竹内栖鳳《港頭春色図》×黒田天外宛の手紙×コレクター光村利藻 1

竹内栖鳳は、パリで開催されている万国博覧会を視察するために、1900年8月1日、神戸港から日本郵船若狭丸に乗船して渡欧しました(*)。9月17日にフランスのマルセイユ港に着くまでの約1か月半の船旅の途中、たくさんの手紙を日本の知人に送りました。

 

  • 黒田天外(譲)宛の手紙

そのなかの一つ、黒田天外(京都日出新聞記者)にあてた手紙に、このようなものがあります。

拝啓 いよいよ御清栄賀し奉り候 (中略) 香港までの事は申上べき事とては無し (中略) 香港は中々の勝地、輻輳せる船舶支那船多く、其構造支那画に多く見る処、芥子園画伝にも有りそうなり。船夫は男女とも共同服装にして、中には老婆の子を背負いつゝ櫓を押し居候。大船には一家族住い居、何事も便し居る様と来居候。洋画家小山正太郎氏も頻りに船の有様色どりなど称賛せり。(後略)
(釈文は筆者が適宜現代の文字、かなづかいに改めた)

 

その続きに、下船して歩き回った香港の様子、香港を出て2日目に遭遇した嵐のことなど書き記しています。

文末には詩を2首

(前略)
瑠璃盆に 銀象眼の浪模様 鉄の船こそ 我が住いなり
ばってらの 底すれすれに 月見かな
八月十四日
黒田天外大兄
若狭丸船中 竹内棲鳳
(釈文は筆者が適宜現代の文字、かなづかいに改めた)

そして別紙にスケッチを一つ付けました。

さて、8月14日に記したこの手紙がどういう経路をたどったかを追ってみましょう。
8月15日に封筒にいれたようです。表書きの自分の名前の後に日付が記されています。

その後の行方を、封筒の消印で追うと


翌8月16日、シンガポールのタンジョン・パガー(TANJONG PAGAR)郵便局で投函され、



同日午後1時45分、シンガポールの本局に届き、


8月23日、香港の郵便局を経由し、


8月31日、日本の神戸郵便局に届いています。

8月31日(金)、あるいは9月1日(土)には、宛先の
「大日本京都 三条通東洞院 日出新聞社 黒田天外」
に届いたはずです。

天外は、手紙の文面そのままに、日出新聞に掲載する事にして、すぐに原稿作成にとりかかりました。手紙に添えられたスケッチは、新聞用の版下にするために、栖鳳の高弟、西山翠嶂に臨模を依頼しました。

そして、9月4日(火)の日出新聞に掲載され、多くの人たちが、竹内棲鳳の渡欧中の生の声を知ることになりました。
当時の人は結構リアルタイムで栖鳳の見たものを共有できていたのですね。

20160301竹内栖鳳《港頭春色図》×黒田天外宛の手紙×コレクター光村利藻 1 (6)

日出新聞 明治33(1900)年9月4日

新聞の日付欄が空白になっているのは愛嬌ですね。発行日が4日であることは前後の新聞で確認しました。

* 丹波丸と記された文献もありますが、誤りです。丹波丸に乗船したのは帰国の時。

つづく

さち

青木隆幸

(本稿に使用した史料はすべて、海の見える杜美術館所蔵)

 

引札の技法はハイブリッド!

引札とは、無料で配られる広告、いわゆるチラシのことです。

多くは木版やリトグラフの技術を用いて印刷されているのですが、中にはエッチングや空摺りを織り交ぜているものもあります。

このたびは、私、さちの心に残ったおよそ100年前の引札の技術を、当館の所蔵品の中から少しご紹介いたします。

まずは、紙に凹凸をつける空摺りの技法が用いられた引札から。

横から光を当てると、このように模様が浮かび上がります。

1、白龍、酒樽、菊の花に注目 20151215引札の技法はハイブリッド? 雲に白龍 酒樽の列 菊花に杯 有功賞 商標 延年  酒類販売所  森野安次郎 空摺り

2、盛り上がる花びら
20151215引札の技法はハイブリッド? 流水 水辺の白菊と添え木  石油正種油商 かぜねつ病一切の妙薬 海内無双 橋本散 大阪和田政吉監製 代理店  二宮豊治 空摺り

