作品紹介 土佐光起筆《三十六歌仙画帖》のうち「小野小町」

杜の遊歩道では桜が満開を迎え、早くもはらはらと舞い始めました。つぼみの時も、満開も、そして散っている姿も目にしたいと、桜の時期はいつもそわそわと落ち着かないものですが、それは『古今和歌集』にある在原業平の和歌「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」に見るように、平安の昔から同じだったようです。

さて今回は桜にちなんで、小野小町の絵をご紹介いたします。

土佐光起筆《三十六歌仙画帖》のうち、小野小町 江戸時代・17世紀 海の見える杜美術館蔵土佐光起《三十六歌仙画帖》のうち「小野小町」 江戸時代・17世紀 海の見える杜美術館蔵

色鮮やかな色紙に書かれた小町の和歌と、小町の肖像が組み合わされています。色紙にあるのは『古今和歌集』にある小町の和歌「色みえでうつろうものは世の中の人の心の花にぞありける」。人の心に咲いた花は、普通の花とは違って知らないうちに色を変えていくものだ、と、恋人の心変わりを嘆いた和歌です。

絵を見てみましょう。絹の地に、大変緻密な筆致で描かれています。「絶世の美女」「恋多き女」として知られた小町のイメージに相応しい華やかな装束です。細やかに描き込まれた衣の柄に注目してみると、桜の模様であることがわかります。★ 三十六歌仙画帖 土佐光起_0094 2

小町の和歌としては、本作の「色みえで・・・」のほかにも、百人一首にもとられた「花の色は移りにけりないたずらに我が身世にふるながめせしまに」が良く知られています。この歌は、若い美貌が恋や世事に思い悩むうちに衰えてしまったことを、春の雨に打たれ色あせてしまった花にたとえています。花とはつまり、桜です。この和歌を背景に、小町=美女=桜という連想は非常に強く結びついたようで、三十六歌仙などの歌仙絵に描かれる小町の着物の柄は、本作のように桜の模様であることが一般的です。

 

勝川春章による版本『三十六歌仙』に描かれた小町も、こちらは立ち姿ですが、やはり桜模様の衣を身につけています。勝川春章『三十六歌仙』 天明九年(1789)刊

さて、ここで紹介した2点は、秋に開催予定の歌仙絵をテーマにした展覧会で展示する予定です。土佐光起筆《三十六歌仙》は残念ながら画面に汚れがあり、台紙にも損傷があるのがご覧いただけると思います。こちらは現在修復中で、展覧会会場ではさらに美しくなった姿をお披露目できると思います。どうぞご期待ください。

桜の盛りの美しさは、それが瞬く間に去りゆくものであるからこそ際立つのでしょう。小野小町は優れた歌人であり、また絶世の美女として賞賛されますが、一方で、その美しさを失って放浪する老婆としての小町説話も語られるようになります。展覧会ではできれば老いた小町のイメージもご紹介したいと思っています。

 

谷川ゆき

「厳島に遊ぶ」展 会期最後の週末です!

2019年もあと数日ですね。そして「厳島に遊ぶ」展もあと2日を残すのみとなりました。

 

展覧会の第2章では、印刷物に描かれた厳島を紹介しています。江戸時代は庶民が旅を楽しめるようになった時代。旅行ブームの中で全国各地の名所を紹介する名所記や図会が刊行されます。これらはいわば現代のガイドブックです。

厳島に特化した名所図会の決定版と言えるのが、『芸州厳島図会』(5巻全10冊)。15年もの年月をかけて天保13(1842)年に完成しました。豊富かつ多様な挿絵が魅力で、往時の厳島の様子を現代の我々に生き生きと伝えてくれます。

大鳥居の図

岡田清編、山野峻峯斎画 『芸州厳島図会』より、大鳥居の図

内容も多岐にわたり、嚴島神社をはじめとする名所の紹介にとどまらず、島に暮らす人々の様子や、四季折々の行事、嚴島神社に伝来する宝物などについて詳細な図とともに記されています。

