生誕150年記念 竹内栖鳳  特別公開4  第四展示室

少しでも見ごたえのある展示をめざし、模型を作って検討を重ねています。
今回はいままでよりも少し大きめに、実際の1/20サイズの模型を作りました。
カメラで撮影すると、それなりに臨場感があります。
20140813撮影 展示室模型 (3)20140813撮影 展示室模型 (4)

このたびご紹介いたします第4展示室は、展覧会の白眉ともなる部屋のひとつです。現段階では、重要な未公開作品が含まれるため、映像に映っているのは「羅馬之図」のみとなっております。

なお、8月の特別公開動画はここまでとなっておりますが、これまでご紹介いたしました展示室以外にも展示がございます。

1階ギャラリー                竹内栖鳳の蔵書、写真、スケッチ、手紙などを展示いたします。
2階エントランス            初公開品を含む栖鳳20代の作品を展示いたします。
2階ギャラリー                  栖鳳が描いた襖の部屋を実物大に再現いたします。
第5展示室                         栖鳳の工芸作品などを展示いたします。 多くの作品が初公開です。

それでは、展覧会開催までのあいだ、模型の映像をお楽しみください。

特別公開 「生誕150年記念 竹内栖鳳」第四展示室 動画

なお、映し出される作品は、出品予定の変更、期間中入れ替えの可能性があります。

うみひこ
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生誕150年記念 竹内栖鳳  特別公開3  第三展示室

少しでも見ごたえのある展示をめざし、模型を作って検討を重ねています。
今回はいままでよりも少し大きめに、実際の1/20サイズの模型を作りました。
カメラで撮影すると、それなりに臨場感があります。
20140813撮影 展示室模型 (3)20140813撮影 展示室模型 (1)

展覧会開催までのあいだ、模型の映像をお楽しみください。

特別公開 「生誕150年記念 竹内栖鳳」第三展示室 動画

なお、映し出される作品は、出品予定の変更、期間中入れ替えの可能性があります。

うみひこ
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ヤブガラシの花

ヤブガラシの花はとてもユニーク。

20140815ヤブガラシの花 (1)

雌雄異熟といって、ひとつの花にある雄性と雌性が、時間的にずれているのです。

20140815ヤブガラシの花 (3)

花が開くと、雄しべはすぐに花粉を降り注ぎ、半日ほどで散ってしまいます。
中央の花柱(雌しべ)はその間に成長します。
花盤の蜜に虫たちがよってきます。

20140815ヤブガラシの花 (2)

やがて花盤がピンク色に変わり、花の終わりを告げます。

 

もりひこ

生誕150年記念 竹内栖鳳  特別公開2  第二展示室

少しでも見ごたえのある展示をめざし、模型を作って検討を重ねています。
今回はいままでよりも少し大きめに、実際の1/20サイズの模型を作りました。
カメラで撮影すると、それなりに臨場感があります。
20140813撮影 展示室模型 (3)20140813撮影 展示室模型 (4)

展覧会開催までのあいだ、模型の映像をお楽しみください。

特別公開 「生誕150年記念 竹内栖鳳」第二展示室 動画

なお、映し出される作品は、出品予定の変更、期間中入れ替えの可能性があります。

うみひこ
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栖鳳、最新技術を駆使して新たな絵画世界を切り開く

当館が所蔵する竹内栖鳳家伝来の資料の中には200枚以上の鹿の写真が含まれております。これらを参考にして、鹿の名作が生み出されたことは、以前から指摘されていました。

20140814栖鳳、最新技術を駆使して新たな絵画世界を切り開く (2)

20140814栖鳳、最新技術を駆使して新たな絵画世界を切り開く (1)

20140814栖鳳、最新技術を駆使して新たな絵画世界を切り開く (3)

しかし、栖鳳が写真のみならず、更なる新技術も駆使して絵画制作にのぞんでいた可能性を示す資料が、最近発見されたのです。

栖鳳の作品には、「夏鹿」と題された作品が2点あります。ひとつは現在MOA美術館が所蔵しています。もうひとつの所在は残念ながら現在不明ですが、その画像は光村推古書院刊行『竹内栖鳳』(1981年)で確認できます(頁224〜226)。両作はほぼ同じ図様で、六曲一双屏風の右隻には緩やかな動きの鹿の群れが様々な姿態で描きわけられ、左隻には高く跳躍する鹿の一瞬の姿が描かれています。

右隻は、これまで語られてきたように、写真とスケッチを併用して、集まる鹿の様子を表情豊かにまとめ上げたと思われます。それは、残されている写真やスケッチ、大下絵からもうかがい知ることができます。

20140814栖鳳、最新技術を駆使して新たな絵画世界を切り開く (4)

鹿の取材をする竹内栖鳳(左から2人目) と 写真家の岡本東洋(右端)

 

問題は、左隻に描かれた、高く跳躍している鹿の姿です。

私は、きっとどこかにこの姿に似た鹿の写真あるはずだと推測して探していたのですが、これに類するものは、1枚も出てきませんでした。しかしこうした資料の調査過程で、非常に興味深いものが見つかったのです。

20140814栖鳳、最新技術を駆使して新たな絵画世界を切り開く (5)

上に掲載したものは、鹿の写真を納める封筒です。この封筒には、「鹿 昭和八年十月二十八日 奈良ニ於撮影 三十三枚」と、撮影の日付、撮影地、枚数が記載されていますが、最後に「別ニ活動写真撮影」という文言が書かれています。つまり栖鳳は、写真だけでなく、活動写真、つまり動画も撮影していたのです。