3、ツルの羽の描写
20151215引札の技法はハイブリッド? 旭日 流水 梅花に双鶴と鶴の子1羽  酒塩醤油薪炭商 沢本商店 空摺り

4、鷹の全身、足先まで空摺り
20151215引札の技法はハイブリッド? 旭日 金雲 雪中松に温め鳥  米商  米卯事 三牧卯兵衛 空摺り

5、ウサギの毛並みが見事
20151215引札の技法はハイブリッド? 扁額  旭日 番の兎と3匹の子兎に藪柑子(十両)  和洋諸傘提灯商 並に 直し物仕候  いくよ 空摺り

 

ここから先は空摺り以外の工夫です。

6、髪は二種類の異なる黒インクで表現
20151215引札の技法はハイブリッド? 旭日 松竹梅に羽子板を持つ美人  万荒物砂糖掛物文具 履物塩魚乾物売薬  荒□商号 くすりや  中井商店-3

7、小さなドットでグラデーション
20151215引札の技法はハイブリッド? 陣営の恵比寿大黒 財宝積む馬をひく福助  呉服洋反物商  青砥仙太郎-3

8、一ミリの間に線が5本も!
20151215引札の技法はハイブリッド? 賞状柄  旭日 瑞雲 鶴亀 松   木綿商 諸太物仕入所 金巾染地類 各国縞絣類 染手拭風呂敷  安盛善兵衛-2

 

いかがでしょうか。

たかがチラシ、されどチラシ。

江戸時代の浮世絵版画から脈々とつながる心意気を感じます。

 

さち

青木隆幸

 

1、
20151215引札の技法はハイブリッド? 雲に白龍 酒樽の列 菊花に杯 有功賞 商標 延年  酒類販売所  森野安次郎
《雲に白龍 酒樽の列》26.4×37.1cm

読み:
(有功賞)商標 延年
酒類販売所
愛知郡字石橋
(角 吉)森野安次郎

 

2、
20151215引札の技法はハイブリッド? 流水 水辺の白菊と添え木  石油正種油商 かぜねつ病一切の妙薬 海内無双 橋本散 大阪和田政吉監製 代理店  二宮豊治
《流水 水辺の白菊と添え木》25.4×37.8 cm

読み:
石油正種油商
かぜねつ病一切の妙薬 海内無双 橋本散
大阪和田政吉監製
鳥取市若桜町 代理店 二宮豊治

 

3、
20151215引札の技法はハイブリッド? 旭日 流水 梅花に双鶴と鶴の子1羽  酒塩醤油薪炭商 沢本商店
《旭日 流水 梅花に双鶴と鶴の子1羽》26.0×37.3cm

読み:
酒塩醤油薪炭商
京都東山通新南
商號 鍵學 澤本商店

 

4、
20151215引札の技法はハイブリッド? 旭日 金雲 雪中松に温め鳥  米商  米卯事 三牧卯兵衛
《旭日 金雲 雪中松に温め鳥》25.5×36.3 cm

読み:
米商
京都市佛光寺通富小路東入
米卯事 三牧卯兵衛

 

5、
20151215引札の技法はハイブリッド? 扁額  旭日 番の兎と3匹の子兎に藪柑子(十両)  和洋諸傘提灯商 並に 直し物仕候  いくよ
《扁額 旭日 番の兎と3匹の子兎に藪柑子(十両)》25.8×37.3 cm

読み:
和洋諸傘提灯商
並ニ 直し物仕候
大阪市南區安堂寺橋西詰
いくよ(手提提灯 入)

 

6、
20151215引札の技法はハイブリッド? 旭日 松竹梅に羽子板を持つ美人  万荒物砂糖掛物文具 履物塩魚乾物売薬  荒□商号 くすりや  中井商店
《旭日 松竹梅に羽子板を持つ美人》25.8×37.7 cm

読み:
萬荒物砂糖掛物文具
履物塩魚乾物賣薬
荒□
商号 くすりや
(山 久)中井商店

 

7、
20151215引札の技法はハイブリッド? 陣営の恵比寿大黒 財宝積む馬をひく福助  呉服洋反物商  青砥仙太郎
《陣営の恵比寿大黒 財宝積む馬をひく福助》26.3×38.0 cm

読み:
呉服洋反物商
大原郡大東町
(入山 ア)青砥仙太郎

 

8、
20151215引札の技法はハイブリッド? 賞状柄  旭日 瑞雲 鶴亀 松   木綿商 諸太物仕入所 金巾染地類 各国縞絣類 染手拭風呂敷  安盛善兵衛
《賞状柄 旭日 瑞雲 鶴亀 松》23.5×32.1cm

読み:
木綿商
諸太物仕入所
金巾染地類
各國縞纃類
染手拭風呂敷
右之品直段出極相働調進仕候間
不限多少ニ御用向之程奉希上候也
京都あけず松原南へ入
(丸 安)安盛善兵衛

 

栖鳳の絵、受け取りを拒否される!