さて、ここではこの『厳島図会』のひとつの図と、歌川広重の浮世絵の関わりをご紹介します。

歌川広重 《六十余州名所図会 芸州 厳島祭礼之図》

上にあげた作品は、歌川広重の六十余州名所図会のうち、「安芸 厳島祭礼之図」。嚴島神社の重要な祭礼のひとつ、管絃祭のクライマックス—夜半に船が地御前より還幸し、まさに大鳥居にさしかかろうとする華やかな場面—を描いたものです。厳島の管絃祭はよく知られていたようで、全国の地誌などに挿絵つきで取り上げられています。

さて、広重は旅をよくした浮世絵師として知られます。ですのでこの一枚も広重が実際に宮島に来て管絃祭を見物した風景を描いたものと思いたいのですが、残念ながら必ずしもそうではなさそうです。この広重の一枚と、『芸州厳島図会』の一図を比べてみると・・・。広重の管絃祭の船の姿は、『厳島図会』のそれをほぼコピーしたものであることがわかります。展覧会会場ではこのふたつを並べて展示してあります。ぜひ比べてみてください。

管絃祭の船が還幸する様子

管絃祭の船が還幸する様子

それにしてもさすがは広重。『厳島図会』のオリジナルの船と大鳥居を大胆にトリミングして、夜の空と海を背景に際立たせた構図が見事です。

 

前回のブログでご紹介したような屏風の大画面の迫力と、今回ご紹介した、小さいけれどたくさんの情報と当時の人々の厳島への想いが詰まった版本たち。いずれも魅力的です。どうぞお見逃しなく!

 

谷川ゆき

「厳島に遊ぶ」展(〜12月29日)のみどころ 名所風俗図屏風

あっという間に会期を残すところ1週間ほどとなってしまいました。

今回の展覧会の見所は、なんといっても大画面に厳島を描いた屏風です。全部で9点。そのうち江戸時代に描かれた厳島の名所風俗図屏風6点が展覧会最初の見所になっています。

古くから信仰を集めた厳島ですが、意外なことに国宝の《一遍聖絵》など一部の例をのぞき、厳島や嚴島神社を描いた中世に遡る作例はそう多くありません。盛んに描かれるようになったのは江戸時代初期のこと。しかし、ひとたび描かれるようになると、厳島は名所風俗図屏風として人気の画題となります。

名所風俗図屏風とは、京都以外の、吉野や天橋立、和歌浦などの地方名所を組合せ、有名な寺社などを中心とした名所の景観と、そこに遊ぶ人々の様子を描いた絵画のことで、江戸時代初期に流行しました。名所風俗図屏風の中でも厳島を描いた作例は群を抜いて多く、現在では60点以上が知られています。

その中でも最も古い時期に制作されたもののひとつ、と考えられるのが、展覧会の最初に展示してある《吉野厳島図屏風》です。

《吉野厳島図屏風》 6曲1双 のうち、左隻の厳島図 江戸時代・17世紀 海の見える杜美術館

《吉野厳島図屏風》 6曲1双 のうち、左隻の厳島図 江戸時代・17世紀 海の見える杜美術館

この吉野と厳島の組合せからは、厳島が屏風に描かれる様になったきっかけは豊臣秀吉の周辺にあったことが推理できるのですが、そのあたりの詳しい説明はぜひ展示会場の解説パネルで!

大きな画面に、嚴島神社の社殿を中心に描かれた厳島はたいへん迫力があります。金雲と濃彩の絵の具の色があいまって、華やかで非日常的な聖地の様子が表されています。弥山や嚴島神社がどのように描かれているか観察したり、今は失われてしまったお堂の姿を探したり、楽しみ方は色々です。宮島をよくご存知の方は、描かれた場所が現在のどの場所に相当するのか考えるのも楽しいはずです。私がお勧めしたいのは、厳島を往来する人々の楽しそうな様子をひとりひとり観察すること。特に《吉野厳島図屏風》は、近世初期風俗画のある種享楽的な雰囲気を残し、人々の華やかな衣や髪形、喧嘩したり宴に興じたりする活力ある描写に見応えがあります。

