報:蘇州版画の光芒―国際都市に華ひらいた民衆芸術― – 広島 海の見える杜美術館 (umam.jp)

[会期](前期)2023年3月11日(土)〜2023年5月6日(土)
    (後期)2023年6月 3日(土)~2023年8月13日(日)
     ※前期と後期でメイン会場の作品はすべて入れ替わります
[開館時間]10:00〜17:00(入館は16:30まで)
[休館日]月曜日(但し7/ 13(月)は祝日開館)、 7/14(火)
[入館料]一般1,000円 高・大学生500円 中学生以下無料
*障がい者手帳などをお持ちの方は半額。介添えの方は1名無料。*20名以上の団体は各200円引き。

夏休みワークショップ 版画を作ろう!

「蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術」展
夏休みワークショップ

版画を作ろう!

デジタル全盛の時代ではありますが、アナログの美しさ、版画を作るという手作業の面白さを体験してください。

日 時:8月12日(土)10:30~12:30 
会 場:美術館多目的ルーム
集合場所:美術館受付
対象:小学5年生以上
定員:5名(先着順・要申込)
参加費:500円(材料実費。入館料別途必要)
講 師:Akie(イラストレーター・武蔵野美術大学卒業)
備考:小学生が参加の場合は保護者の方の同伴をお願いします。
インクを使うので、汚れてもよい服装でお越しください。
お申し込み方法:
メールに以下の情報を記載しinfo@umam.jp宛にお申し込みください。
件名:版画を作ろうワークショップ申し込み
本文:参加者のお名前(小学生は学年も併記)
   電話番号
先着順にて定員に達し次第締め切らせていただきます。

海の見える杜美術館
住所:広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701
電話番号:0829-56-3221
ホームページ:https://www.umam.jp/

さち

うみもり香水瓶コレクション22  マイセン製の香水瓶 1

 こんにちは。現在、海の見える杜美術館の企画展示室では、当館所蔵の約3000点の中国版画の中から厳選された約300点を公開する「蘇州版画の光芒 ―国際都市に華ひらいた民衆芸術ー」展が開催中です。17世紀から18世紀に、中国の港町、蘇州でつくられた版画の魅力をたっぷりとご紹介しています。

 この展覧会にちなんで、香水瓶展示室では、蘇州版画と同時代にヨーロッパの王侯貴族が夢見た東洋として、マイセン磁器工房の香水瓶2点を展示しています。今回はそのうち1点をご紹介いたします。

こちらです👇

《香水瓶》ドイツ、マイセン1725-28年硬質磁器、銀に金メッキ、海の見える杜美術館 PERFUME FLACON, Germany Meissen, 1725-1728, Hard paste porcelain, gilt silver, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

セーヴルやロイヤル・ウースター、ロイヤル・クラウン・ダービー、KPMベルリン等、ヨーロッパの名だたる磁器工房のなかでも、マイセンが特別な地位を誇る理由をご存知でしょうか? それは、このマイセンこそが、ヨーロッパの地では不可能とされてきた磁器の製造を初めて成功させたからです。

 マイセンで磁器が誕生するまで、磁器は何世紀にもわたり、遠い東洋からもたらされる舶来品でした。なにしろヨーロッパでは、純白で艶があり、薄く硬い性質を持つ磁器の製法が解明されていなかったので、輸入品を待つばかりだったのです。とはいえ、ひとたび異国の希少で美しい産物を知れば、それを自国で真似して作ってみようと人は思うもの。そのようなわけで、輸入に頼る一方で、東洋磁器と同じく硬質の磁器を作る試みは、常に続けられていました。

 例えば、極東貿易を通じて他のヨーロッパ人に先駆けて、東洋磁器を知ったヴェネツィア人です。彼らは早くも16世紀には製造に挑んでいます。その他にも、フィレンツェの大公フランチェスコ・ディ・メディチが同様の試みをしていました。17世紀半ばには、イギリスのロンドンや、フランスのルーアンやサン・クルー、オランダのデルフトで、やはり探究が続けられていたのです。