今まで栖鳳の絵画制作を考える際には、写真資料との対照しか考えられていませんでした。しかし、左隻の鹿の姿は写真だけではなく、活動写真の存在をも含めて探索する必要があるのかもしれません。跳躍する鹿の一瞬の動きは、動画の方にこそ、その様子が収められていた可能性があるのではないでしょうか。
残念ながらこの活動写真は現在失われてしまっており、この推測を立証する手だてはありません。しかし、栖鳳が絵画制作において活動写真も用いていたことだけは、まぎれもない事実なのです。

ところで栖鳳はなぜこうした最新技術を積極的に取り入れたのでしょうか。
ひとつに、栖鳳の先達である京都の画家たちからの影響があったのかもしれません。栖鳳の師である幸野楳嶺や、久保田米僊といった画家たちはすでに絵画制作において写真を活用していました。また、更にその師にあたる江戸時代後期の画家円山応挙は、「眼鏡画」という、西洋絵画の線遠近法を取り入れた当時目新しかったジャンルに取り組んでいます。先師から脈々と引き継がれる進取の気鋭が、栖鳳にも受け継がれていたと考えるのはいたって自然です。活動写真という当時の最新技術によって写し出された映像を見て、その躍動感を絵画にどのように取り込もうかと興奮している栖鳳の姿が目に浮かぶようです。

「夏鹿」は、動画の出現によって新たに切り開かれた絵画表現を示す、先駆的な作品であるのかもしれません。今後の更なる研究が期待される、新たな資料の発見となりました。

さち

青木隆幸
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生誕150年記念 竹内栖鳳  特別公開1  第一展示室

少しでも見ごたえのある展示をめざし、模型を作って検討を重ねています。
今回はいままでよりも少し大きめに、実際の1/20サイズの模型を作りました。
20140813撮影 展示室模型 (2)
20140813撮影 展示室模型 (1)

カメラで撮影すると、それなりに臨場感があります。
20140813撮影 展示室模型 (3)
20140813撮影 展示室模型 (4)

 

開催までのあいだ、模型の映像をお楽しみください。

それでは、どうぞ!!!

特別公開 「生誕150年記念 竹内栖鳳」第一展示室 動画

うみひこ
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「一生一硯」新資料追記

2014年6月22日ブログ 「一生一硯」に、以下の資料を追記いたしました。

 

追記:2014年8月14日

「一生一硯」  竹内栖鳳

「77歳になって何か俳句でもできないものかと思ってるのだが、どうもうまい具合に出てこない。実はちょっと見当をつけてるのがあるにはあるのだが、まだまとまらない。それは、15・6のころからほとんど一生使っていた硯があって、10年ばかり前に割れて使えなくなったが、それでも60年を一生と見て、一生一硯というような文句が俳句にならないものかと思っているのだ。
私の家は料理屋だったのだが、相当はやってたので婚礼とか祭りとかいうと手が足りなくなる。そんな時に雇う一人の料理人がいて、なかなかの手利きで間に合っていたが、少し金使いが荒いのか始終貧乏で、よく父のところに金を借りに来ていた。それがあるとき、あまりたびたび無心に来るのがきずつなかったのか、硯を一面持ってきた。さあ私の15・6のころだったと思うが、ちょうど絵の稽古を始めたころだったので、いつの間にか持ち出して使ったのが、もっと絵が上手になったら上等のを買おうと思いながら、とうとうその硯で通してしまったようなわけだ。
その間ちょいちょいほかの硯を使わないでもなかったが、どうも慣れたののほうが合い口がいい。屏風など描くときには随分墨がいるので、墨池の大きなので磨ったらよさそうだのに、やはりその慣れた小さな硯で磨って、なくなるとまた磨るという風に、その硯に愛着していた。
その後、墨色だとか用墨だとかいうようなことを考えるようになって、他にいくつか硯も買わされたが、たくさんあってもどうも使い慣れないのには手が出ない。先年支那に行った時にもかなたこなたで探したが、口上ばかりでどうも講釈ほどのものに当たらなかった。彫り物などは良くても使い勝手がよくない。
その硯には眼があって、黒石だから端渓ではないだろうと思っていたが、これは水岩で一番いいのだという事で他のは硬すぎてよくないのだそうだ。それが今から10年ほど以前だが、真二つに割れてしまった。別にそう手荒にしたわけでもなく、板の上においた拍子に割れた。何かのはずみだったのだろう。まるで切れ物で切ったように割れてるその調子が、瓦かなんぞのような感じで、ちっとも硬い感じがしない石だった。赤い筋が入っていて何でも唐代の紅絲硯というのだという事だった。今もなお名残が残っている。あの硯を頼りに一生過ごしたという気がする。」

『塔影』16巻11号所収、塔影社、昭和15年11月、頁3~4
(転載にあたり文字を適宜あらためました)

さち

青木隆幸

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タカサゴユリの花

20140813タカサゴユリの花 (2)

テッポウユリによく似ていますが、8月に咲くのはタカサゴユリ。

20140813タカサゴユリの花 (3)

種子がたどり着いた場所が開けていると群生しますが、

20140813タカサゴユリの花 (1)

美術館入口前の、亀石のまわりに群生するタカサゴユリのつぼみ。

連作障害のためか、いずれその地から姿を消して、次の場所へ移るそうです。

 

もりひこ