餅肌のようになめらかな
ネズミモチの花
道にたくさんの花を散らせています
もりひこ
餅肌のようになめらかな
ネズミモチの花
道にたくさんの花を散らせています
もりひこ
とても素敵な展覧会でした。
重要文化財を含む見ごたえある名品もさることながら、随所で輝きを放っている優品の数々。モノクロの世界でありながら、色彩がないという不自然さを感じさせることなく、何かを描写する水墨画の奥深い魅力を堪能し、牧谿作『叭々鳥図』には、しばし見入ってしまいました。
学芸員が所蔵品に愛情こめて、丁寧に向き合い出品作品を選択した足跡も感じられ、あわせ含めて心地よい時間を過ごすことができました。
おすすめの展覧会です。(2017年 7月17日(月・祝)まで開催)
水墨の風―長谷川等伯と雪舟 出光美術館
さち
沿道に サツキの花が咲いています
花の盛りを迎えました
もりひこ
クリの花が咲いています
クリの木はとても大きくなるので
駐車場の入り口で そびえるように立っています
もりひこ
もりひこがブログで紹介してきた 海の見える杜美術館の植物一覧です
花の色と大きさの順に掲載しています
花をクリックすると写真が大きくなり 名前と開花時期が表示されます
花の名前はもりひこが一般的と判断したものを採用しています
学名表記は基本的に「植物和名-学名インデックス Y List」を参考にしています
必要に応じて品種名を❛ ❜でくくって学名の後に表記しています
開花時期等はあくまで目安です
植物の同定には細心の注意を払っていますが専門家の判定ではありません
同定に使用した参考文献は図鑑の巻末に付しています
それではスクロールしてお目当ての花を探してみてください
白い色の花(大きさ順)
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桃色の花(大きさ順)
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赤色の花(大きさ順)
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紫色の花(大きさ順)
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青色の花(大きさ順)
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緑色の花(大きさ順)
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黄色の花(大きさ順)
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肌色の花(大きさ順)
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橙色の花(大きさ順)
(順次更新)
主な参考文献
『山溪ハンディ図鑑1 野に咲く花』増補改訂新版 監修 林弥栄 改訂版監修 門田祐一 写真 平野隆久 山と渓谷社 2013年初版第1刷
『山溪ハンディ図鑑2 山に咲く花』増補改訂新版 改訂版監修門田祐一 写真永田芳男 編畔上能力 山と渓谷社 2013年初版第1刷
『山溪ハンディ図鑑3 樹に咲く花 離弁花1』 写真茂木透 山と渓谷社 2010年 4版第3刷
『山溪ハンディ図鑑4 樹に咲く花 離弁花2』 写真茂木透 解説太田和男・勝山輝男・高橋秀男ほか 山と渓谷社 2012年 2版第8刷
『山溪ハンディ図鑑5 樹に咲く花 合弁花・単子葉・裸子植物』 写真茂木透 解説城川四郎・高橋秀男・中川重年ほか 山と渓谷社 2001年 初版第1刷
『山溪ハンディ図鑑7 新版日本の野鳥』 解説・写真叶内拓哉 山と渓谷社 2014年 初版第1刷
『山溪ハンディ図鑑14 樹木の葉』 解説・写真林将之 山と渓谷社 2014年 初版第1刷
『日本帰化植物写真図鑑』第1巻 編・著清水矩宏・森田弘彦・廣田伸七 全国農村教育協会 2005 第4刷
『日本帰化植物写真図鑑』第2巻 増補改訂 編・著植村修二・勝山輝男・清水矩宏・水田光雄・廣田伸七・池原直樹 (株)全国農村教育協会 2015年増補改訂版第1刷”
最後になりましたが 植物の同定に際し 広島市植物公園の濱谷修一さまはじめスタッフの皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。
もりひこ
左隻
寛永3年(1626年)の後水尾天皇の二条城行幸が描かれた、金色にきらめく豪華な屏風です。
屏風全体には、京都の町並みと周りの風景が描かれています。そしてその中段に一直線、左側の屏風には、二条城を出て後水尾天皇を迎えに御所をたずねる三代将軍家光の一行が、
右側の屏風には、御所を出て二条城に向かう後水尾天皇一行が、
見物する群衆や沿道警備の武士も一緒に臨場感豊かに描かれています。
おそらくこの屏風のどこかに登場していると思われる人物、土御門 泰重(つちみかど やすしげ)の日記に当時の様子を見てみましょう。
9月4日 晴れ 行幸の用意。身に付けるものや道具を点検した。今日太刀がとどいた。樋螺鈿蒔絵梨地(ひらでんまきえなしじ)だ。
9月5日 晴れ 中山元親(なかやまもとちか)のところへ行って場所を借りてきた。行幸を見物する人たちのためだ。夜になって雨が降り始めた。深夜には大雨になった。明日の行幸はどうなるのだろう。用意は大体終わった。夜12時頃就寝。
9月6日 日の出前まで大雨だったが、晴れてよかった。先発隊が出た。その後に中宮(天皇の妃)が出発した。将軍が迎えに参内した。鳳輦(天皇が乗る駕籠)を紫宸殿の庇によせ、鳳輦にお移りになられた。華やかなる行幸、民衆が群れをなした。(適宜抜粋して現代語に訳した)
実在の人物の日記を読んであらためて絵を眺めると、絵空事のようだった屏風絵が、記録映像のように現実感を伴って見えてきます。
この日の高揚した様子を再現するのに、画家が苦心したのは京都の市街や名所、1300人以上の人々を描き込む労力だけではありません。左側の屏風は堀川沿いを北に向かう行列を、
右側の屏風は堀川へ向けて西に向かう行列を描いていて、
左右の屏風を直角になるように並べると、堀川の橋で曲がる列が立体的に正しく再現されるように工夫されているのです。
徳川家康が戦国時代に区切りを告げた後、二代将軍秀忠は娘の和子(まさこ)を後水尾天皇に入内させ、天皇家と姻戚関係になります。その後将軍職を家光に譲り穏便に世代交代を済ませ、次に天皇を徳川の城、二条城に招いて歓待したのです。天皇家と徳川家の和平を決定的に内外に示したこの二条城行幸によって、完全に戦国の世に終わりを告げることができたのかもしれません。そのような観点からは、この屏風はとても記念碑的な作品として輝いていますし、また、この屏風は藤堂家伝来と言われていて、徳川和子入内の立て役者であり、後水尾天皇を迎えるための二条城改修工事の基本設計を担当した藤堂高虎との関係性にも興味がつきません。
なお この原稿は当館の季刊誌『プロムナード』Vol.22 2017年夏号に掲載されています
さち
青木隆幸