《吉野厳島図屏風》部分 嚴島神社の舞台では毛氈をひいて宴会をする寛いだ男達の姿が。社殿の横では海水浴に興じる人々も・・・。

《吉野厳島図屏風》部分 嚴島神社の舞台では毛氈をひいて宴会をする寛いだ男達の姿が。社殿の横では海水浴に興じる人々も・・・。

ぜひ細部までじっくりご覧頂きたい!ということで、受付で単眼鏡の貸出を行っています。ぜひご活用ください。

また、展示室には部分を拡大したパネルをご用意しました。リンク先にあげたのはその一枚。《吉野厳島図屏風》の厳島図のうち、東町の商店の賑わいを描いた部分を拡大しました。床屋や足袋屋、扇屋や反物屋など、店主とお客との活気あふれるやりとりが魅力的に描かれています。

海杜テラスから見る宮島は今日も見事な姿です。展覧会の前後に宮島を訪れて、江戸と現代の違いを探って頂くのも楽しいと思います。

 

谷川ゆき

 

美術の森でバードウォッチング展 見どころ②

もういくつ寝ると展示替え、という状況ですが、もう少しだけ、現在の展示「美術の森でバードウォッチング」の魅力をご紹介したいと思います。

 

今回の展覧会は4章構成。第1章は、「鳥を愛でるまなざし―広重と古邨の花鳥版画の世界―」、第2章「物語の中の鳥」、第3章「吉祥―しあわせを運ぶ鳥たち―」、第4章「きれいな鳥、かわいい鳥」となっています。すべて当館所蔵の作品で構成されており、可能な限り鳥と鳥の美術の魅力を知っていただけるように工夫を凝らした構成と作品チョイスになっています。

 

その中で、ご来館の際に特にじっくり楽しんでいただきたいと思っているのが、第2章の展示「物語の中の鳥」です。平氏と源氏の興亡の物語《源平盛衰記絵本》や、十二支とタヌキやキツネなどの動物たちの合戦を描いた《十二類合戦絵巻》、よく知られる御伽草子(おとぎぞうし)「浦島太郎」の物語の中に表わされた鳥の姿をご覧いただく章です。

 

どんな作品があるか、少しご紹介しますね。

3巻

《源平盛衰記絵本》巻3 17世紀

 

こちらは、《源平盛衰記絵本》の中の1場面です。源氏と平氏の興亡の物語の中にも、鳥の姿が何度も見られます。

新大納言成親(なりちか)は、大将の位につくことを祈願して、高僧を八幡宮に籠らせ、大般若経をあげさせました。すると、読経の半分ほどのところで、ヤマバトが二羽、食い合いながら落ちてきました。ハトは八幡の第一の使者、それが落ちてきたことはただごとではない、不吉なことだと当時の人は考えました。果たして、大将になったのは、成親ではなく平清盛の息子たちである平重盛と平宗盛。成親の願いは叶わなかったのです。この後、さらに成親は、平氏打倒を企てたとして、捕らえられる運命をたどります。

3巻アップ

(食い合いながら落ちてきた鳥の部分拡大図。心なごむ鳥の画像でなくてすいません、他の章にはかわいい鳥がたくさんいます…!)

 

私などは鳥が落ちてきたことと、成親の願いが叶わなかったことが、関係があると思い至らないのですが、『源平盛衰記』の中では、このこととが先のできごとの予兆として、物語の中で語るべき大事な要素になっているんですね。

 

ところで、↓こちらは前期で展示していた場面です。

2巻

《源平盛衰記絵本》巻2 17世紀 (現在は展示していません)

 

こちらで落ちてきているのは、ホトトギスです。

二条天皇の在位中、ホトトギスが京に大量発生。さらに、二羽が食い合いながら内裏に落ちてきました。「野鳥室に入る、主人将(まさ)に去らんとす」という言葉があり、これを不吉と見た人々はホトトギスを捕らえて獄につないだのでした。これは前例のないことだったのです。

