展覧会
誘惑する風景 ―近代日本画探索―
このたび、海の見える杜美術館では、「誘惑する風景―近代日本画探索―」と題し、近代日本で描かれた「風景」をテーマとした絵画をご覧いただく展覧会を開催いたします。
日本では古くから、中国から伝えられた、描く者、見る者の心の中にある理想の世界を映す、山や谷や川、家屋、そこに隠遁し暮らす人物を描いた山水画という絵画が多く描かれてきました。その他にも、近世になって名所を描いた絵画や真景図と呼ばれる実際の景観を意識して描く絵画も作られ、明治に入ると西洋の美術や思想の流入により、「風景」「風景画」という意識が日本に一般的に根付きました。近代の日本の美術において、新たに芽生えた「風景画」は主要なジャンルとなり、多くの画家が各地の景色を絵に残しています。
現在、私たちは風景や景色に囲まれ、ごく自然にその美をとらえており、風景が描かれた絵画についても同様に美を感じます。この展覧会では、その当たり前に美しく、心癒す風景の絵に描かれた景観が、いかに近代において形成され、価値づけられ、選ばれたのか、そしてどのように描かれているのかに着目してみたいと思います。どの景色を美しく価値がある風景とするのかは社会によって徐々に形成される価値観であり、また、それに触発されて風景をいかに描くのかという問題は、これもまた画家自身の願望でありつつ、それを見たい、享受したいという社会の需要にも結び付いているからです。近代以降、景観を守るために意図的に行った行政の活動、発展し続ける都市への期待、それに伴い新たに発見された郊外や田舎への郷愁、南方をユートピアとして見るまなざしなど、風景画には近代日本が培ってきた景観への思惑が見え隠れしています。風景は、あるがままの姿を装いながら、私たちを誘惑してきたと言えます。
この展覧会では、第1章「揺らぐ景色―山水画と風景画―」、第2章「来た 見た 描いた 名所・旧跡」、第3章「発見される風景」、第4章「都市と農村への誘い」、第5章「画家たちが見た理想郷」の5章構成で、近代の風景画をご覧いただきます。かつて画家たちを、見るものを惹きつけ、今なお私たちを誘い込む近代の風景の世界をご堪能ください。
【基本情報】
[会期]2024年10月12日(土)〜2024年12月8日(日)
[開館時間]10:00〜17:00(入館は16:30まで)
[休館日]月曜日(ただし10月14日(月・祝)、11月4日(月・祝)は開館)、10月15日(火)、11月5日(火)
[入館料]一般1,000円 高・大学生500円 中学生以下無料
*障がい者手帳などをお持ちの方は半額。介添えの方は1名無料。*20名以上の団体は各200円引き。
[タクシー来館特典]タクシーでご来館の方、タクシー1台につき1名入館無料
*当館ご入場の際に当日のタクシー領収書を受付にご提示ください。
[主催]海の見える杜美術館
[後援]広島県教育委員会、廿日市市教育委員会
【章立て・主な出品作品】
第1章 揺らぐ景色 山水と風景
古来、日本において山や谷や川を描いた絵画としては、中国から伝来した「山水画」が主流であり、目に見えるままの世界を描くというよりは、描く者の胸中に立ち現れる世界や理想の世界を表現することが重視されました。しかし、江戸時代の中頃から、目の前の景色をそのまま描くことを試みる画家が現れ、明治以降、西洋の思想、芸術の流入により、今日我々が呼ぶところの「風景画」が日本においても描かれるようになりました。画家たちは外の世界の実際のありように忠実に絵に描こうと努めました。その一方で、大正時代頃から、古く山水画に見られた描き方で情感や情趣、主観を盛り込んだ風景画を描く画家も現れます。「山水画」から「風景画」へという意識の変化は近代日本の美術の大きな流れとしてありますが、表現しようとしたものは、近代においても画家や時期によって大きな揺らぎがあるように見られます。
第2章 来た見た描いた 名所旧跡
明治時代以降、関所の撤廃や交通手段の進化により、一般の人々にとって旅がそれまでよりも容易になりました。近代の画家たちもまた、古の芸術家たちが足を運んだ場所に、自分も行って描いてみる、ということを盛んに行います。
日本独自の自然や風俗を描く、伝統的なやまと絵という絵画の様式に、明治時代以降、近代的な感覚と個性を加味した新たな表現として再度やまと絵が注目され発展した日本画における流れもあり、これに努めた松岡映丘(1881~1938)らにとって、名所旧跡は恰好の題材となりました。その他の画家にとっても、自分の目で見て、得た感興を作品にした画家、期待して行ったもののそれほどに感動を得られず、あまり誰も描かない土地に新たな画趣を見出した画家など、名所旧跡への態度は画家それぞれです。近代の画家たちが足を運び描いた名所旧跡を見ていきましょう。
第3章 発見される風景
今日、私たちは日本各所の美しい風景を、実際に足を運んで眺め、さらに絵画や写真で鑑賞して楽しんでいます。風景は元々ただそこにあり、それを見ているに過ぎないと思いがちです。しかし、私たちが愛でている土地の中には、かつて誰かがその価値を見出し、価値を付加し、整備した上で、その美しさを享受している場合も往々にしてあります。近代の場合は、それが、例えば国立公園の制定、京都の景観の整備、観光という、行政や産業と結びついていることも多くあります。そして画家たちも、そうした社会の活動に連動して風景を描き、美しい作品にすることで、その一連の風景の価値づけに一役買っていたと思われます。
ここでは近代において新たに価値を「発見」された風景をご覧ください。
第4章 都市と農村への誘い
明治以降、東京や大阪などの都市は目覚ましい発展を遂げ、近代的な建築物、鉄道、公共のための施設等が整えられ、市街の商業、娯楽も多様に展開し、人々の賑わいもより一層増していきました。そのような変化する都市は人々の興味を引いたのでしょう、都市風景は大量に制作された版画作品などに描かれました。
やがて都市近郊の鉄道沿線開発も進み、それに伴い郊外の生活の素晴らしさをアピールする雑誌が何種も発行されました。人々の関心と共に画家の眼も郊外へと向けられ、ここでご紹介する中井吟香(1901~1977)をはじめとする、多くの画家が郊外の生活を描いています。こうした農村のおおらかかつ素朴な生活に価値を見出し描くという画家たちの活動も、都市の発展と表裏一体と言えるでしょう。
第5章 理想郷への夢
明治時代の終わり頃から、画家たちが南方、例えば三重県・志摩半島の鳥羽や東南端の波切村、伊豆大島、八丈島など、温暖な気候の土地を訪れ、絵を描くという活動が見られるようになります。描いたものは景色であったり、その土地の服装を身に着けて労働に従事する人物、特に女性であったりと様々です。また、小松均は京都の北東部の大原に住み、大原女や周囲の自然を描きました。当時の大原は、京都のそばにありながら自然豊かで自給自足により暮らせる土地でした。南方と大原を描いた作品には、共通して、都市や市街に住む自分たちが失いかけていた文明に汚されていない自然の美しさ、のどかさ、健やかな生活が映し出されているように思われます。自分たちの理想郷ともいうべき場所を見出していたと考えられるでしょう。