UMI167
竹内栖鳳「猛虎図」1897(明治30) 海の見える杜美術館蔵

鋭い眼差しで前を見据える一頭の虎。毛を逆立て、牙をむき、前脚をあげ、今にも飛びかからんばかり。この作品を目にする人は、どのような困難があろうとも克服して良い結果がもたらされるという、吉祥画のようにも思えます。

作品を納める箱の裏に、牧野克次(註1)が1916年(大正5)に記した面白いエピソードが残されています。

20140812 栖鳳の絵、受け取りを拒否される! (2)20140812 栖鳳の絵、受け取りを拒否される! (3)
蓋表  蓋裏

そもそもこの絵は、濱尾新(註2)の文部大臣就任(1897年11月)を祝って、中澤岩太(註3)が濱尾に贈呈したものでした。ところが濱尾は一見して怒ってこう言ったのです。
「この虎の絵には尾が描かれていない。つまり私の仕事は首尾一貫しないとでもいうのか?!」
言いがかりをつけられた中澤は、この作品を巻いて持ち帰りました。
面目を失った中澤が、この絵の処遇を中川小十郎(註4)に相談したところ、中川が、自分はちょうど家を建てて絵が足りないところなので譲ってほしい、と持ちかけてきました。中澤は喜んでこの作品を譲りました。
その後のある日、中川が自分を尋ねてきた天龍寺管長の高木龍淵(註5)と歓談する中でたまたまこの話に及ぶと、龍淵は憤慨して、
「知識のないものはこの絵の意図するところがわからないのだ。仏典にもある『霊亀尾を曳く』の誡語を題して引導を与えてやる。霊亀は砂の上を歩いた足跡を消そうとして尾を動かす。だがこれによって尻尾の跡が上からついてしまうことを、わかっておらん。無尾はかえって有尾に勝っているという意味である。」
といい、この絵に賛を記したのです。

この「猛虎図」に関するエピソードは以上のとおりなのですが、この話をふまえると、とても興味深いことがわかってきます。実は栖鳳、この絵と良く似た「尻尾のある」虎の絵を描いているのです。この作品を「猛虎図」と比較すると、下の空間をやや広く取り、そこに尾を描いています。ただし画面からはみ出た虎の下半身を想像すると、尾は描かれるような場所にあるはずなく、取って付けたような印象があります。更にこの作品には、濱尾が文部大臣に就任した直前にあたる『丁酉(1897年)冬十月』の款記がわざわざ添えられているのです。もし

かすると、作品を突っ返された中澤が竹内栖鳳に相談し、尻尾のある作品を描いてもらって改めて濱尾に贈呈した、という、箱裏には語られることのなかった別のエピソードが、あったのかもしれません(原田平作『竹内栖鳳』光村推古書院 1981 図版番号13)。

 

(註1)牧野克次(1864-1942)
洋画家。明治34年、関西美術会の創立に参加。明治35年、京都高等工芸助教授。

(註2)濱尾新(1849-1925)
政治家。文部大臣、東京帝国大学総長、内大臣、貴族院議員、枢密院議長などを歴任。

(註3)中澤岩太(1858-1943)
帝国大学教授、京都帝大理工科大学初代学長、京都高等工芸(現京都工芸繊維大)校長などを歴任。

(註4)中川小十郎(1866-1944)
文部官僚。京都法政学校(現立命館大)を創設。西園寺首相秘書官、台湾銀行頭取、などを歴任。

(註5)高木龍淵(1842-1918)
臨済宗天龍寺派管長。神戸市に徳光院をひらく。室号を耕雲軒、晩年休耕と号する。

 