 ところで、今も西洋の城館を訪れると、東洋磁器の飾られた部屋である「磁器の間」にしばしば遭遇します。磁器が壁一面にところ狭しと飾られたり、天井高のある部屋の上方まで備え付けてあったりするのを目にする度に、「地震が滅多に生じない国々はいいなぁ……」とつい真っ先に思ってしまうのですが、活断層上に生きる極東人としてのこうした極めて個人的な感想はひとまず脇に置いておきましょう。というのも、見る者を凌駕するかのような、圧倒的な陳列法から感ずべきことといえば、東洋磁器がかつて流行した趣味であったことと同時に、権力や富の象徴でもあったということだからです。

 実際、東洋の白磁は「白い黄金」と呼ばれるほど、非常に高価なものでした。それにもかかわらず、王侯貴族たちは、上記の理由もあって中国磁器や日本の古伊万里をこぞって求めたのです。なかでも、国の財政が傾くほど、東洋磁器に夢中になったのがザクセン選帝侯国のアウグスト強王です。その総数は、なんと約25000点!といわれています。ただし彼は、収集と陳列に終始する人物ではありませんでした。彼は、収集した磁器をもとに、錬金術師らに製法の開発に取り組ませます。そして5年もの歳月を費やした試行錯誤の末、1709年にとうとう磁器製造を実現させたのです。

 では、そのような苦心の末の奇跡の磁器を、とくとご覧くださいませ。本作品の図柄部分を拡大してみると……。

 長衣をゆったりとまとった人物が、東洋風の日傘をかざす御付きと、苦力(クーりー)〔中国の下層の人夫〕の麦藁帽子を被った人物に伴われて、のんびりと散策をしていますね。

 裏面を見てみると……👇

 こちらでは同じ人物が席について、お茶を味わっています。その傍らには、香が焚かれています。とても優雅なひとときが両面に描かれていますね。

 本作品のような中国趣味の図柄は、初期のマイセン磁器の特徴です。これは極東文化を愛したアウグスト強王の好みを反映したものでもありますが、それと同時に、当時のヨーロッパの上流階級における中国趣味の流行を物語るものです。まさに蘇州版画が、ヨーロッパに普及していたのもこの時代です。興味深いことに蘇州版画も、前述の「磁器の間」のように、壁一面を彩る室内装飾として使われていたことがわかっています。そのことについては、当館で5月に2日間にわたって開催された世界4か国、11名の中国版画研究者による3か国語の記念講演会においても、蘇州版画を室内装飾に使ったオーストリアの宮殿についての調査が詳しく紹介されていました。それは香水瓶の歴史を考える上で示唆に富むものでしたので、私は講演にすっかり釘づけになってしまいました。

 さて本作品に話を戻しましょう。この色鮮やかな図柄にご注目ください! 東洋の私たちにすれば、白地の磁器に繊細かつ色鮮やかな図柄が描かれていることには、何の不思議も感じませんが、当時の西洋にしてみれば、非常に画期的なことでした。なにぶんにも、磁器の製造まではようやく至ったものの、その先にある磁器用絵具がまだ十分になかった時代です。その状況を見事に解決したのが、マイセンを牽引した天才絵付師として歴史に名を残したヨハン・グレゴリウス・ヘロルトです。彼の天才のほどがうかがえるのが、本作品で使われているような、磁器専用の絵の具を開発したことです。

 実は、当時のヨーロッパにおいて、東洋の磁器のなかで最も洗練されており、高価であったのは、中国磁器よりも、日本の柿右衛門であったと考えられています。膨大な柿右衛門のコレクションがご自慢であったアウグスト強王は、柿右衛門の磁器が有するくっきりと鮮やかな色の再現を、ヘロルトに求めました。そこでヘロルトは、マイセンの前任者たちの試行錯誤を引き継ぎ、実験に実験を重ね、16色もの絵の具を作り出しました。驚くことに、このとき開発された絵具が、今日に至るまで、大きな改良もなくマイセンで秘伝として存在しています。