その後二条天皇が崩御、これはホトトギスが殿上に入った故だったのだ、と物語では語られています。

 

ホトトギスが落ちてきたり、ヤマバトが落ちてきたり。それを見て昔の人たちは「何か起きる!」と思ったんですね。空を飛ぶという、人間にはない鳥の特性に、昔の人々は天のお告げやメッセンジャーとしての役割を見たのでしょうか。

 

ちなみに、この展覧会は会期が長いので、作品保護上、ほとんどの作品を前後期で入れ替える必要があったのですが、この2場面は話の内容としては似ているため、勘違いしたほかの学芸スタッフに「森下さん、展示替えしなきゃって言ってたのに、ここ替えてないじゃん」と言われました。「違う!前期で落ちてきたのはホトトギス!今から展示するのはヤマバト!」と訂正しましたが、正直私もやや混乱はしていたように思います。

 

 

第2章では、この他にも、物語に出てくる鳥たちをたくさんご紹介していますよ。この章の作品は、私自身、展示を考えている時に「こんなところに鳥が…」「こんな活躍が…」と、新鮮な驚きがありました。その驚きを見た方とも是非共有したいなと思って展示しましたが、小さな絵が多いためどこに鳥がいるのか見つけにくいかもしれず(ある意味バードウォッチングらしい)ほかの章に比べると説明もやや長いので、楽しんでいただけるか不安だったのですが、「第2章が予想を超えて面白かった」という声もあり、ちょっと安心しました。来館の際には、是非ごゆっくりお楽しみください!

 

それでは、また次回の記事にて。

 

 

森下麻衣子

美術の森でバードウォッチング展 見どころ①

みなさんこんにちは、ご無沙汰いたしております。ご無沙汰するつもりもなかったのですが、意外にも時は過ぎ、季節はもう秋。食欲の秋、読書の秋などいろいろ言われる季節ですが、皆様にとってはどんな秋でしょうか。ちなみに私は「これ」と特に言えるようなことは何もなく、四季を通じ変わらない生活を送っています。

さて、8月3日に始まり現在開催中の「美術の森でバードウォッチング」ですが、早いものでもう残り3週間となりました。まだご覧になっていないかた、ぜひ足をお運びいただければと存じます。

今回は、「第4章 きれいな鳥、かわいい鳥」で展示中の、石崎光瑤《春晝》(はるひる)をご紹介します。

春晝右石崎光瑤《春晝》1914年(大正3) 第8回文展出品(右)

春晝左(左)

石崎光瑤(1884~1947)は、富山県の現在の南砺市に生まれました。はじめは東京の琳派の画家・山本光一に師事、やがて竹内栖鳳に師事しました。

光瑤は、日本画の世界では、花鳥の名手として知られます。それ以外にも、登山家としての顔もあり、民間人としては初めて剣岳の登頂に成功、またインドを旅行してヒマラヤ山脈にも登っています。

私が石崎光瑤を知った最初の作品は1918年(大正7)に描かれた《熱国妍春》(京都国立近代美術館蔵)で、これはインドからの帰国後に描いた作品なのですが、六曲一双の大きな画面全体に生い茂る草花、その中を飛ぶ日本画ではあまり見ない白い長い尾の異国の鳥、一言で言うとパワーがあって、「こんな画家がいたのか~」と驚いたのを覚えています。

さて当館の《春晝》は、インドを描いた作品のような派手さはないものの、さすが花鳥画の名手というような、見ごたえのある作品です。

描かれているのは、枝垂れ柳の木の下で思い思いに過ごしているマナヅルたち。

マナヅルは体長120~153センチとありますから、結構大きいですね。この作品に描かれているのはほぼ等身大と言えるでしょう。この屏風を展示したときに学芸が口々に「ツルって大きいな…」「結構迫力あるな…」とザワザワしたんですよね。

春の日のやわらかい光の中、マナヅルが寝ていたり、歩いていたり…いろいろな動きをしています。私個人としては右の画面、枝垂れ柳の下で目を閉じているマナヅルの、目の表情が好きです。

