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平家物語絵 -修羅と鎮魂の絵画-

【趣 旨】

平家の盛衰を語る『平家物語』は、文学だけにとどまらず、絵画作品にも描かれ続けてきました。本展では中世に遡る著名な作例から、江戸時代に武家の教養として享受(きょうじゅ)された、絵巻、冊子、扇面、屏風、襖・障子などにいたる、多様な作例を出品します。

平家物語の絵画といえば、「修羅しゅら」の世界と化した源平合戦への興味が強調されがちでしたが、「大原御幸図屏風おおはらごこうずびょうぶ」などには、その後の平家一門への「鎮魂ちんこん」と「救済」といったテーマが、時代を越えて継承されていることがわかります。それは近世に至るまでの、幾多の戦乱による時代の画期において呼び覚まされ、それに沿うように平家物語絵の再生が繰り返されているようにも見られます。

本展では、このような平家物語絵が連綿と描き継がれた伝統の秘密を、代表的な作例を通して解き明かします。

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【基本情報】

[会期]2022年3月19日(土)〜2022年5月15日(日)
[開館時間]10:00〜17:00(入館は16:30まで)
[休館日]月曜日[ただし3月21日(月・祝)は開館]、3月22日(火)、5月7日(土)
[入館料]一般1,000円 高・大学生500円 中学生以下無料
*障がい者手帳などをお持ちの方は半額。介添えの方は1名無料。*20名以上の団体は各200円引き。
[タクシー来館特典]タクシーでご来館の方、タクシー1台につき1名入館無料
*当館ご入場の際に当日のタクシー領収書を受付にご提示ください。
[主催]海の見える杜美術館
[後援]広島県教育委員会、廿日市市教育委員会


【イベント情報】

記念講演会「描かれた平家物語」

日 時=5月4日(水・祝)、13:30〜[開場13:00~]
会 場=はつかいち文化ホール ウッドワンさくらぴあ小ホール 広島県廿日市市下平良1-11-1

講演者=相澤正彦(成城大学教授)、山本聡美(早稲田大学教授)、谷川ゆき(海の見える杜美術館学芸主任)
参加費=無料
申し込み方法=「平家物語講演会参加希望」とご記入の上、①参加人数、②参加希望者全員の氏名、③代表者の住所、④代表者の電話番号を明記し、往復はがき(1通につき2名様まで)で、4月28日(木)までにお申し込みください。返信はがきの宛先に代表者の住所氏名をご記入ください。当館より折り返しご連絡いたします。なお、定員に達ししだい締め切りとさせていただきます

◎はがき宛先:〒739-0481 広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701 海の見える杜美術館 平家展講演会係宛

当館学芸員によるギャラリトーク

日 時=3月26日(土)、4月16日(土)、各13:30〜(45分程度)
会 場=海の見える杜美術館 展示室
参加費=無料(ただし、入館料が必要です)
事前申し込み=不要


【章立て・主な出品作品】

第1部 (たなごころ)のなかの平家絵

『平家物語』が成立したのは13世紀前半ごろと言われています。琵琶法師らによって語り継がれると同時に、テキストとしても愛読されました。『平治物語』の鎌倉時代に遡る絵巻(東京国立博物館などに分蔵)の存在が知られるように、『平家物語』の絵画もほどなく制作され始めたことと想像されますが、残念ながら鎌倉時代に遡る平家絵の作例は存在しません。室町時代の記録の中には、天皇や将軍たちが『平家物語』の絵巻を愛好していた様子が記されますが、やはり現代に伝わる作例は希少です。ここでご紹介するのは、そんな数少ない『平家物語』を主題とする室町時代の絵巻たち。いずれも縦が15センチほどの、小絵とよばれる手のひらにおさまるような小さな絵巻です。《白描平家物語絵巻》は、かつては『平家物語』全巻を網羅する絵巻だったと思われます。《平家公達草紙》は、いわば中世における“二次創作”。『平家物語』に飽きたらなかった当時の人々が、お気に入りの登場人物たちを自分たちの好みのエピソードで語り描きなおします。いずれも合戦にあけくれる武士としての姿だけではない、魅力的な平家の人々の姿を描き出しています。

《平家公達草紙》1巻 室町時代 福岡市美術館
《白描平家物語絵巻》3巻のうち 室町時代 個人蔵

第2部 修羅と鎮魂の平家絵

都に迫る源氏の軍を前に安徳天皇を奉じて都落ちした平家一門は、約1年半の長きにわたり瀬戸内海を行き来し、一の谷や屋島などでの合戦を経て壇の浦の海に沈みました。江戸時代に入ると、戦いの中の勇猛な姿や、悲劇的な名場面を描いた華やかな合戦図屏風が武家に人気の画題として盛んに描かれますが、それを遡る時代の作品からは、合戦そのものを主題としない平家絵のありようも見て取れます。壇の浦で入水した我が子安徳天皇を亡くしひとり残された建礼門院は、大原に隠棲して一族の菩提を弔います。その大原をある日訪ねてきた後白河法皇に、建礼門院は平家一門のたどった命運を六道にたとえて語りました。いちどは栄華を極めながらも、凄惨な戦いの「修羅」を経て滅亡した平家一門の魂の救済は、残された人々の勤めであり、その物語を絵に描くこともまた「鎮魂」の行為であったのではないでしょうか。後白河法皇の命で安徳天皇を祀るために建立された阿弥陀寺(現在の赤間神宮)のお堂には、後に安徳天皇の絵伝が描かれました。桃山時代から江戸初期に盛んに描かれた「大原御幸図」にもまた、戦国時代の戦乱の中で失った家族を想う、当時の人々の願いが込められていたのかもしれません。