蓋表釈文
棲鳳猛虎図龍淵管長賛 天平牧野克題匧

蓋裏釈文
往年濱尾新氏ノ文部大臣ニ任セラルゝヤ 中澤岩太氏恭シク棲鳳筆猛虎図ヲ贈ル蓋曽約ヲ果ス也 濱尾氏一見悦ハズ且怒テ曰ク 此画虎尾ヲ欠ク 盖シ吾功業ノ首尾全ウセサルヲ諷スル者歟ト 巻テ之ヲ郤ク 中澤氏甚タ面目ヲ失シ悄然携帰テ之ヲ当時ノ大学書記官中川小十郎氏ニ告ゲ以テ画ノ処置ヲ謀ル 中川氏曰ク 予新ニ家ヲ構ヘ画幅ニ乏シ請之ヲ購ン 中澤氏大ニ喜ビ之ヲ与フ 是此幅也 某日天龍寺管長龍淵師中川氏ヲ訪ヒ 談偶及之 師大ニ罵テ曰ク無識ノ輩画意ヲ知ラズ 悤霊亀尾ヲ曳クノ誡語ヲ題シ引導ヲ与フ 霊亀尾ヲ曳クノ事 仏書ニ在リ 霊亀ナル者ハ沙上匍匐ノ足跡ヲ隠サント欲シ 歩々尾ヲ動カシテ之ヲ消ス 伺イ知ラン尾ヲ以テ地ヲ捺ルノ痕歴然タルコトヲ 無尾却テ有尾ニ勝ルノ意也  大正五年六月為中川先生識 天平牧野克
(釈文の旧字は適宜筆者が改めた)

さち

青木隆幸

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栖鳳 荒れ狂う海をみる

UMI115
風濤(ふうとう) 1918(大正7)年ごろ 当館蔵

重い雲に閉ざされた空の下、壁のようにそそり立つ荒波の上を、一羽の鶴が烈風にひるまず翼をひろげて飛んでいます。

画面左下部には、大きく隆起する海面が垣間見せる深い青、わずかな陽光に透かされて輝く波の緑、そして波に巻き上げられる海砂を表す金を、うねる動きそのままにダイナミックな筆遣いで描き、そこに真っ白な絵具を散らして、そのもっとも印象的な瞬間を劇的にとどめています。一方、画面右半部に目を向けると、中央から放射線状に広がる波頂が崩れ落ちながら、この絵と対峙する鑑賞者の眼前へと迫り、まるでアニメーション映画が1コマずつそのすがたを変えていくような躍動感に満ちあふれています。部分的には意味を持たない色とかたちが、全体を通して見ると、ひとつの画面の中に静と動がせめぎ合い、またたく間にその姿を変える荒海を表現するのに欠くことのできない要素へと変貌しています。

このような、抽象的ともいえる細部描写を圧倒的なリアリズムへと昇華させる表現は、対象の本質をつかむため、飽くことなく観察し続けた者しか達成し得ない境地ではないでしょうか。栖鳳はことあるごとに観察を繰り返したはずです。

この作品を制作した13年ほど後の話ですが、竹内栖鳳が荒波を観察したときの逸話が残されています。

「(1931(昭和6)年ごろの)冬、沼津の海岸に四五日滞在していると、急に大しけが始まって、海岸はごうごうと怒涛が巻き崩れた。すると先生(栖鳳)はその怒涛を見るという。見ると言ったって、老人には無理な芸当で、念のため筆者(栖鳳の長男竹内逸)は海岸へ出てみたが、風は強く、寒さは激しく、砂は散り、しぶきが飛ぶ。だがどうしても父は海岸へ出るという。仕方ないから、父の体にドテラを着せ、頭から耳へずぼりと帽子をかぶせ、眼には水中眼鏡をかけ、口と鼻とは日本手拭で巻き、さらに合羽をどっさり買ってきて、頭から腰のあたりまで包み、それを両腕もろとも帯やひもでからめ上げてしまった。まあ案山子かミイラのような姿で、それを筆者と女中との二人で海岸へ押し出していった。だが困ったことには、あまりの強風で、老人は後ろへ倒れそうになる。そこで二人は支柱のように後ろから肩と腰とを押している。そうなればむしろ老人は平気だが、二人は防寒も防水も防砂もやっていない。しかもそれが10分か15分なら我慢するが、30分以上もじっと逆巻く怒涛を見ている・・・」

(竹内逸「湯河原対話」『栖鳳閑話』所収、改造社、1936年、頁63〜64。転載にあたり文字を適宜あらためました。( )はブログ執筆者による注記です。)

 

「風濤(ふうとう)」は、11月1日から開催の『生誕150年記念 竹内栖鳳』展に出品いたします。

さち

青木隆幸

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