本作品のすばらしさは、そのさまざまな形態の鳥を写実的に破綻なくとらえて描き出していること、そしてそれを表現する線の美しさかなと私は思っています。太い、細いという変化(肥痩)のある線で、マナヅルの体のボリュームが現れているのです。だから「迫力あるな…」なんて感想が出てくるのかもしれませんね。

けれど、その一方で色彩などは控えめで落ち着いており、のどかな春の日を感じさせます。今回よくよく見てみますと、柳の花の部分にだけ、絵の具の盛り上げがありました。柳の葉に埋もれてしまいそうな小さな花ですが、よく見てみると、しっかり主張してきます。

私は動物の中でも鳥が特に好きなのですが、今回は鳥をテーマにした展示ということで、そんな鳥好きの目から見ても「これは鳥の魅力が溢れているね!」という作品を展示しましたが(もちろんそれだけではないですよ)、この屏風は特にそれを感じる作品です。ツルやサギなどの大きめの鳥は、背中や首のラインが美しいのですが、それが画家の筆により、さらに引き立っている、と思います。

 

さて、では長くなってきたので今回はこのあたりで失礼いたします。

次は意外なほど好評をいただいている第2章の「物語の中の鳥」の作品をご紹介したいです。

森下麻衣子

秋色に染まりゆく遊歩道

皆様こんにちは!

本日は10月10日ですが、実は日本の中で最も記念日が多い日だそうです!

日本記念日協会に登録されている記念日は52個(※2019年10月5日時点)で、

その中には広島でもおなじみの「お好み焼きの日」もあるそうです!

お好み焼きを焼く音「ジュージュー」の語呂合わせだとか…。

日中はまだまだ日差しが強いですが、日が過ぎるごとに涼しくなってきていますね。

そろそろまた、アツアツのお好み焼きを食べたくなる私なのでした。

 

さて、秋の杜の遊歩道では、木々がだんだんと紅く染まってきました。

紅葉の見ごろはもうすぐです。
20190927 遊歩道20190927 紅葉秋晴れの青い空に、モミジやイチョウの紅や黄色のコントラストを眺めれば、

清涼な風が吹き抜けてとても心地良いです。

これからの紅葉シーズンもぜひお楽しみください。

また、美術館で現在開催中の「美術の森でバードウォッチング」展では、

様々な角度からスポットを当てた鳥たちをご覧いただきます。

お越しいただいたお客様より、

「鳥の絵の繊細さに感動した」「最高の作品ばかりで感激しました」

といったお声を頂いております。ありがとうございます。嬉しい限りです。

 

美しい鳥、かわいい鳥、おめでたい意味を持つ鳥など、

鳥の魅力を存分に味わっていただける展覧会です。
海鶴蟠桃図59.橋本関雪 《海鶴蟠桃図》 絹本着色 1幅 大正~昭和時代
(第3章 吉祥-幸せを運ぶ鳥たち- (第3展示室)にて現在展示中)

後期展は11/10(日)まで開催です。
早いもので残すところあと1ヶ月。
お客様のご来館を心よりお待ちしております。

A.N

かわいい文鳥も登場!―後期展示、はじまりました―

皆様こんにちは。

朝夕がだいぶ涼しくなり、外に出るのが楽しくなってきた今日この頃。

吹き抜けるそよ風が心地良く、秋晴れの宮島がはっきりと見えた日は、

思わず時間を忘れてしまいます。

20190923-1 20190923-22019年9月23日 8:40撮影

朝から太陽が眩しく、青空に浮かぶ雲はとても綺麗で、何度見ても飽きません。

さて、海の見える杜美術館で、8月3日より開催しておりました「美術の森でバードウォッチング」展も9月16日で前期展が終わりました。ご来館くださった皆様、ありがとうございました!