合戦と修羅

一の谷合戦の平敦盛と熊谷直実、屋島合戦での那須与一の扇の的など、『平家物語』の合戦譚は現在の私達にもなじみの深い、数々の名場面を生み出しました。これらの絵画は、単に武士の勇猛を称えるだけではなく、滅びゆく平家の面々の悲哀をも伝えます。平家一門滅亡への道筋を、合戦という修羅を描いた絵画に見ていきます。

鎮魂と救済

平家の滅亡は、ゆかりの人々を悲しみの淵に追いやっただけではなく、政敵たちをその怨霊に怯える日々に突き落としました。平家の鎮魂は両者どちらにとっても切実なことだったのです。時を経た江戸時代初期にも『平家物語』を主題とする「大原御幸図」などの平家絵が盛んに描かれます。戦国時代の凄惨な戦いの勝者である武将たちにとっても、平家絵は戦没者たちに手向けた鎮魂の絵画としての意味をもっていたのかもしれません。

厳島の海へ

平清盛は安芸守であった頃から厳島を厚く信仰し、現在の嚴島神社のような水上の社殿を修造しました。平家滅亡後の鎌倉時代、安徳天皇は清盛の信心に応えた厳島の竜王の娘の生まれ変わりであって、壇の浦に没した後はまた海に帰ったのだ、という伝承がありました。それは厳島の海であったのかもしれません。嚴島神社は平家の滅亡後800年を超えた今も、往時の平家の栄華を伝えます。

《宇治川・一谷合戦図屏風》6曲1双 江戸時代 海の見える杜美術館
伝俵屋宗達《忠度出陣図屏風》6曲1隻 江戸時代 個人蔵
《安徳天皇縁起絵伝》全8幅 桃山時代〜江戸時代 赤間神宮
再現展示予想図《安徳天皇縁起絵伝》8幅 江戸時代初期 赤間神宮
《大原御幸図屏風》4曲1双 桃山時代 海の見える杜美術館

第3部 平家絵の展開

江戸時代に入ると、『平家物語』はより明確な政治的意味を持つようになります。それは、源氏を名乗る徳川将軍家が主導する武家社会における、武家の世の始まりとしての源氏の勝利の物語であり、個々のエピソードは武家の男女の理想的な有り様を示す規範を表すものとなりました。『平家物語』やそれに先立つ出来事を語る『保元物語』『平治物語』が、10巻を超える絵巻や、何十冊にもおよぶ大部な絵入りの揃い本として制作され、これらは徳川、松平などの大名家に代表される、裕福な武家が所蔵したものと考えられています。鮮やかな彩色の絵画、贅を凝らした装飾をほどこした詞書の料紙や表紙などが特徴で、大名道具としての豪奢さを備えています。

『平家物語』の長大な物語の中の個々のエピソードは、中世を通じて文芸や芸能の中にも取り入れられていきました。室町時代に流行した短編小説のお伽草子や、能や幸若舞などの中世芸能、ひいては浄瑠璃や歌舞伎などの近世の芸能にいたるまで、多くの『平家物語』を主題とする作品が生み出されます。『平家物語』から派生したこれらの作品を描いた絵画もまた、広い意味での平家絵といえるものでしょう。固定化した読み物としてだけでなく、様々なイメージを通して『平家物語』が享受されていく様子をご覧いただきます。

武家のたしなみと平家絵

戦国の世が落ち着いた江戸時代の初期、町絵師と呼ばれる民間の絵師たちも新たに制作に参入し、豪華なセットの平家絵が盛んに作られます。絵本や絵巻だけでなく、扇型の画面名場面を描く扇面画帖も。『平家物語』は江戸時代の武家が身につけるべき教養のひとつであるとともに、絵に描かれることでより親しまれ、楽しまれていったことでしょう。

芸能の平家絵

室町時代、『平家物語』の中にあるたくさんの魅力的なエピソードが、能や幸若舞曲などの芸能の主題として取り入れられていきました。織田信長が桶狭間の戦いを前にして舞ったことが知られる「人間五十年下天のうちにくらぶれば…」の一説は、『平家物語』巻9「敦盛最期」に取材した幸若舞曲からとられたものです。これら芸能もまた、絵に描かれて楽しまれました。

《平家物語扇面画帖》 2帖 江戸時代 海の見える杜美術館