 ヘロルトの類まれな才能のもう一つは、絵付けです。彼は、千種類以上の中国趣味の図案を考案し、それを磁器の上で緻密に描き出しました。施された金彩から、ヘロルトが手掛けた時期のものと考えられる本作品からも、彼が得意とした描写や色の素晴らしさが十分に伺えます。

 最後に、本作品で私が以前から気になっている表現をご紹介いたします。

 人物像のはるか頭上、香水瓶の蓋付近に描かれた、こちらの表現です👇

大きさからいえば鳥のはずですが、描写からすると、どのように見ても虫しか思い浮かびません……。このヘンテコな生き物こそ、ヘロルトの絵付けの特徴でもあります。東洋の風景が主題とはいっても、それはあくまでも想像上の風景です。そのようなわけで、このような奇妙で、空想豊かな生き物や植物が、図柄には頻繁に登場するのです。

 この一風変わった風景を見ていると、まだ東洋と西洋の間に大きな隔たりがあった時代に、小さな磁器や一枚の版画を介して、未知の国への憧れを募らせていた人々のことが、思い浮かびます。いまやZoom等によって世界各地の研究者と一つの講演会を催せる時代になりましたが、そこでもお互いを結んでいるのは、やはり一枚の版画であり、一つの磁器である――このように思い至るとき、私は美術作品の持つ力を実感するのです。

岡村嘉子

■企画展示情報:蘇州版画の光芒―国際都市に華ひらいた民衆芸術― – 広島 海の見える杜美術館 (umam.jp)

[会期](前期)2023年3月11日(土)〜2023年5月6日(土)
    (後期)2023年6月 3日(土)~2023年8月13日(日)
     ※前期と後期でメイン会場の作品はすべて入れ替わります
[開館時間]10:00〜17:00(入館は16:30まで)
[休館日]月曜日(但し7/ 13(月)は祝日開館)、 7/14(火)
[入館料]一般1,000円 高・大学生500円 中学生以下無料
*障がい者手帳などをお持ちの方は半額。介添えの方は1名無料。*20名以上の団体は各200円引き。

蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術 展示室公開映像

蘇州版画の光芒展で公開している動画をユーチューブにアップしました。

どうぞご覧ください。

蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術 2階ギャラリー公開動画 – YouTube

以下ユーチューブテキスト

― 蘇州版画の興隆 ―

明末清初(17世紀)
明から清へ、王朝交代の戦乱の中
明代のすぐれた版画の技術は継承された
絵の空間に見える幾何学模様は明代の摺りの技法の跡
細く美しい線で物語の一場面が描かれている

康煕年間(1662-1722)前期
三藩の乱などの内戦が続くなか
蘇州には呂雲台などの版元があった
五色套印と呼ばれる色とりどりの多色摺もあった
こま割りで物語を描いたものもあった
いろいろな一枚摺が出版された
このころはまだ画面に西洋画の要素は見られない

《諸国進貢図》には国々を代表するイメージが描かれている
琉球国にはサンゴ、日本国には獅子と日本刀が添えられ
「先頭を行く西洋国は母子が描かれ、聖母子像を掲げる
キリスト教のイメージと重なっている」
「康熙帝はキリスト教徒を重用し
西洋の文物を取り入れた」

康煕年間(1662-1722)後期
中国版画において、西洋の建築物や人物が描かれ
影の描写が始まり、線遠近法が用いられた
中国の風景が西洋画の技法を用いて描かれた
線遠近法を正確に使用した
中国の画工、丁允泰はキリスト教徒であった
丁允泰が描いた木々は木版でありながら
銅版画の陰影、立体感を凌駕しようとする繊細なもの
このころ、線遠近法、陰影法、ハッチングなど、
西洋の技法を積極的にとりいれた