9/21(土)からは、同展覧会の後期展を開催しています。

前回に引き続き、受付・総務の私からご紹介させていただきます。

前期展にお越しいただいたお客様より、

「チラシに載っていた文鳥が見たかった~」とのお声を何度か頂きました。

大変お待たせいたしました。

木蓮に文鳥2 木蓮に文鳥138.小原古邨 《花鳥三点続》 紙本木版多色刷り 明治時代

(第一章 鳥を愛でるまなざし(第一展示室)にて現在展示中)

 

チラシを見るとこの作品は木蓮と文鳥のみが描かれているのかと思いきや、実は三点続となっていました!

左のアヤメの藍色と、緑色のウグイスと梅の花、

そしてピンクの木蓮の色彩は柔らかくも鮮やかです。

木蓮の花の隙間からこちらを見ている文鳥の表情がかわいい!

繊細な描写と美しい色彩を持つ小原古邨の作品を見ていると、鳥たちの生活をそっとのぞかせてもらったような気持ちになります。

他にも、ハトやヒヨコなど、私達の生活の身近にいる鳥の作品も多く、

実物よりもかっこよく、そして美しく見えるのは私だけでしょうか…

小原古邨 山桜に鳩23.小原古邨 《山桜に鳩》 紙本木版多色刷り 明治時代

 

小原古邨 五匹の雛31.小原古邨 《五匹の雛》 紙本木版多色刷り 明治時代

 

小原古邨の作品は、第一展示室にてまとめて展示しております。

私達の生活と密接に結びつく、「鳥」にスポットを当てた今展覧会。

皆様のご来館を鳥たちと共に心待ちにしております。

後期展は11/10(日)まで開催中です。

A.N

美術の森でバードウォッチング展

皆様こんにちは。

朝夕がだんだんと涼しくなり、過ごしやすくなってきました。

杜の遊歩道では、朝から鳥のさえずりが聞こえ、清々しい気持ちにしてくれます。

さて、そんな鳥にちなんだ現在開催中の「美術の森でバードウォッチング」展では、

当館所蔵の鳥に関係する選りすぐりの作品を展示しております。

第一展示室では、浮世絵師・歌川広重(1797~1858)と、

明治から昭和にかけて活躍した小原古邨(1877~1945)の作品を公開しています。

今回は総務・受付の私が気になった作品を少しだけご紹介いたします。

歌川広重4

1.歌川広重 「海棠に尾長鳥」 紙本木版多色刷り

江戸時代 天保(1830~1844)後期頃

 

『東海道五十三次』など、風景を描いた浮世絵のイメージが強い歌川広重ですが、

花鳥版画も手掛けていたそうで、

その数は全体でおよそ1000点にも及ぶと考えられているそうです!

歌川広重1

11.歌川広重 《山茶花に梟・雉》 紙本木版多色刷り

江戸時代 天保3~6年(1832~35)

歌川広重2

/  丸みを帯びた梟がなんとも可愛い!!  \

 

 

そして、小原古邨の版画。

小原古邨413.小原古邨 《紅梅に鴬》 紙本木版多色刷り 明治時代

 

小原古邨238.小原古邨 《山桜に烏》 紙本木版多色刷り 明治時代

 

版画とは思えないほどの繊細な線と色彩の作品です。

《紅梅と鴬》などの可愛らしい作品から、

普段見かける烏がよりかっこよく見える作品《山桜に烏》なども展示しております。

 

今展覧会は、前期と後期で展示替えを行いますので、

前期ご来館のお客様は、ぜひ後期もお楽しみにお待ちください。

また、まだいらっしゃっていないお客様も

たくさんの鳥たちと共にお待ちしております。

 

「美術の森でバードウォッチング」展

[前期]8/3(土)~9/16(月・祝)

[後期]9/21(土)~11/10(日)

A.N

菅井汲展も残り1日です。

海の見える杜美術館では、7月21日(日)まで「生誕100年記念 菅井汲 —あくなき挑戦者—」展を開催しています。

本展覧会は、パリを拠点に活動した日本人画家・菅井汲の版画作品にスポットをあて、同館所蔵のコレクション約100点を展示するものです。

菅井汲については当館のホームページの展覧会紹介ページをご覧ください。
http://www.umam.jp/exhibition20190525.html

菅井汲展の以前の紹介記事については以下をご覧ください。

菅井汲の版画

菅井汲は—渡仏初期の日本的主題を取り入れた繊細なタッチの作品、1960年代の明快な色彩で幾何学的な形を描いたダイナミックな抽象作品、1970年代のほぼ円と直線のみで構成される規格化されたモチーフを主体にした作品、晩年の「S」字シリーズ−と作風を幾度も変えたことで知られています。

