美術館に行く途中、「杜の遊歩道」の道の上でタマムシを発見しました。
この時期ということは、成虫になったばかりでしょうか。
なにかと戦って、疲れ果てた様子でした。背中が少しへこんでいます。
すくいあげて道から山中へ離すと、わずかに飛んで地面に着地しました。
がんばれタマムシ。
もりひこ
美術館に行く途中、「杜の遊歩道」の道の上でタマムシを発見しました。
この時期ということは、成虫になったばかりでしょうか。
なにかと戦って、疲れ果てた様子でした。背中が少しへこんでいます。
すくいあげて道から山中へ離すと、わずかに飛んで地面に着地しました。
がんばれタマムシ。
もりひこ
美術館の入り口でいつもあいさつを交わすナツメの木。
近寄って見ると、葉っぱの付け根にたくさんの花を咲かせていました。
そういえばこんな歌がありましたね。
・あの子はだあれ だれでしょね なんなんなつめの 花の下
お人形さんと 遊んでる かわいい美代ちゃんじゃ ないでしょか
(作詞 細川雄太朗 作曲 海沼実 「あの子はたあれ」 1番の歌詞)
美術館入り口のナツメの木には被爆という戦争体験がありますが、この歌は戦時下という状況によって詩が変えられたという戦争経験があります。
“キングレコードでレコード化の際に、ディレクターの柳井尭夫が「戦時下に『泣く子』とはけしからん。『あの子』にしては?」と改作を申し出、そのほかの部分に至るまで、大幅な改作が行なわれました。” この改作のいきさつは、海沼実(實の孫)著『童謡 心に残る歌とその時代』(NHK出版、平成15年発行)に紹介してあります。さらに、柳井は以前に『仲よし小道』(三苫やすし作詞・河村光陽作曲)をヒットさせていたことから、縁起を担いで、原詩第一節の「ミーちゃん」(原詩の表記はミーチャン)を「みよちゃん」に変えました。第二節の「ユーちゃん」(原詩の表記はユーチャン)も、海沼と柳井にとって共通の友人で戦死した「内田憲二=けんちゃん」に変えます。<ウェッブ『池田小百合なっとく童謡・唱歌』による>
もりひこ
この梅雨の時季、外に出て行くのも少々億劫になりますが、
雨が上がって晴れ間がのぞくと、普段よりいっそう景色がきれいに見えます。
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先日、お休みを利用して宮島に行ってきました。
晴れた日の宮島で食べるかき氷が好きです。
フェリー乗り場を出てすぐの場所で、
生え変わり途中の角を生やした鹿が闊歩していました。
当館の所蔵する竹内栖鳳筆《薫風遊鹿図》を思い出し、
実際にあのポーズを写真に撮ることを試してみました。
栖鳳筆《薫風遊鹿図》 宮島の鹿
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この時季、あちらこちらで見る木です。生命力が旺盛で、下刈りの時にきられても、また力強く芽を出して花をいっぱい咲かせます。
木の材質は固く、腐れにくく、昔から釘の材料として使われてきました。美術館では掛軸や巻物を入れる箱に使われているのでおなじみです。
木釘の場所を丸で囲みました。
この軸箱はちょうど100年ぐらいたったものです。長二が作った箱のように、継ぎ目はピクリともゆるんでいません。
三遊亭圓朝作 名人長二 より
「・・・幾ら使っても百年も二百年も毀(こわ)れずに元のまんまで居るというのァ仕事に精神(たましい)を入れてするからの事だ、精神を入れるというのは外じゃァねえ、釘の削り塩梅(あんばい)から板の拵(あつら)え工合と釘の打ち様にあるんだ、それだから釘一本他人に削らせちゃァ自分の精神が入らねえ・・・」
底本「圓朝全集 巻の九」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1964(昭和39)年2月10日発行 青空文庫より転載
もりひこ
現在当館は、6月7日から始まる「信仰と美術Ⅱ 仏と神のすがた」展に向けて展示替え作業を行っています。
その一方で、美術館のある場所でツバメの夫婦がせっせと巣作りをしており、こちらのほうはもう数日前に完成しました。
↑巣から頭だけ出しているツバメ。お疲れ様でした!
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海の見える杜美術館から広島方面に向かう途中に村境の石柱がありました。
大野 宮内 村境
当館は旧大野村にあるのですが、大野村が宮内村と境を接していたのはこの場所であったのだと、静かに教えてくれました。
この石柱がある道は大昔からの由緒があり、江戸時代には五街道のひとつ西国街道として重要な役割を果たしていました。その時に定められた二間半(約4.5m)の道幅そのままに現在に至っています。そしてこの石柱の立つ場所は、紀元600年ごろの伝説がある大野四郎由来の四郎峠にあります。現在「エコセンターはつかいち」がある場所です。
日ごろ通いなれた道でしたが、この石柱にいざなわれて、清盛が、秀吉が、そして幕末維新の志士たちが駆けたであろう光景が日常の風景に重なってみえたような気がしました。
いつの時代に建てられたのか気になりますが、この石柱には日付の記述がありません。下限ははっきりしていて、大野村が大野町になる1950年(昭和25年)4月1日より前です。上限は両村の呼び名が江戸よりずっと前からあったのではっきりしませんが、風化の度合いなどからみて、明治22年の市町村施行時に村境を確定のために設けられたものでしょうか。皆さんはどうお考えになりますか。
街道が好きです - 里程標
街道が好きです - 道路開通記念碑
街道が好きです - 道標(畑口橋交差点)
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もりひこ
心身の疲労を癒し集中力・記憶力を高めるハーブとして知られているローズマリー。
アロマとしてではなく、お肉料理に使うのでもなく、新しい、掃除仲間として来ました。
普段は、ホコリを散らさないために濡れた新聞紙を撒いてから、モップをかけています。
それを新聞紙ではなく、ローズマリーでしてみようと思います。
出番は乾燥させてからということで、乾燥の準備。
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雨の降る中歩いていたら、今年初めてのカタツムリに出会いました。
ゆっくりと道を横断していました。左に頭があります。
この道は車も通るので危ないかなと思い、脇によけておきましたが、今思い返すと彼の進行方向と逆の場所でした。悪いことしましたね。懲りずにまた横断にトライしていただきたいものです。
森下麻衣子
今年初めて見る大型のトンボだったので、記念に撮っておきました。
トンボがとまっているのは、杜の遊歩道入口、駐車場の看板です。
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