6月に開幕した「信仰と美術Ⅱ 仏と神のすがた」展も、8月より後期展に入りました。これにともない、大幅な展示替えもしております。
後期展示の作品のなかでまずご紹介いたしますのが、《那智参詣曼荼羅(なちさんけいまんだら)》です。
この作品に描かれているのは、ユネスコの世界遺産にも認定された熊野三山のひとつ那智山(熊野那智大社)です。画面には、主神である那智権現(なちごんげん)が鎮座する社殿を中心に、那智山の寺社が描かれています。画中にはこうした宗教施設だけではなく、この地で行われる年中行事や歴史的出来事、そしてその信仰によるご利益なども、ぎっしりと描き込まれています。
ちょっとだけ描かれたものを見てみましょう。
画面右側に描かれるのが、那智滝(一の滝)です。日本一の落差(133メートル)を誇る直瀑のこの滝は、飛瀧神社(ひろうじんじゃ)のご神体として信仰を集めてきました。
ちなみに、この滝の下方に3人の人物が描かれていますが、真ん中は、平安〜鎌倉時代の高僧として名高い文覚(もんがく)、そしてこの文覚の両脇にいるのが、不動明王の脇侍である矜羯羅童子(こんがらどうじ)・制吒迦童子(せいたかどうじ)です。
文覚は那智滝に打たれる荒行をした際、生死の淵をさまよいますが、矜羯羅童子と制吒迦童子が救けたのだそうです。
画面には、こうした那智にまつわる逸話が描き込まれているのです。
《那智参詣曼荼羅》と称される絵は、この作品をはじめ、確認されるだけでも40点近く現存しています。こうした作品が数多く制作された理由は、これらが那智山への参詣を促すための手段であったためです。
中世には、那智への参詣や寄付を民衆に勧めるため、諸国をめぐる人々がいました。彼らが那智の様子や、その霊験(れいげん)を知らしめるために用いたのが、この《那智参詣曼荼羅》だったのです。
とはいえ、この作品が作られた中世は、庶民が旅へ出ることは極めて困難でした。おそらくこれを見たほとんどの人は、行きたくても実際の那智に足を踏み入れることはできなかったでしょう。
そうした人々の思いが託されたと考えられるものが、この絵のなかに描かれています。画面を見ると、あちらこちらに白装束の人々のすがたが目に入ります。
これは、那智へ参拝に来た巡礼者だとも、また那智山が浄土と同一視されていたことから、浄土へと赴く死者の姿であるとも考えられています。
《那智参詣曼荼羅》を見た人々は、たとえ行くことはできずとも、絵の中の人に自身のすがたを重ね合わせ、那智(浄土)へと向かうことに思いを馳せたのでしょう。
田中 伝