雍正年間(1723~1735)~乾隆年間(1736~1795)初期

法大西洋筆法(西洋の筆法に学ぶ)などと記された蘇州版画がある

西洋画と中国画、銅版と木版の技法を折衷した
新しい表現が生まれた

都市図《姑蘇閶門図》《三百六十行図》
線遠近法と陰影法を交えて、都市の生活をリアルに描く

名所絵《西湖十景図》
線遠近法や陰影法を用いて、名所旧跡を正しい縮尺で描く

物語絵《全本西廂記図》
1枚の風景画の中で、異時同図法をもちいて物語一話すべてを描く

美人画《美人鸚哥図》
      油絵のような立体的な表現を目指す
      顔を塗る 版画と肉筆の融合の洗練

花鳥画
花の部分にはぼかし、空摺の技法が駆使されている
      丁亮先《花卉図》
      丁應宗《玉蘭図》

大画面の組物が作られる
だまし絵のような壁面
《母子図》

一枚摺りの版木を分割して、小画面で印刷する
《雪中送炭図》
大きく印刷したものを小さく切って販売するのではない
版木が分割されているので、小さい作品ははじめから小さく印刷する

蘇州では、このように多種多様な一枚摺が販売されていた

ここまで紹介した版画は
春信、歌麿、北斎、広重らが活躍を始める前に
中国の蘇州で流通していた版画

蘇州版画は日本にもたらされた
日本の画家が模写した作品《金殿玉楼図》《蓮池亭遊楽図》

日本の画家が蘇州版画を参考にしたと思われる作品
奥村政信《唐人館之図》
鈴木春信《風流やつし七小町・関寺》
山本若麟《西湖図》

― 蘇州版画は西洋にも輸出されていた
  蘇州版画の光芒が、近年次第に明らかになってきている ―

さち

小林梨奈ロビーコンサート アコーディオンに乗って世界旅行 YouTubeにアップしました

2023年4月2日に行われた小林梨奈ロビーコンサート「アコーディオンに乗って世界旅行」をYouTubeにアップしました。

小林梨奈ロビーコンサート アコーディオンに乗って世界旅行 海の見える杜美術館

ぜひお楽しみください。

うみひこ

記念講演会「中国版画研究の現在」

5月27日(土)、5月28日(日)、「蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術」展 記念講演会「中国版画研究の現在」をzoomで開催いたします。国内外10名の研究者による最新の研究が発表される予定です。参加ご希望の方はお名前と所属団体名を書いてprints@umam.jpまでお申し込みください。応募締め切りは5月20日(土)です。

さち

満開の桜とロビーコンサート

アコーディオニストの小林梨奈さんによるロビーコンサート
「アコーディオンの音色に乗って世界旅行」
4月2日(日)14:00~ 15:00~ 開催します。

杜の遊歩道のサクラの花も満開です。

心地よい春のひとときを、海の見える杜美術館でお過ごしください。

もりひこ

第20回香水散歩 パリ装飾美術館 エルザ・スキャパレリ展

スキャパレリ展へと導く階段。岡村嘉子撮影、2022年。

こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。今回は久々に海を越えた香水散歩をいたしました。日本からパリへの夜間飛行は、ロシア上空を避けてタジキスタンあたりを通過していくと思いきや、飛行中にふと目覚めて現在地を確認すると、なんとグリーンランド上空。思いもよらぬ東回りの航路の果てに辿り着いた約1年ぶりのパリで、真っ先に足を運んだのは、パリ装飾美術館でのエルザ・スキャパレリ(1890-1973)の大回顧展「ショッキング! エルザ・スキャパレリの超現実主義世界」です。

一時はシャネルと人気を二分した、ファッション・デザイナーのスキャパレリは、香水においても画期的な作品を生み出しました。その代表作の多くが海杜にも所蔵されているため、既にブログで度々ご紹介してまいりましたが、それでもなお、再びスキャパレリをテーマに取り上げなくてはならないほどに、パリ装飾美術館での展覧会は素晴らしいものでした。

