こんにちは。特任学芸員の岡村嘉子です。前回はL.T.ピヴェール社《黄金の夢》という、1925年、パリでの通称アール・デコ展に出品された、「これぞ時代の先端をゆくフランスのアール・デコ・デザイン!」といった感の香水瓶を取り上げましたが、今回は、同博覧会場にて、批評家たちから時代に逆行したデザインとみなされてしまった香水瓶をご紹介します。ちょっと意地悪な切り口ではありますが、第二次世界大戦前の時代の空気がより浮かび上がるかと思います。
こちらの香水瓶です👇
ウビガン社、香水瓶《ラグジュアリー》1925年、透明クリスタル、金、デザイン:ジョルジュ・シュヴァリエ、製造:バカラ社、海の見える杜美術館所蔵、HOUBIGANT, LUXUARY FLACON, Georges CHEVALIER -1925, Transparent crystal, gold、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
発表された時代を考慮に入れず、作品だけを見れば、その名の通り、ラグジュアリーで素晴らしい香水瓶です。新古典主義のフォルムに、18世紀に王侯貴族のあいだで好まれた絵画の主題、雅宴画〔着飾った貴族階級の人物たちが戸外に集い戯れている情景〕を思わせる図柄が金彩で描かれています。
それは、ルイ16世の治世下の1775年に設立されたウビガン社のルーツを示すもので、そこに老舗香水メーカーとしての自負が感じられます。実際、ウビガン社はそれを意識したからこそ、創業150周年にあたる年に開催される、フランスの香水産業の実力を国内外に知らしめる博覧会という大舞台に、本作を出品したと考えられています。しかしながらそれは、前述の通り、残念な結果に終わりました。
面白いことに、本作品を製造したメーカーは、バカラ社です。そう、L.T.ピヴェール社《黄金の夢》と同じです。しかも使われた素材も、透明クリスタルに金という同じ組み合わせなのです。要は、素材もそれを使った技術も同様に高いものでありながら、デザインによって評価の明暗を分けてしまったのです。並べてみると、スタイルの違いが顕著ですね。
左:L.T.ピヴェール社、香水瓶《黄金の夢》1924年、透明クリスタル、金、デザイン:ルイ・スー、製造:バカラ社、海の見える杜美術館所蔵、PIVER,FLACON RÊVE D’OR, Louis SÜE – 1924, Transparent crystal, gold、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
ところで、ウビガン社の名誉のために付け加えると、ウビガン社はなにもこのような時代遅れの香水瓶ばかりを制作してきたわけではありませんでした。その証拠に、アール・デコ展では、フランスのアール・デコの旗手の一人、ルネ・ラリックにデザインを依頼した香水瓶《美しき季節》も出品しています。こちらです👇。
ウビガン社、香水瓶《美しき季節》1925年、透明ガラス、エナメル彩、デザイン:ルネ・ラリック、製造:バカラ社、海の見える杜美術館所蔵、HOUBIGANT, FLACON LA BELLE SAISON, René LALIQUE – 1925 march 25, Transparent glass,enamel,Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
シンプルなスクエア型のフォルムの中央に、花の香りをうっとりと嗅ぐ女性像を配し、そこから放射状に無数の花が伸びていますね。四角形も放射状の線も、ともにアール・デコを特徴づけるものです。しかもウビガン社のルネ・ラリックによるスクエア型の香水瓶は1925年が初めてではなく、既に1919年の香水瓶でも採用されているのです。こちらです👇。
ウビガン社、香水瓶《カレ》1919年、透明ガラス、デザイン:ルネ・ラリック、製造:バカラ社、海の見える杜美術館所蔵、HOUBIGANT, FLACON LA BELLE SAISON, René LALIQUE -1919, Transparent glass, Umi-Mori Art Museum,Hiroshima ©海の見える杜美術館、Umi-Mori Art Museum,Hiroshima
画像の通り、こちらの装飾はさらにあっさりとしており、新たな時代の到来を十分に感じさせるものになっています。
またウビガン社は、なによりも香水製造において、常に時代の革命児でありました。とりわけ1880年代に、合成香料を使った香水を初めて普及させたことは、特筆せねばなりません。19世紀半ばに誕生した合成香料は、それを使用するか否かが、当初は社会階級に拠ったことを、第14回香水散歩「パリ・グラン・パレ トゥールーズ=ロートレック展」でも言及しましたが、ウビガン社が香水「フジェール・ロワイヤル」を1884年に製造するまで、上流階級にとっては縁遠い存在でした。
当時の調香師ポール・パルケが付けた香水名の「フジェール」とは、フランス語でシダの意味です。シダの香りという、そもそも存在しない(シダは芳香性植物ではありません)がために、誰も嗅いだことがない香りを、パルケは「王の」や「豪華な」という意味の形容詞「ロワイヤル」とともに、香水名に冠したのです。これがもし、「ローズ・ロワイヤル」であれば、バラの天然香料と比較され、合成香料への先入観も相まって「偽物感満載!」「安っぽい」等の批評に甘んじることとなったでしょう。しかしウビガン社は、比較対象の存在しない植物を取り上げて、それらの批判を先に封じ込めてしまったのです。そのおかげでこの香水は成功をおさめることとなり、爾来、ウビガン社に続こうと、合成香料を用いた香水が高級香水製造各社から発売されるようになりました。香水の歴史を塗り替えたパルケ及び共同経営者アルフレット・ジャヴァルの見事な手腕に時を越えて賛辞をおくりたくなるのはきっと私だけではないでしょう。また、このような進取の気性に富む社風であったからこそ、フランス革命前の宮廷人たちに始まり、皇帝ナポレオン、皇妃ジョゼフィーヌ、英国ヴィクトリア女王、ロシア革命前日までのロシア皇帝家など、ときの為政者たちから絶大な信頼を勝ち得てきたのだと思います。
さて、話を今回の主役《ラグジュアリー》に戻しましょう。
セーヴル磁器製作所における軟質磁器と硬質磁器を思い出すまでもなく、ことに装飾美術の製作者は、革新的な作品を生み出す一方で、その需要がある限り、前時代に興隆した作品をも製作し続けるものです。従って、この香水瓶は、ウビガン社の顧客の中に、このクラシックなスタイルを好む者たちがいたことを物語っています。第一次世界大戦開戦直前から1920年代までの、イギリスのとある伯爵家の人々を描いた人気ドラマ「ダウントン・アビー」に登場する、ヴィクトリア時代の慣習の中に生きるおばあ様あたりは、新奇なアール・デコ・デザインには眉をしかめながらも、本作品には、あたかも懐かしい友を見出したかのように、目を輝かせそうではありませんか。そう考えるならば、香水瓶《ラグジュアリー》は、単に時代遅れの香水瓶として片づけられるものではなく、より重層的な1920年代のヨーロッパの相貌を今に伝えてくれるものなのです。
岡村嘉子(クリザンテーム)