香水瓶展示室では、8月23日まで オリンピック・パラリンピック企画 のコーナーが設けられています。
香水瓶とオリンピックにはどのような関係があるのでしょうか。
コーナーの展示解説からここに紹介いたします。
古代オリンピック
前8 世紀に始まる古代オリンピックは、ギリシャのオリンピアにあるゼウス神域で行われた、4 年に一度の競技祭でした。当時、都市国家間での戦争がありましたが、競技祭開催に先立ち、開催の都市国家の使者がギリシャ全土の諸国を周って、休戦を告げました。
また古代オリンピックは、単なる競技会ではなく、宗教的な祭事でもありました。全能の神ゼウスへの儀式も行われ、競技者は神域に入る前に身を清め、ゼウス像に不正を行わないことを誓いました。
このような背景を持つオリンピックは、戦争を中断して参加することから「聖なる休戦」と呼ばれました。この平和のおかげで競技者や観戦者は、オリンピアに無事に旅することができたのです。
海の見える杜美術館は、レスリング等の運動に励んだギリシャの若者たちが、筋肉を和らげ、肌を守るために身体に塗った香油用の容器《アリュバロス》をはじめ、古代のスポーツの在り様を今に伝える作品を所蔵しています。
近代オリンピック
近代オリンピックの第1回アテネ大会開催(1896 年4 月)に尽力した、ギリシャ国王ゲオルギオス1世が所蔵した2 点のファベルジェ社の香水瓶を展示いたします。
ゲオルギオス1 世は、平和を願う近代オリンピックの提唱者、クーベルタン男爵の考えに共鳴し、西暦393 年以来、1500 年途切れていたオリンピックを再興させようと、開催国の国王として多大なる支援をしました。
当時、ギリシャ政府も、また国際オリンピック委員会も財政難に直面し、大会開催のための資金繰りに難航していましたが、デンマーク王室出身のギリシャ国王ゲオルギオス1 世とその子息、王太子コンスタンティノスが各国の王室に呼びかけて資金提供者を集め、開催が実現したといわれています。
海の見える杜美術館には、ゲオルギオス1 世が所有し、その後2007 年までギリシャ王室に代々伝えられてきた2 点の香水瓶が所蔵されています。
ゲオルギオス1 世(1845-1913 年、在位1863-1913 年)と19 世紀のギリシャ
長らくオスマン帝国の支配下にあったギリシャが、1833 年に独立を果たすまでの険しい道のりは、フランス・ロマン主義を代表する画家、ウジェーヌ・ドラクロワの傑作《キオス島の虐殺》(1824 年)に端的に表れています。独立戦争の後、ヨーロッパ列強諸国の支援を得て、ギリシャは君主制の独立国となりました。その初代国王としてドイツ南部のヴィッテルスバッハ家の国王オソン1 世が就任しましたが、彼はギリシャの習慣に同化せず、また数々の行いから国民の信が得られずに、ほどなくして退位
します。紆余曲折の末、新国王として白羽の矢が立てられたのが、当時17 歳のデンマーク王室の王子ヴィルヘルムでした。1863 年、ギリシャ人の王、ゲオルギオス1 世として即位した彼は、デンマーク国教の福音ルーテル教会からギリシャ正教会へと改宗し、ギリシャの近代化や領地の拡大に着手しました。そのような中で、近代オリンピックの第1 回アテネ大会が開催されたのです。
やがてゲオルギオス1 世の領地拡大路線は、周辺諸国から反感を招くこととなります。オリンピックの翌年にはオスマン帝国との希土戦争が勃発し敗戦し、1913 年、第一次バルカン戦争の最中、テッサロニキにて暗殺されました。
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ヨーロッパの王室は、婚姻を通じて、各国が密接に結びついています。例えばゲオルギオス1 世も、ロシアの最後の皇帝ニコライ2 世の母方(デンマーク王室)の伯父にあたります。作品番号35 は、ニコライ2 世の弟ゲオルギー・アレクサンドロヴィッチ皇太子がロシアのファベルジェ社で購入したものです。夭逝した彼に代わり、ゲオルギオス1 世へと受け継がれ、ギリシャ王室で長く所有されることとなりました。
展覧会企画/構成:岡村嘉子、今城誥禧
展覧会解説:岡村嘉子
うみひこ