この展覧会では、彼女を象徴する色のショッキング・ピンクのように、遊び心に溢れ、エネルギッシュで大胆な彼女のデザインが、所狭しと展示されていました。その数、約520点! それには服はもちろんのこと、小物類やデザイン画、室内装飾、香水瓶と彼女の偉業を語るには欠かせない作品が詰まっています。しかも、ドレスひとつをとっても、小さなボタンにまで、彼女の革新的精神が込められているので、大変見応えのある展覧会だったのです。

 展覧会は8つのテーマで構成されていましたが、今回はそのうち、特に印象深かった3つのテーマについて取り上げたいと思います。

 ひとつ目は、コレクションのデザイン画をテーマにした展示です。床から天井までの壁だけでは足らずに、床にまでびっしりと埋め尽くされた、デザイン画の複製展示です。こちらです👇

目を凝らしていくと、複製の中に、オリジナルのデザイン画も含まれていまので、宝探しのような気分を味わえるのですが、この展示で最も忘れがたい展示は、何よりもこちらの手袋の展示です!!☟

スリラー映画よろしく、壁から手袋を着けた腕がニョキニョキ、ぬうっ、だらーんっと突き出ているのです。しかも画像の通り、手先の動きがやけに表情豊かです。

横から見ると、このような感じです☟

さらに、展示されている手袋も、スキャパレリのデザインを特徴づける、奇抜さ満載!「ガオー!!」👇

かつて手袋は香りを沁み込まして使用されていたので、香水史において手袋は重要な存在です(それについては、このブログ〔第7回香水散歩〕でも以前、ご紹介しましたね!)。そのようなわけで、これまでにも数々の手袋の展示を各地で私は見て参りましたが、今回のような、つい顔が綻びてしまうほど、面白い展示は初めてです!

紳士からの視線を意識して、か弱いふりをしたり、はたまた取り澄ましたりするだけの女性ではもはやない、狂乱の時代1920年代を経験した新たな時代のおおらかでユーモア溢れる女性像が、小物においても表現されているのですね。スキャパレリの主な顧客であった上流階級の女性たちが率先して、優雅さの質を変えていったことがよく伝わる展示でした。

 印象に残る2番目のテーマは、「綺羅星のごとく居並ぶ前衛芸術家たち」です。展示室全体で、最も広い空間を占めていたのがこのテーマでした。例えば、うみもり香水瓶コレクションで取り上げた《太陽王》〔うみもり香水瓶コレクション21〕をデザインした、サルヴァドール・ダリにあてられた大きな展示室は、共同制作の服飾やオブジェだけでなく、写真をはじめ二人の深い信頼関係を伝える数多くの資料が展示されていて、見応えがありました。《太陽王》とはこちらの左の画像ですね👇

左:スキャパレリ社《太陽王》1946年頃透明クリスタル、金、エナメル デザイン:サルヴァドール・ダリ 製造:バカラ社、海の見える杜美術館蔵。SCHIAPARELLI, LE ROY SOLEIL – 1946, Design by Salvator DALI, Made by Baccarat ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima 

右:スキャパレリ社 、香水瓶《ショッキング》デザイン:レオノール・フィニおよびピエール・カマン、1937年、透明ガラス、彩色ガラス、海の見える杜美術館SCHIAPARELLI, SHOCKING FLACON Design by Leonor FINI and Pierre CAMIN  -1937, Transparent glass , color glass, Umi-Mori Art Museum, Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum, Hiroshima

他にも上の右の画像の香水瓶《ショッキング》〔うみもり香水瓶コレクション13〕をデザインしたレオノール・フィニによる絵画や、ジャン・コクトーのデッサンを転写した上着や、彫刻家アルベルト・ジャコメッティによるデザインのボタンが使用されたシックなツーピース等、スキャパレリとのコラボの事実が既によく知られている芸術家から、さほど知られていない芸術家まで、様々な顔ぶれが登場するので、歩を進める度に胸が躍らずにはいられませんでした。さすが20年ぶりの大回顧展だけあって、前回の展覧会では紹介されていなかった新たな事実が、数多く提示されています!

