「幸若舞曲と絵画」展、展示替えをします

早いもので気がつけば4月。杜の遊歩道の桜も満開を迎えようとしています。

さて、展覧会「幸若舞曲と絵画」も会期半ば。8日の休館日に展示替えをいたします。

 

出品される作品は変わりませんが、絵本のページをめくり、絵巻を巻き替え、前半とは違う場面をお見せします。前半はこの土日が最期です。

 

今回の展覧会の見所のひとつである、海の見える杜美術館所蔵の《舞の本絵本》は、幸若舞曲の人気の演目三十六番を47冊の絵本のセットに仕立てた作品です。詞書(文字の部分)には華やかな装飾が施され、絵のページにも上下に金箔の霞が配され、高価な顔料が惜しむことなく使われていて、大変豪華な作り。一見して格の高い大名家など、限られた層の人々の持ち物であったと想像されます。実際に、各冊には「游焉館図書」の印が捺され、この本が游焉館、つまり府内藩の江戸末期の藩校の所蔵であったことが知られ、豊後松平家(大給家)の持ち物であったものが府内藩藩校に移管されたと想定されるのです。

 

海杜本《舞の本絵本》の他にも、アイルランドのチェスター・ビーティ・ライブラリィ等が所蔵する《舞の本絵巻》や、日本大学図書館が所蔵する《幸若舞曲集》(本展覧会で展示中です)など、同じ『舞の本』をもとにした絵巻のセットが作られていたことが知られています。

 

海杜本は(多少異同がありますが)三十六番が揃った希有な作例で、今回の展覧会では、その三十六番47冊を一挙公開しています。

 

とはいえ絵本ですので、すべてのページを一度にお目にかけることができずに残念なのです。三十六番、それぞれのお話の名場面を少しでも見て頂きたい!というわけで、今回は作品の保護もかねて、会期の半ばでページを替えて、違う場面をお見せします。

 

たとえば、兄頼朝に追われた源義経とその郎党の最期を語る「高館」。現在は、義経らが涙ながらに酌み交わす最期の酒宴の場面を展示しています。義経の酒宴そして後半は、大奮闘の後、立ったまま死を遂げる弁慶の立ち往生の場面を展示します。弁慶の立ち往生

 

義経や常盤御前、敦盛や曽我兄弟など、戦国武将に愛された英雄たちの名場面をどうぞお見逃しなく!

 

谷川ゆき

INTOJAPANで「幸若舞曲と絵画」展をご紹介頂きました

小学館が発行する雑誌「和樂」のWEBメディア、INTOJAPANで「幸若舞曲と絵画」についてとりあげていただきました。「オススメ展覧会7」として掲載されています。

編集部厳選! 2019年3月に見逃したくないオススメ美術展10選

さすが和樂のウェブマガジン。展覧会を巡る旅に出たくなります。どの記事も魅力的で、デザインもとてもすてきです。ぜひご覧ください。

谷川ゆき

「幸若舞曲と絵画—武将が愛した英雄たち」展、はじまりました。まずは会場の様子をご報告します。

先週土曜日、3月2日から春期特別展が始まりました。週末の雨の中お出かけくださった皆様、ありがとうございました。金箔をふんだんに使った色鮮やかな作品がたくさん展示された今回の展覧会、なかなか豪華なものになりました。といいながら出し惜しみするようですが、まず今日のブログでは、展覧会の作品以外の見所についてご紹介します。

ポスターやチラシ、図録の表紙には《曽我物語図屏風》(渡辺美術館所蔵)の右隻、源頼朝の一行が富士の巻狩に臨む場面を使わせていただきました。さすがは桃山時代にさかのぼる曽我物語絵の名品、チラシのポップなデザインに負けない風格で、目にするたびに作品の力強さを感じさせます。

チラシと図録

 

美術館のエントランスホールには、幸若舞曲の物語の中でめざましい活躍を見せる「武将が愛した英雄たち」を6人ピックアップしてバナーにしました。右から源頼朝、曽我兄弟の弟五郎時致、義経の母常盤御前、曽我兄弟の兄十郎祐成、源義経、平敦盛です。エントランスホールのバナー

 

