6月7日より始まった「信仰と美術Ⅱ 仏と神のすがた」展は、前期と後期に分かれ、ほぼ全作品を展示替えいたします。 現在行われている前期展示で、特にご覧いただきたい作品が、今回ご紹介する《鹿島立御影図》です。
続きを読む(青色の日付あるいはContinue readingを押してください) この絵に描かれているのは、武甕槌命(たけみかづちのみこと)という神様です。 朱色の束帯をまとって鹿に乗るのが武甕槌命です。
この武甕槌命は、もともと常陸国(現在の茨城県)の鹿島神宮に鎮座する神様でしたが、神護景雲元年(767)に鹿に乗ってこの地を発ち、あちこちを転々とした後に、奈良の御蓋山(みかさやま)に来臨し、この山のふもとに祀られることとなりました。 これが、春日大社のはじまりと伝えられています。 また、武甕槌命が常陸を発つ時に、付き従った人がいます。 それが、鹿島大社の神官の中臣時風(なかとみのときふう)と中臣秀行(なかとみのひでつら)です。 このふたりは、春日大社の宮司となりました。 この絵の中で、武甕槌命の下にいるふたりが、時風と秀行です(左:時風 右:秀行)。
さて、こちらの作品、今回の展覧会チラシの「顔」として掲載しましたので、すでにご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。
そう、このお顔が武甕槌命です。 ちなみにこの顔は、展覧会場の入口にも、2メートル以上に拡大して展示しています。
大きいですねー。これだけ見ると、実物の作品も、相当大きいんだろうな、と思われるかもしれません。 でも、実際の作品は、といいますと…。
このくらい。縦1m弱、幅35cmちょっとの、なんとも小さな作品です。 そしてこの小さな絵の中に、驚くべき細密な描写が盛り込まれているのです。 まずは、顔の細部から見ていくことにしましょう。(画像をクリックすると拡大します)
神様の髪や髭は、白色と灰色の絵具を交互に塗り分けて描かれています。 灰色も一色ではなく、濃い灰色と薄い灰色の二色が使われています。 上の写真に写した部分の本来の寸法は、だいたい3cmちょっと。どれだけ細い線であるかがわかっていただけるかと思います。 また、顔や鼻をよく見ると、輪郭の墨線に沿うように朱色の線も引かれていることがわかります。 眼の回りにも、朱の線が見えますね。 これだけではなく、眼の下には薄い墨でくままで描かれています。
武甕槌命が乗る鹿の鞍の描写も、なかなかすごいですよ。
これは、鞍の部分を写したものです。 鞍に塗られている青、茶、緑、赤のそれぞれの色が、微妙なグラデーションを持っていることがおわかりいただけるでしょうか? これは、暈繝彩色(うんげんざいしき)と呼ばれる技法で、濃い色調から薄い色調までを、段階的に区切りながら塗るものです。 この絵では、わずか0.5mmほどの区切りで、色調を変化させているのです。 ちなみに画像中の金色の線は截金(きりかね)といい、金箔を細く線状に裁断したものです。 こちらも幅0.5mm前後。すごい技術です。
さらに武甕槌命が乗る鹿の体には、なにやら白い絵具が見えます(上の画像は、鹿の体を接写したものです)。 この白い絵具、よく眼を凝らすと、絹地に乗っていないことがわかります。つまり、この絵具は、絹地の表からではなく、裏から塗られているということなのです。 これは裏彩色(うらざいしき)と呼ばれる技法です。 裏彩色を用いると、表から絵具を塗るよりも、柔らかく、深みのある色味が出るのです。 鹿の体の質感をうまく出すために、わざわざ裏から色を塗っているのです。 あちこち挙げていくときりがありませんが、これだけでも、この作品がどれほど細緻で、手の込んだものであるかが、わかっていただけるかと思います。 現在、これと同様の図様の作品はいくつか確認されていますが、その中でも、描写の細かさは屈指といってもいいかもしれません。 この作品を誰が作らせ、どこに伝来していたのかは、残念ながらわかっていません。 ただし、これだけの作品を描ける力量ある画家に描かせる以上、相当有力な人物が制作に関わったであろうことは想像できます。 武甕槌命は、数多くの名門貴族を輩出した藤原氏の氏神で、天皇の信仰も集めていました。 そのため、当時の有力貴族や皇族が、この作品の制作に、なにがしかのかたちで関与したということは、大いに考えられます。 この絵を見ながら、こうした制作背景にまで思いを馳せてみるのも、おもしろいかもしれません。
田中伝