印象深い3つ目のテーマである「パリ・ヴァンドーム広場のブティック」も、同時代の芸術家たちに関します。1935年にオープンしたヴァンドーム広場のブティックの内装の再現展示では、ジャン=ミシェル・フランクやジャコメッティ、ラウル・デュフィなど多くの芸術家の仕事を見出すことができました。

ところでジャン=ミシェル・フランク(1895-1941)は、アール・デコ期に高級素材を用いたシンプルな家具を制作し、上流階級の間で人気を博しながら、20世紀前半を生きたユダヤ人ゆえに(彼はあのアンネ・フランクのいとこに当たります)時代に翻弄され、活動期間が短く終わってしまったため、同時代の他のデザイナーに比べると、あいにくいまだ知名度に劣るかもしれません。しかし彼の名は、ジャコメッティ研究(ちなみに私の修論のテーマはジャコメッティでした)のなかでは、度々登場する名でもあります。二人の接点は、ジャコメッティがシュルレアリスム・グループから離れて、戦後のいわゆるジャコメッティ・スタイルを生み出すための独自の探究をしている期間に生じました。ジャコメッティは生活のために、家具デザイナーだった弟ディエゴとともにフランクに協力して、室内装飾のデザイン・制作を手掛けていたのです。今回のスキャパレリ展では、まさにジャコメッティの探究期間の仕事を見る貴重な機会であったことも、真っ先にこの展覧会へ足を運んだ理由のひとつでした。

この展覧会では、フランクがブティックの地階に設けた、「鳥かご」ならぬ巨大な「香水かご」も再現されていました。

当時、金彩された竹と金属でできた「香水かご」のなかに収められたのは、香水と化粧品。記録写真によると、香水かごの片側は、広場に面した大きな窓の側に設けられているので、ショウ・ウィンドウの機能も備えていたことがわかります。再現展示では残念なことに、かごの上部が省略されていますが、実際は、鳥かごを模して、吊り下げ用の把手がついていたので、当時はさらに魅力的であったと想像されます。

香水かごを背後にして据えられた展示台の上には、ドーム型のケースに入った色とりどりの香水瓶がずらりと陳列されています。とくにこの展示台の周囲は、来館者が途切れることはありませんでした👇

それはきっと一つ一つの香水瓶の形の楽しさが、人を惹きつけるからでしょう。なにしろスキャパレリの香水瓶といえば、このようなデザインが目白押しなのですから。👇

左:スキャパレリ社《スリーピング》1938年透明クリスタル、赤色クリスタル、金 デザイン:フェルナン・ゲリ=コラ 製造:バカラ社、海の見える杜美術館蔵。SCHIAPARELLI, SLEEPING– 1938, Design by Fernand GUERY- COLAS, Made by Baccarat ©Umi-Mori Art Museum, Hiroshima 
右:スキャパレリ社《スポーツ》1952年、緑色ガラス、金、エナメル  製造:サン=ゴバン・デジョンケール社、海の見える杜美術館蔵。SCHIAPARELLI, SPORT – 1952, Made by Saint-Gobain Desjonquère © Umi-Mori Art Museum, Hiroshima 

 スキャパレリ以後の香水瓶の変遷を見ても、スキャパレリほどの奇抜なアイデアに溢れ、それと一体化した機知に富む香水名を持ち、それでいながら高級素材によって上質さや優雅さを保っている香水瓶は、なかなか見当たりません。そのような意味で、スキャパレリ自身が、香水史において燦然と輝く大きな星の一つであったことを、この展覧会で改めて認識させられます。彼女の活動拠点であったパリならではの充実した回顧展を見て、香水散歩の楽しさを再確認いたしました。

岡村嘉子