作品紹介 《厳島八景画巻》より「大元桜花」

お花見のシーズンは過ぎましたが、前回の小野小町の衣の文様に続き、しつこく桜の話をさせてください。今回は、昨年開催した「厳島に遊ぶ—描かれた魅惑の聖地」展(11月23日〜12月29日)で展示した《厳島八景画巻》から、宮島の大元神社に咲く桜を描いた「大元桜花」の場面をご紹介します。

 

厳島の景観の見所ベスト8を選んだ「厳島八景」をご存知でしょうか。正徳4年(1717)、厳島の光明院の僧、恕信の依頼によって、京都の公家、冷泉為綱が八景を選定します。中国の景勝地、瀟湘八景に倣って選ばれた厳島の名勝は、「厳島明燈」「大元桜花」「瀧宮水蛍」「鑑池秋月」「谷原麋鹿」「御笠濱鋪雪」「有浦客船」「弥山神鴉」の8つ。それぞれに和歌、漢詩などの詩歌と挿絵を添えて、元文4年(1739)に版本『厳島八景』(全3冊)が刊行されています。

『厳島八景』 3冊のうち上、題字と題目 海の見える杜美術館蔵

『厳島八景』 3冊のうち上、題字と題目 海の見える杜美術館蔵

さて、この「厳島八景」の成立に関わった公家のひとりに、風早公長がいます。公長は冷泉為綱に八景の題の選定を依頼し、また、版本『厳島八景』(上冊)に、「有浦客船」の和歌、「八景和歌跋」、「八景詩跋」を寄せています。

ここでご紹介する《厳島八景画巻》は、この風早家ゆかりの作例です。版本上冊にある八景の和歌と挿絵、「八景和歌跋」から成り、その後に風早公長の孫、公雄の明和5年(1768)の署名、また、それに続いて明和7年に画工に写させた旨の奥書があります。おそらく公雄による明和5年の原本を、誰かが明和7年に写させたのだと思うのですが、残念ながらそれが誰なのかは分かりません。詳細は不明ながら、江戸時代の宮島と京都の公家文化の交流の一端を示す興味深い資料です。

《厳島八景画巻》 全1巻 奥書 海の見える杜美術館蔵

《厳島八景画巻》 全1巻 奥書 海の見える杜美術館蔵

さて、前置きが長くなりましたが、あとはのんびり「大元桜花」の場面で一足遅いお花見を...。

《厳島八景画巻》 全1巻 「大元桜花」 海の見える杜美術館蔵

《厳島八景画巻》 全1巻 「大元桜花」 海の見える杜美術館蔵

穏やかな海浜に面して鳥居があり、少し奥まって社が描かれます。春霞のかかる山容を背景に、木々と桜の花に囲まれてたたずむ大元神社の静謐な趣は、嚴島神社の壮麗な社殿とはまた違った感動を誘います。現在も大元神社を訪れると、このひっそりとした聖域の空気が、当時と変わらず漂っているように感じられます。

《厳島八景画巻》 「大元桜花」部分

《厳島八景画巻》 「大元桜花」部分

《厳島八景図巻》はページ数の都合で展覧会ブックレットに掲載できなかったこともあり、何かの機会にご紹介したいと思っていました。「厳島に遊ぶ」展は寒さが深まる中で展示の準備をしていたので、春はことさら待ち遠しく、桜の季節がきたら「大元桜花」をぜひ訪れてみたいと思っていたのです。しかし、残念ながら今年は新型コロナウイルスの影響で叶いませんでした。そんな今年の桜への未練も含めて、この機に一部をご覧頂きました。

来年は穏やかな春が訪れるよう願うばかりです。

 

谷川ゆき