海の上から訪ねる世界遺産・厳島神社、原爆ドーム

台風の到来が予想された日、世界遺産・厳島神社と原爆ドームを、船に乗って訪れました。

廿日市 大野桟橋

宮島の鳥居の前で海上から厳島神社参拝

宮島3号桟橋にて下船

宮島3号桟橋から乗船

瀬戸内海と太田川を遊覧

原爆ドームすぐ横の もとやす桟橋にて下船

原爆ドーム、折り鶴タワーへ

雨や台風の予報を裏切り、屋形船のような小さな船もまったく揺れず、快適快適。さすが瀬戸内海! 宮島についたころには雨も上り、原爆ドームへ向かう海面は鏡のように光っていました。

20160910 海の上から世界遺産・厳島神社、原爆ドームを訪れました 0

それぞれの船にはスタッフによる小粋な観光案内もついていて、厳島神社の鳥居の前では、真下まで船が接近して、海上からの参拝時間もちゃんととってくれます。こちらの映像をご覧ください。すごいでしょ。この小旅行の船は特別にチャーターしなくても、定期航路なのでご興味のある方はぜひ以下のホームページを確認してみてください。

宮島行大鳥居遊覧航路
ひろしま世界遺産航路

なお、大野桟橋は広島東洋カープ屋内総合練習場・大野寮に隣接しています。この日は優勝へ向けてマジック4。船を待つあいだ、選手たちの気合に満ちた声があたりに大きく響きわたっていました。

20160910 海の上から世界遺産・厳島神社、原爆ドームを訪れました

もりひこ

 

古文書は 文字を読むのが大変です

時代の流れとともに変遷する、文字の形や言葉の持つ意味。そして筆者の特徴ある書体が、文書の読解をムツカシクさせます。

特にこの書状は、私にとって難解の作品でした。展覧会『日本の書芸美 名筆へのいざない』(海の見える杜美術館 2012年)開催時に、財津永次先生(当館顧問 当時)に助けていただいて判読した、思い出の作品です。

20160910  文字を読むのが大変でした 書状 「出度已来」 武野紹鴎 UMAM
武野紹鴎(1502 – 1555)
書状 「出度已来」
16世紀【室町時代】
13.8 × 39.7

LETTER   “SHUTTAKU-IRAI…”
TAKENO Jouou
16th century,  Muromachi Period

茶道は、茶祖珠光の創めた侘び茶を紹鴎が引き継ぎ、その門下の利休が大成しました。
この書状は「菊某」に宛て、普請中の茶友に建築の進捗工合などを気遣う内容で、利休の書状にも通じる書風が見られます。

–  (無)□儀候へ共御
–  座敷きのま々
–  令□申候以上
出度已来無音申候
依御手前御作事
出来候哉無御心元候
御用之儀候者可承候
然者□銀も未出来
□れ御口切十四日に候
其元御法事にて
御上奉待候猶以
面上可申入候恐惶
謹言

菊□□   紹鴎(花押)

文化遺産オンラインにて、作品を公開しています。
そのほかの書跡もどうぞお楽しみください。

さち

青木隆幸

 

文化遺産オンラインに登録を始めました 赤松円心 (則村)

秘蔵スタッフNの協力を得て、文化遺産オンラインに、当館所蔵の作品の登録を始めました。

まずは『書』に関するものを入力したのですが、作品調査していたころを思い出しました。 当時とても興味深いと感じた作品を、ひとつご紹介いたします。

20160824 書下  宝寺僧衆中宛 元弘三年三月廿七日  「(伊)豆国」 赤松 円心 (則村) UMAM

赤松円心 (1277-1350) 書下   宝寺僧衆中宛 元弘三年三月廿七日 「(伊)豆国」 1333年【鎌倉時代】

[ ]豆国在庁高時法師一族
[ ]分之餘忝蔑如 朝威剰
[  ]震襟之間可加征伐之
旨円心依奉 勅責随西国打上
洛中之処山崎寶寺僧衆等
凝丹心致祈祷之由奉畢
可令存知之状 如件

元弘三年三月廿七日
沙弥(花押)
寶寺僧衆中

赤松円心 (則村)は、南北朝時代、武将後醍醐天皇の建武新政府に活躍ののち、足利尊氏がたに味方して赤松氏繁栄に尽くした人物です。

この書き下しは鎌倉幕府討幕、いわゆる元弘の乱の雌雄を決する重要な戦い、六波羅制圧に向かうまさにその時の物で、「北条高時を征伐する。祈祷を頼む」という内容であす。これまで円心が討幕の中心勢力と知られていましたが、本書き下しに「円心依奉 勅」とあり、円心が後醍醐天皇の命を受けて動いていることが明らかになっています。

『本物』が伝える迫力に、圧倒されたことを思い出しました。

文化遺産オンラインで、当館所蔵の作品を検索してみてください。

さち

青木隆幸