さて、今回の展覧会、ぜひ注目していただきたいのが、エントランスホールの横、1階のエレベーターまでのスペースです(展覧会会場は2階)。今回初公開となる、海の見える杜美術館所蔵の《夜討曽我絵巻》を大きく拡大して、長い廊下の壁面を絵巻に見立ててみました。いずれも第1巻から、向かって右手の壁は巻狩に向かう源頼朝一行と富士山麓の雄大な風景、左手の壁には頼朝が富士の巻狩の様子を描いた場面をとりました。《夜討曽我絵巻》は、幸若舞曲の曽我物の中でも人気の一曲「夜討曽我」を9巻の絵巻にした作品。通常は1枚〜2枚の挿絵で描かれる「富士山麓で頼朝が開催した巻狩」というモチーフを、この絵巻では実に1巻を丸々費やして描きます。左の壁面にあげた狩の場面は、絵巻の実寸で約9メートルにもおよび、この廊下の壁には収まりきりませんでした。展覧会では、前期(4月7日(日)まで)は富士山の場面を、後期(4月9日(火)から)は狩の場面を展示いたします。

右手の壁には、端に頼朝一行を小さく、富士山麓の景観を雄大に描きます。

右手の壁。端に頼朝一行を小さく、富士山麓の景観を雄大に描きます。

左手の壁。狩場では種々の獲物が追われます。かわいらしい兎や猿も。

左手の壁。狩場では種々の獲物が追われます。かわいらしい兎や猿も。

古美術の展示は作品保護のため残念ながら照明の明るさを落とさなければなりません。そして絵巻の画面は縦30〜40センチほどと小さく、もっと明るいところで近くで見てみたい!という欲をかきたてます。広々とした富士山麓の風景と、にぎにぎしい活気に満ちた狩の様子。印刷ではありますが、実際よりもずっと大きな画面で、絵巻ならではの横長の画面を存分に生かした絵の面白さを味わっていただければと思います。

「幸若舞曲と絵画」展は5月12日(日)まで、二ヶ月ちょっとの会期です。ぜひお早めにどうぞ!空気もだんだんと春らしく緩んで、遊歩道の河津桜は9分咲きの見頃を迎えています。展覧会とあわせてお楽しみください。

 

谷川ゆき

 

2019年春の特別展「幸若舞曲と絵画―武将が愛した英雄たち」の予告です①

2019年3月2日から開催される、春季特別展「幸若舞曲と絵画―武将が愛した英雄たち」にむけて、目下準備を進めています。

展覧会タイトルの「幸若舞曲(こうわかぶきょく)」という言葉、ご存知の方は少ないかもしれません。幸若舞曲とは、南北朝時代に始まり、室町時代から江戸時代初期にかけて流行した芸能で、幸若舞(こうわかまい)とも呼ばれます。源平合戦のエピソードや、源義経を主人公とした「判官(ほうがん)物」、曽我兄弟の仇討の顛末を伝える「曽我物」など、平安時代末〜鎌倉時代初の武将の活躍を語る演目が多く、戦国武将たちにも大いに愛好されました。織田信長の幸若好きはよく知られていますし、豊臣秀吉も信長に続いて幸若大夫(たゆう。幸若の語り手)に知行を与えています。江戸時代に入ると能とともに幕府の式楽(幕府の儀式に用いられる音楽や舞踊)に採用されるなど、当時の武士たちのたしなみのひとつでした。名称には「舞」とありますが、動きよりもむしろ、面白い物語を良い声で歌うところに妙味があったようです。残念ながらその人気はやがて衰え、幕末には一度途絶えてしまいます(現在は福岡県のみやま市で幸若舞保存会によって復興され、国の指定重要無形民俗文化財に指定されています)。そのためか、現代の我々にとっては、能や歌舞伎、浄瑠璃など他の芸能に比べて馴染みのないものになってしまいました。

展覧会では幸若舞曲の演目を主題に描かれた屏風や絵巻・絵本の作品をご覧頂きます。特に江戸時代初期、17世紀に多くの作例があり、いかにこの主題が人気だったかを伺わせます。

ブログでは、展覧会の公開に先立って幸若舞曲の内容や作品の見どころを書いていきますので、ご興味持っていただけたらうれしいです。とはいえ、幸若舞曲と言われてもあまりピンと来ない方が大多数だと思います。まず今回は幸若舞曲を少しだけ身近に感じて頂ければと思い、信長の幸若舞曲愛好を伝えるエピソードをご紹介します。