その中でも、私が個人的に好きなのは1970年代の作品です。

菅井汲 group3 UMAM 海の見える杜美術館
菅井汲《GROUP 3》1980年 シルクスクリーン
菅井の作風は1960年頃からがらりと変わり、幾何学的なフォルムの色鮮やかな作品を手がけるようになります。さらに1970年代になると色の数が限定され色彩がより鮮やかになり、フォルムに制限が加えられた図形的なモチーフで構成された作品を展開していきます。彼はコンパスや定規を使って正確に線や円を引き、モチーフの制作を行っていました。また、彼はより鮮やかな色あいを出すために、それまで主流としていたリトグラフからシルクスクリーンへと制作の技法を変えるなど工夫も試みました。
この時期の作品は、一見単純にも思われますが、道路標識を彷彿とさせるようなモチーフと色彩の鮮やかさは強く印象に残ります。菅井はこの時期のインタビュー記事で「屋外において、50メートル先から見てもパッとわかる作品を考えている」と答えていますが、彼が目指していたまさしくこのような作品だったのでしょう。

菅井汲展も残り1日となりました。菅井汲作品の魅力は、実際に目で見ないとわからないと思います。ぜひお楽しみいただければと思います。

大内直輝

菅井汲の版画

海の見える森美術館では、7月21日(日)まで「生誕100年記念 菅井汲 —あくなき挑戦者—」展を開催しています。

本展覧会は、パリを拠点に活動した日本人画家・菅井汲の版画作品にスポットをあて、同館所蔵のコレクション約100点を展示するものです。今回は、それらを4つの時期—渡仏初期の日本的主題を取り入れた繊細なタッチの作品、1960年代の明快な色彩で幾何学的な形を描いたダイナミックな抽象作品、1970年代のほぼ円と直線のみで構成される規格化されたモチーフを主体にした作品、晩年の「S」字シリーズ−に分けて章を構成しています。

菅井汲については当館のホームページの展覧会紹介ページをご覧ください。
http://www.umam.jp/exhibition20190525.html

今回は菅井汲と版画のことについて紹介したいと思います。

菅井汲は1952年の渡仏から1996年に亡くなるまで、大型の油彩やアクリル画に制作の主体を置いていましたが、その一方で数多くの版画作品を手がけていました。その数は400点以上に及び、版画は彼の画業を語る上で無視できないものとなっています。

彼と版画の出会いは1955年のことで、当時契約していたクラヴァン画廊の勧めで《DIABLE ROUGE(赤い鬼)》という作品のリトグラフを制作したのが最初といわれています。その背景には、前年(1954年)に同画廊で開かれた個展が大きな反響を呼び、彼が忽ち売れっ子の画家となったことで、彼の作品に対する需要が高まり、供給が追いつかなくなったことがあったようです。

UMAM赤い鬼 海の見える杜美術館 
《DIABLE ROUGE(赤い鬼)》 1955年 リトグラフ

そのようなきっかけで始めた版画ですが、結果的に彼は亡くなるまでの40年以上にわたりその制作に携わることとなりました。菅井は版画について「版画の魅力はスピード感である」と語っており、タブロー(絵画)や立体作品と違って気軽に制作に取りかかれ、自分の自由で無責任な思いつきを比較的短時間で実現できるものとして、版画の制作に力を注いでいました。彼は版画の個展を頻繁に行い、国際版画展にも何度も出品していました。そして彼の版画はそれらの国際展で受賞を重ねるなど高い評価を得ていました。需要を満たすための苦肉の策として制作を始めた版画ですが、菅井の考えをそのまま表現するには最も適したメディアであったのでしょう。