私が通勤に使っている道の、電柱の陰に隠れた「里程標」が気になっています。
赤い矢印の先の石柱です
この通りの道幅は、大体4.5m、「里程標」の場所ほかところどころ約6m、写真のようにデコボコした形状になっています。江戸時代、西国街道に定められた二間半(約4.5m)の道幅が保たれているので、もしかしたらと思い江戸時代の古地図を参照してみると、西国街道はもう少し南側を走っていて、この道は当時もバイパスのような役割を果たしていたように見えました。
「里程標」の歴史は、明治20年代の宮内村県道改修工事(『廿日市町史 資料編Ⅴ』廿日市町1983)や、約400m東に建つ「道路開通記念碑」(明治27年記)などとあわせて考えてみる必要がありそうです。
「里程標」の下は地中に埋もれて読めない字がありますが、今から125年前、1891年に建立されたことは、わかりました。
右:明治廿四年五月建之 宮内
正面:距 廿日市里程標 壹
左:距 廣島里程元標 四里拾七丁廿四間(約17.6km)
ちなみに、廣島里程元標のあった場所(原爆ドームの近くです)から、現在の宮島街道を通ってここまでの距離は、google map の計測では16.5kmでした。
この「里程標」は、宮内交番の横の川沿いの道を西におよそ800m進んだところに建っています。
大野村⇔宮内村
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もりひこ