永禄三年(1560)、信長は大軍を率いた今川義元を相手に劣勢に立たされます。5月19日明け方、さらに二つの砦が落とされたという報に接した信長は、「人間五十年、化天(げてん)のうちをくらぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)のごとくなり」と、「敦盛(あつもり)」の一節を舞った後、ただちに寡兵を率いて出陣します。桶狭間の戦い直前のこの有名なエピソードは『信長公記』(1600年頃成立。信長の入京から本能寺の変までの出来事を記述)に記されています。司馬遼太郎の『国盗り物語』がとりあげ、また、市川雷蔵主演「若き日の信長」(1959年)や、黒澤明監督「影武者」(1980年)などの映画で映像化されました。テレビの時代劇や大河ドラマにもこの場面はよく登場しますので、ご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。

さて、これらの映画やドラマで信長を演じる俳優さんたちは、ほぼ決まってこの一節を能の仕舞のように謡い舞うのですが、実はこの有名な一節、能ではなく、幸若舞曲なのです。

能にも、幸若舞曲にも、源平合戦で命を落とした悲劇の若武者、敦盛について語る「敦盛」という曲があります。

敦盛を呼び止める直実 《平家物語扇面画帖》(海の見える杜美術館所蔵)より

敦盛を呼び止める直実 《平家物語扇面画帖》 江戸時代・17世紀(海の見える杜美術館所蔵)より

一の谷の合戦に敗れた平家の敦盛はひとり逃げ遅れます。これを源氏の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)が呼び止めて討ち取ろうとしますが、敦盛が自分の息子と同じ年の若者であることを知り、助けたくなるのです。しかしここで平家の武者を助けては自分が裏切り者と謗られてしまうというジレンマの中で、涙をのんで敦盛を殺し、直実はこの出来事を機に出家します。能も幸若も粗筋は同じですが、直実が出家を決意した時の台詞「人間五十年、化天の内を比ぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)のごとくなり、一度生を受け、滅せぬ物のあるべきか」、つまり信長が口にした一節は、能の「敦盛」には存在せず、幸若舞曲の「敦盛」からとったものです。

高野山で出家を遂げる直実

高野山で出家を遂げる直実 《舞の本絵本》のうち「敦盛・下」 江戸時代・17世紀(海の見える杜美術館所蔵)

義元の大軍に挑むその直前にこの一節をうたった信長の心情はどのようなものであったのか、思わず想像してしまいますね。同時に幸若舞曲の節がいかに信長の身に馴染んだものであったのかが伺えます。他にも、徳川家康を安土に迎えた際に信長が幸若と能を上演させたという記録や、または家康自身が戦場に大夫を同行させた記録が残るなど、幸若舞曲は戦国武将たちのごく身近にあったようです。大夫に上演させてそれを楽しんだり、あるいは自身が折にふれて口ずさんだりしながら、命を散らす古の英雄たちの境遇に、明日をも知れぬ戦いのさなかにある自分たちを重ねていたのでしょうか。

幸若舞曲は芸能として成熟する中で演目の数を絞り、特に人気のあった36曲の演目が、江戸時代寛永年間(1624〜1645)に『舞の本』として挿絵入りで出版されます。この版本をもとに、大変豪華な絵巻や絵本が作られました。当館所蔵の《舞の本絵本》や、アイルランドのチェスター・ビーティ・ライブラリィ等が所蔵する《舞の本絵巻》、日本大学図書館所蔵の《幸若舞曲集》などがそれにあたります。これらはいずれも松平家などの大名家が発注、所蔵したものと考えられています。戦国時代が終わり、江戸の世も落ち着きを見せ始めた時期、大名たちは武士としての自分たちのアイデンティティの証として、古の英雄の活躍を語り、往年の戦国武将たちに愛された幸若舞曲を、絵巻や絵本のかたちで手元に置きたかったのでしょう。

展覧会では幸若舞曲の世界を、絵を通して楽しんでいただければと思っています。今後のブログでも、面白い物語や、特に見ごたえのある作品などご紹介していきます。

谷川ゆき

【2019年春期特別展 幸若舞曲と絵画—武将が愛した英雄たち】

■期  間 2019年3月2日(土) 〜 5月12日(日)

■開館時間 10:00-17:00 (入館は16:30まで)

■休  日 月曜日、4月30日(火)、5月7日(火) ※ただし4月29日(月・祝)、5月6日(月・祝)は開館

■入  料 一般¥1,000 高・大学生¥500 中学生以下無料 *障がい者手帳などをお持ちの方は半額。*介添えの方は1名無料。20名以上の団体は各200円引き。

■主  催 海の見える杜美術館

■会  場 海の見える杜美術館(広島県廿日市市大野亀ヶ岡701)

■後  援:広島県教育委員会、廿日市市教育委員会